けれど、後になって(気になる)のはやはり、
自分の心に何か不自然なものがある。
その時の自分の気持ちを観察してみると、
自分が発した言葉の出所が(そうなったら困る、そーならないように)といったような
不安から、発していることがわかった。
相手がグチのようなことをメールで言ってきた。
「そうなんだ(そうだったのねというような意味)」と返信した。
絵文字も入れなかった。
自分が「そうなんだ」とだけ発し、絵文字も入れなかったのは、
グチに共感したら、相手はそのグチに賛成されたと思って、
何か方向違いの行動を起こしてしまうんじゃないかという不安から発したものだった。
その行動を起こしてほしくないというのが私にはあった、のだった。
相手を自分の思うようになんとかしたい、というのがあったのだった。
「そうなんだ」という言葉を発しただけだったけど、
相手の行動を干渉していた自分だったことが自分ではわかるので、
気になるのだ。
相手の言ったグチをそのまま聴くことが出来なかった自分だった。
相手がその状況を自分で切り開いていく、ことに無意識のうちで不信感があった。
その状況を自ら切り開いていけない人と、
知らないうちに見做していた自分だった。
ピグマリオン効果でいえば、~そういう人として扱うことで、
その人は、そう扱われている人の前では~そういう人になる、という
その失敗をしそうになった私だった。
(気になる)にはこんなふうに必ず、気になるわけがある。
自分の心・気持ちを観察するとそういうものが必ずみつかる。
何もなかったことは一度も無い。
これは相手がどう感じたかは別の事だ。
世の中にはそういうことに鈍感な人も敏感な人もいる。
鈍感な人は気づかないこともある。
自分のそういう間違いに気づかれずにほっとすることもある。
ただ、誰に対しても、
その人にとって、マイナーな見方は出来るだけしたくない、というのがある。
相手を不信感で見ている時は気分が良くない。
実際その相手がその瞬時に信頼に値しない人?であったとしても、
そうでなかったとしても、
自分が不信感を持っていると、清々しい気分ではいられない。
本当に心理というものは面白い。
自分の心に何か不自然なものがある。
その時の自分の気持ちを観察してみると、
自分が発した言葉の出所が(そうなったら困る、そーならないように)といったような
不安から、発していることがわかった。
相手がグチのようなことをメールで言ってきた。
「そうなんだ(そうだったのねというような意味)」と返信した。
絵文字も入れなかった。
自分が「そうなんだ」とだけ発し、絵文字も入れなかったのは、
グチに共感したら、相手はそのグチに賛成されたと思って、
何か方向違いの行動を起こしてしまうんじゃないかという不安から発したものだった。
その行動を起こしてほしくないというのが私にはあった、のだった。
相手を自分の思うようになんとかしたい、というのがあったのだった。
「そうなんだ」という言葉を発しただけだったけど、
相手の行動を干渉していた自分だったことが自分ではわかるので、
気になるのだ。
相手の言ったグチをそのまま聴くことが出来なかった自分だった。
相手がその状況を自分で切り開いていく、ことに無意識のうちで不信感があった。
その状況を自ら切り開いていけない人と、
知らないうちに見做していた自分だった。
ピグマリオン効果でいえば、~そういう人として扱うことで、
その人は、そう扱われている人の前では~そういう人になる、という
その失敗をしそうになった私だった。
(気になる)にはこんなふうに必ず、気になるわけがある。
自分の心・気持ちを観察するとそういうものが必ずみつかる。
何もなかったことは一度も無い。
これは相手がどう感じたかは別の事だ。
世の中にはそういうことに鈍感な人も敏感な人もいる。
鈍感な人は気づかないこともある。
自分のそういう間違いに気づかれずにほっとすることもある。
ただ、誰に対しても、
その人にとって、マイナーな見方は出来るだけしたくない、というのがある。
相手を不信感で見ている時は気分が良くない。
実際その相手がその瞬時に信頼に値しない人?であったとしても、
そうでなかったとしても、
自分が不信感を持っていると、清々しい気分ではいられない。
本当に心理というものは面白い。