すこしずつ進もう

ジョギング、合気道、ダンスに音楽
下手のヨコズキ暴走中!
何か一つ光るものが得られるまで
日々精進です!

驚きと感動を

2014-04-29 12:06:23 | ひとりごと
何かに追われていると
人は先を急ぐ
色んなものをどんどん詰め込んでいっぱいになったカバンをもって
走る

最近ちょっと疲れてるんだよねぇ私
家でゆっくりしてても息苦しくなったり
頭がぼーっとしたり
たくさんの人に支えられえて刺激されて生きてる私
活き活きしてて自由だねという人もいれば
私をネガティブで保守的でと咎める人もいる
その人の価値観や利益で判断されたくない
私はわたし

生活や仕事に
追われるより
いまその近くにあるもの触れてみたり
後からやってくるものを迎え入れたり
そんなのもいいかなぁと

ネイティブアメリカンたちは広大な大陸を移動しながら生きてきた
ただ食料がなくなったら移動してたというわけではないんだろうね
土に腰を下ろし神様を待ちましょうと言ってたそうです
体を使えば簡単に動けるけど
心はずっと後にやってくるんだそうです
先を急げば心が空っぽのままだ
肉体だけが動いているだけ

忙しさとは心を亡くすと書くのだよと・・・そう教えてくれた友達を思い出しました

自分の周りにおきてることは偶然じゃない
必然だ
でもそれだけじゃなくって
当たり前に起きていることがすごく特別でありがたいこと
神秘的なことなんだってことに気が付かなきゃ
太陽が昇って朝が来て太陽が沈んで夜になる
毎日が繰り返されるって
誰もが当たり前に思ってるけど
その昔
沈んだ太陽に祈りをささげ
また太陽が昇って私たちに光を与えてくれることに感謝していた時代の人たち

この人たちのような思いをもって生きてみたい
感動と驚きにあふれた
そんな毎日を送れるんだよね
もっと・・・

竦む

2014-04-21 21:50:16 | 合気道
仕事で都内の現場に行ってきました
大きな清掃工場の中の設備を設計したもので
その試運転に・・・
作業着にヘルメット、安全靴にダブルロックの安全帯
めちゃくちゃ重装備で重かったわぁ

まぁガテンな感じですわ・・・

大きな建物の五階までエキスパンドメタルの下がスケスケの階段を上り
更にその上に櫓のようなものを建て、その上に設備を組んでいて
またその上に配管やらなんやら・・・というわけのわからない設備なんですけど
まぁ
高いんですよ
高さが半端じゃない
わたし高所ダメなのよねぇ・・・足ガクガクで泣きそうでした

しかもトラブル続きで
15mくらいかなぁそんな高さのてっぺんで膝下くらいの高さしかない壁際から
写真撮ったり・・・こんな高いのに鳥除けのワイヤーくらいしかないって
手摺くらいつけてほしかったわぁ・・・

けっこう体力あるつもりなんだけど
重装備で上がったり下がったりでかなり疲れてへとへとに・・・
でもそれだけじゃない気が

高さに足がすくんで異常に疲労した気がしました

底の抜けそうな網の上に乗り・・・
でっかい扇風機のような羽の角度測ったり
もういっぱいいっぱい

私よりも明らかに弱弱しく吹けば飛んでしまうような体系の新入社員の男の子に
「大丈夫ですか?」と励まされながら・・とほほ

竦むって
異常な緊張で筋肉や関節やすべての動きを制限されてる感じになる
びっくりしたり
怖いと思ったり
危ないと思ったり

そんな時反射的に体を守ろうとする行動もそんな感じになるのかもしれない
でもほんとに
それは体を守るという行動になってるんだろうか?
実際本当に危険だったらますます危険な状態になってしまうんじゃないかなぁ

合気道始めたころによく言われた
「そんなに力入れて持ったらけがする。抵抗するんじゃない」とか
負荷をかける稽古ももちろん大事だけど稽古に有効でない無駄な力や力みはお互いにマイナス
その場になってみると必死になっちゃって、それに気が付くかどうかはいろいろだけど
体全体を使うとか、常に動き続けるということは
力み、竦みで強張った体では不可能なんだよね
ただ疲れるだけ

稽古中に
この先がうまくいかない・・・
ここからなんか変な感じがする・・・なんてことが多いのだけど
動画で見ると明らかに自分の癖に気が付く

肩を竦め呼吸が細くなる感じ
その息苦しさに首が曲がってるようなそんな風にも見える
自分が楽だと思っている動き
反射的に習慣的に自分の体にすり込まれてる感覚が
正しいとは限らない

気持ちとか経験とかで自分を守ろうとしたりする行動を見直す
動きを修正するというよりも
その動きをしている根源を断って
修正しなきゃなって思う


現場作業が終わって
高いところから ふと空を見上げると
羽田空港から離着陸する飛行機が行ったり来たり
その先に夕焼けが見えて
すーっと力が抜ける
あぁ・・ここに気が付かづに
ただ足元だけの恐怖で私はこんなに疲れてしまったんだなぁと
気づけた一日でした

style

2014-04-14 15:37:20 | ひとりごと
久しぶりに恩師にあった
社会人になったばかりの私に新しい刺激を注入してくれた大事な彼女は
毎日忙しく、ほぼ予定が合わないので20年くらいの付き合いだけど
一緒にゆっくり話す時間を作れたのは数える程度
でも切れない
会わなくても切れないで続いてるんですよ
不思議だね・・・っていう話になって
ふとした時にどうしてるかな?とメールを作ってると連絡が来たり
FBにコメント入ったり・・・

久しぶりに話してこの五年くらいに起きた出来事を話してると
驚くほどに似てる
細かい部分は違うけど辛い思いや、新たに展開したこと
自分の周りで起きてる出来事
しかも普通では考えられない出来事までも一致してたり
なんでここまで同じなのか?
彼女とは性格も違うし価値観も若干違う
年も10歳くらい?上だし・・・

ただ間違いなく同じなのは
何をするにせよ、誰と付き合うにせよ
どう取り組むか、人とどうむき合うか?のベクトルが同じなのよね

だから・・・お互いが自分の意見や目的を話していて
え?でも・・・とか、それはちょっと・・・とかそんな言葉は出てこない
おぉ?!いいねぇじゃあ私はこうしよう!ここをこうすればもっといいんじゃない?とか
考えがどんどん促進される
ちょっと恐ろしくもあるが勇気が出る
それだけで同じ人生をたどってきたのか?というのは微妙ですが・・・
20年前私に注入された刺激が少なからずとも今の人生に影響してるのかなぁ?と思ったり・・・

なんだか20年前雲の上の人だった彼女が
すごく近い存在に思えた(もちろん生活のステージは全然私が下ですけどね・・・)

ただその人の真似してもその人にはなれない
憧れの存在には近づけない

こうなるためにどうするか?何をとりいれて何に取り組むか?
そのプロセスを楽しんで
自分なりの工夫と経験を積み重ねて理想に近づいていければ
良い感じに自分を見いだせるんじゃないかな?

自分って何者か?自分らしさって何か?
最近分からなくなっちゃってたけど
余計なものに惑わされたり
過剰な便利さや欲望に装飾された自分が嫌だったのかもしれない
もっとシンプルに考えれば
きっと素直に自分が好きになれるはず
何かに囚われたり誰かと比較したり
そんなことばかりしないで
きちんと自分の選んだ道を信じていこ う