ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

不満と動的平衡

2013-04-28 14:42:14 | ひとの幸福
不満という心はどういう状況の時に現れるか・・・

予想が悪い方向に外れた時・・例えば、

子供が誕生日に何かを買ってもらうことを予想していて、

思っていたものと違うと不満感が出る。

親のしたことについてそれをそのまま受けられない状態。

親の在るがままの姿を受け入れられない状態。

自分で勝手にプレゼントはコレコレだといいなぁと夢想して、

それと違うと不満が出るとしたら、

最初からプレゼントをやるような匂いをさせない方がいいかもしれない。

何かプレゼントすると言ってしまえば、子供は胸を膨らませるに決まっている。

予想するな、なんて言うのは無理だ。

私が子供の頃は親が子にプレゼントを贈るなんてことはなかった。

なので、不満に思う機会はあまりなかった。

プレゼントなんか無いで当たり前の意識だったから。

子供に何を願ってプレゼントをするのか、ってことなんだろうなぁ。

いっときの喜ぶ顔を見たい、という自分側の都合が多いのかもしれない。

子供や孫をダシにして、自分が喜びたい。

毎年もらえることが当たり前になると・・・そう、生意気になる場合が多い。

こういうことをしてる、そのことが在るがままを受容できない人になることに加担している、と言えるのかもしれない。

義父みたいな“そのままでいいよオーラ”を発する人への遠回りなのかなぁとも思った。

約束というものがあることによって人の心はへんなふうに歪む。

約束の「束」は拘束の束だ。

昨日書いたけど、あんなふうなよくある、

水筒を持って行くよという言葉に拘束される場合は多い。

やると言ったらやるもの・・というのも束だなぁ。

前に何度も書いたことあるように思うけど、

やると言った、時点とその後の時点では物事はじっとしてないので、

やると言ったから、やる、っていう具合にならないこともある。

いろんなことが動的平衡で動いているんだからね~

在るがままを受容するということは、ひと事・物事の動的平衡的在りようから考えても、

当然のことなんだろうね~

事実に則っているものの見方という奴だ。

ふ~ん、なるほど・・・。

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