「日本人はなぜ 『さようなら』と別れるのか」という本を読んだ。
とても面白かった。
いろんな切り口でそれを探っている本だった。
さようであるならば 致し方ない という含みがこの「さようなら」にはある。
そういうことになったのならそれは仕方の無いこと、ということと思う。
これを「諦め」というふうに観ることも出来るけど、
そういうことになった・・とは過去の事について云ってる。
起こったことは既に起こったことであり、
それは起こった事実。
そういう現象が在ったという事実を認めるということであって、
その過去の現象、それに賛成するということとは違う。
賛成だろうが反対だろうが在ったことは在った。
賛成だろうが反対だろうが起こったことは起こった。
日本語の表現で「済んだ事は水に流して」というのがある。
これも「さようならば・・・」と同じニュアンスと思う。
済んだ事・・過去に起きた事は水に流す・・
凄い表現だなと思う。
鴨長明じゃないけど、行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず・・
のようなもんで、
さようならばと、そこに執着しないのは
こういう理ゆえだと日本語は知っているみたい。
「それならそれで」も同じことかと思う。
執着しない、ということは関心を向けないということ。
関心をそこに向けるとそれが又現象化するという量子メカニズムを
日本語は知っているかのようだ。
済んだ事は水に流して というその済んだ事は善き事じゃないみたい。
いろいろあるけれど、今はさようであるならば、
済んだその事は受け入れるっきゃない・・・
無念だけどそれが事実なんだと・・・
けど、その無念さを引きずることが無い感じ・・を受ける。
それでも又前を向いて進むというようなニュアンスを感じる私だ。
ど明るさじゃなくて、静かな穏やかな明るさ・・みたいな。
とても面白かった。
いろんな切り口でそれを探っている本だった。
さようであるならば 致し方ない という含みがこの「さようなら」にはある。
そういうことになったのならそれは仕方の無いこと、ということと思う。
これを「諦め」というふうに観ることも出来るけど、
そういうことになった・・とは過去の事について云ってる。
起こったことは既に起こったことであり、
それは起こった事実。
そういう現象が在ったという事実を認めるということであって、
その過去の現象、それに賛成するということとは違う。
賛成だろうが反対だろうが在ったことは在った。
賛成だろうが反対だろうが起こったことは起こった。
日本語の表現で「済んだ事は水に流して」というのがある。
これも「さようならば・・・」と同じニュアンスと思う。
済んだ事・・過去に起きた事は水に流す・・
凄い表現だなと思う。
鴨長明じゃないけど、行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず・・
のようなもんで、
さようならばと、そこに執着しないのは
こういう理ゆえだと日本語は知っているみたい。
「それならそれで」も同じことかと思う。
執着しない、ということは関心を向けないということ。
関心をそこに向けるとそれが又現象化するという量子メカニズムを
日本語は知っているかのようだ。
済んだ事は水に流して というその済んだ事は善き事じゃないみたい。
いろいろあるけれど、今はさようであるならば、
済んだその事は受け入れるっきゃない・・・
無念だけどそれが事実なんだと・・・
けど、その無念さを引きずることが無い感じ・・を受ける。
それでも又前を向いて進むというようなニュアンスを感じる私だ。
ど明るさじゃなくて、静かな穏やかな明るさ・・みたいな。