ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

忘れ物

2014-03-07 14:33:03 | 日々の暮らし・思い出
昨日、歩いて2分位の所にある郵便局から帰って来た後、

夫から「歩いて郵便局へ行ったの?」と聞かれた。

宅配便を出しに行ったので、「荷物重いから軽トラで行ったよ」と答えた。

居間に夫は居て、窓からの様子では

軽トラが戻ってくるのを確認できなかったから、というようなことを言った。

その時はフーンと思っただけだった。

その後、彼は「郵便局の方から歩いて戻って来たのが見えたもんだから・・・」

と言った。

「だから・・・歩いて行ったのかなと思ったんだよ」と言った。

この会話までたどり着いてから・・・やっと(あれ??)が来た。

その時になって、郵便局からの帰り道を思い出した。

途中で会った近所の人に歩きながら挨拶した・・ということは・・・?!!!

軽トラで行き、それを置いたまま歩いて帰って来たのだった。

なんということだろうか!!!と思った。

自分で笑ったくらいで、深刻には思わなかったけど、

人から見てこの事がどう見えるのか聞いてみたかったので夫に聞いた。

アンタが何でも忘れるのは今に始まったことじゃないし、

今やってることにしか頭が行ってない、

前後左右を見ないのは始終だから、

別にどうってことないだろう、ということだった。

でも、本当にこういうのは初めてだ。

隣の市の郵便局へ車で行き、歩いて戻ることはまさかないだろうけど、

郵便局のATMに用があるときなんかは歩いていくので、

その調子で歩いて帰って来たんだろう。

それにしても・・・

そういう時はどういう意識になっているんだろうと振り返った。

夫と一緒に考えた。

(車に乗って来たな)という思いが顕在意識に現れたから、

(帰りも車に乗ろう)と意識的に思って乗るわけじゃない。

車で行けば自動的という感じで車に乗って帰ってくる。

それと同じで、私は自動的に、無意識的に、歩いて戻ったということだ。

郵便局の下りの階段を降りた先に駐車場がある。

たまたま視線がそっちに行っていれば

視野にそれが見えて車に乗ることもあったかもしれないけど、

その時、既に意識に(車)がないから

そっちを見ようともしなかったのかと思う。

その時の自分の意識がどう在ったのか、憶えていない。

無意識的にではなく、鉄道関係の人みたいに、

指差して声に出して行なうことが私には有効かもしれない。

さぁ、私はこれからこうする・・と意識して行なうこと。

車の運転なんかもいちいち意識してしないけど、

発進とバックのギアを間違えて事故になることがある。

こういう事にならないように、

声に出してやるくらいの方が私にはいいかと思った。

郵便局に車を置き忘れるくらいならそれほど人に迷惑掛けないけど、

車は凶器になるから気をつけようと思った。

こう思っても忘れるから、ステッカーを作って張っておくことにする。

こう書いてもそれを忘れるだろうから、

やろうと思ったら即!!

・・・いま、席を立ってマスキングテープにマジックで、

『意識的に発進・バック』と書いた。

それがここにある。今、車を夫が使っているから帰ってきたら貼る。

何かをやりたいなぁなんて思っても、だいたい忘れる。

何かを取りに行く時は道中ナンタラナンタラナンタラとつぶやき続ける。

排尿とか食事とか睡眠は(~しよう)と思わなくてもするから、

忘れることはないし、大事なことは夫が覚えていてくれる。

彼が居ない時は、その時はその時で、

何かを忘れないようにきっと何かをするだろう。

目立つところに大きく書いておくとか。

・・・この状態を自分に都合のいいように解釈すると・・・

(今ここ)のことしか頭にない・・ということで、

老化ということではないことにしよう。

でもやっぱり老化か・・

死ぬまで様子を見ていこう♪












衝動と計画

2014-03-05 10:51:08 | ひとの幸福
衝動殺人と計画殺人とでは刑の重さが違うようだ。

計画殺人の方が重い。

それについて深く考えたことがなかったんだけど、

この前、衝動的な殺人の方が罪が軽いのは

・・・こういうわけなのかと思ったことがあった。

衝動は無意識からの指令を受けて瞬間的に行動してしまうということで、

それを止める事は出来にくいという認識が一般的にある。

それと、無意識からの指令で行動したなら、

その人一人に責任の全てを負わせることは出来ない、

ということでもあるのかと思った。

潜在意識はその人だけで創られたものではない、

という認識があるのかと思った。

その人がそうなったのはその人だけのせいでそうなったのではないから。

それに比べ計画殺人の計画はその人一人で

じっくり考えて行なったもの。

(まぁ、そうなったのもその人一人でそうなったわけではないけれど)

でも、だから止めようと思えば止められるのに、止めなかった。

意識的にそうすることを選択したということは悪い、ということなんだろう。

悪いということを百も承知でやったというわけか。

そのことは、その瞬間、悪いと知らずにやったのより、

悪いということなんだろうな。


春が来てる

2014-03-04 15:36:41 | 日々の暮らし・思い出
今朝、庭に出たらなんだか景色がちょっと違う。

もやーっと垣根が明るい。

よく見たらたくさんのモッコウバラの新芽が開き始めている。

チューリップの芽も3センチくらい出てる。

畑の蕗のとうはほとんど採った。

嬉しい春がやって来てる。

春になってからやろうと思ってた、押入れの整理をさっきした。

押入れの中にある棚の整理片づけだ。

昨日、図書館で片付け関係の本を借りた。

こういう本を読むとすぐその気になるので、作業がどんどん進む。

やる気にガソリンかけてもっと燃やすみたいな役割をそういう本がしている。

二年位前にここはきれいに分類して片付けしたんだけど、

月日が経つとやっぱり雑然としてくる。

整理したまんま、しかるべき物をしかるべき場所へ置けば

こういうことないんだろうけど、ついつい・・雑然となる。

義父宛の同級生のガールフレンドからの手紙がそんな所から出てきた。

義父に渡したら、へぇと言って読み出した。

毎年年賀状を書いている人だ。

その手紙は数年前位のもののようだった。

義父は読み終えると、もう要らんなと言って、

破って捨てていた。

97才の義父にとって生きている同級生はその人ともう一人の女の人との3人だけだ。

同級生が一人一人この世から居なくなるのは寂しいだろうなぁ。

元気な彼は今朝畑に行きたいようだったけど、

外に出て気温の低さを感じたら諦めたみたい。

片づけをしたら歩きに行こうと思ってたんだけど、

疲れちゃってこんなことしてる。


美学の怖さ

2014-03-04 15:31:34 | ひとの幸福
この前美学と恥ずかしさというのを書いた。

それでも思ったけど、美学というのは本当にいろいろある。

人により、場合により、時代により・・・

今、「菊と刀」を読み始めているだけど、

日本の軍国主義も美学を利用したものだったのかと思った。

生きて辱めを受けないとか、その際たるものだ。

どんなものでもそうだけど、

美学がどう作用するのかはよくよく観ないといけないのかと思った。

どんな美学でもそれを持っていると、

そう在りたいという気持ちが強く働くからだ。

こうしなくちゃいけない、というエネルギーより、

こう在りたいというエネルギーの方が何倍も強い・・ように思う。