今朝の朝日新聞の「be」というのの「フロントライナー」に、
佐野眞一さんという人が載っていた。
前にここで引用したことがある「別海から来た女」というのを書いた人。
今朝の記事の中で興味深い文章をみつけた。
作家の広津和郎の「散文精神について」という講演の中の言葉。
どこまでも忍耐強く、執念深く、ただただ淡々と物事を見るべきだというのがその論旨で・・というもの。
(物事を見る)ということは散文を書く為だけにあるんじゃないのは当たり前なんだけど、
散文を書くのは表現の一つで、
そして、表現は文学や絵画や音楽や映画なんかだけじゃなくて、
日常私たちが話し、行為し、行動するのも全部表現だ。
表現とは表に現れるもの。
何が表に出るかって、ひとが物事を見る、その見方が顔や言葉や行為に現われるんじゃないかな。
淡々と物事を見る、それが広津流 散文精神ということになる・・・
淡々とではなく物事を見る、それが・・・なんになる・・・
佐野眞一さんという人が載っていた。
前にここで引用したことがある「別海から来た女」というのを書いた人。
今朝の記事の中で興味深い文章をみつけた。
作家の広津和郎の「散文精神について」という講演の中の言葉。
どこまでも忍耐強く、執念深く、ただただ淡々と物事を見るべきだというのがその論旨で・・というもの。
(物事を見る)ということは散文を書く為だけにあるんじゃないのは当たり前なんだけど、
散文を書くのは表現の一つで、
そして、表現は文学や絵画や音楽や映画なんかだけじゃなくて、
日常私たちが話し、行為し、行動するのも全部表現だ。
表現とは表に現れるもの。
何が表に出るかって、ひとが物事を見る、その見方が顔や言葉や行為に現われるんじゃないかな。
淡々と物事を見る、それが広津流 散文精神ということになる・・・
淡々とではなく物事を見る、それが・・・なんになる・・・