標準的なイントネーションだと多くは「黄粉」と同じになるはずの、平仮名で3文字の「子」で終わる知り合いの名前を片っ端から、関西風の「ひよこ」イントネーションで「はん」をつけて。「黄粉さん」でいいものをいちいち「ひよこはん」と口に出してみて「なんか違うやろ、なんでこんなもっさりすんねやろなぁ」と「小さな疑問」を追究する。
そんなしょうむないことの好きらしい宇津平さんは飄飄としている。生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところがあって、笑うと一層細くなる、花紀京を髣髴する目を時折眩しそうにしばしばさせながら上下を逆に持ったライターを一生懸命擦ってみたり煙草を鼻の穴にいれてみたりと「隙あらば小ボケ」に余念がない。周りはその都度「さかさまや!」とか「鼻や!」と一つずつ拾い上げていく。身なりはいつでもさっぱりと小奇麗に纏めてあって、いろいろな流行ものがさりげなく取り入れてある。その日も自分の履いてきた藍色に近い青のスウェード地でできたコイン・ローファーを手に取って「これ中に入れんの、寛永通宝とおはじきやったらどっちがおもろいやろな」という難題について思案していた。
「どっちや思う?」
「いっそのこと札入れてみるとか」
「それエエなぁ」
財布から千円札を出し、硬貨と同じくらいの大きさになるまで折り畳む。かなりの厚さになったものを靴にあてがって「入れへん」てそこまでしてみるかこの人は。
酒が自然に入っていくような、とても綺麗な呑み方をする。なぜか気に入られて、二人で呑みに出かけることも多かった。「なんか合うねん、おまえと呑んでたら落ち着くわ」と言ってもらって悪い気はしない。二人して特に何を話すというのでもないけれど、それでもくだらない話が途切れることもなくすいすいと酒が進む。
ある夜半過ぎに電話がかかってきた。
「さっきゼミのツレと呑んでてやぁ、終電間に合えへんかってん。そっち行ってええか?」
「あぁ、いいですよ」
となったのだがなかなかやってこない。電話を受けてから小1時間が経ち、そろそろ寝たろかと思い始めたころにノックの音がした。
「遅かったですね」
「せやねん。もうちょっと早よ来れるか思たけど、歩いたらけっこうかかんなぁ」
「どっから?」
「河原町」
「…アホか」
「な、アホやで。疲れたわ~…」
「-鼻や!」
「呑もけ」
来る途中立ち寄ったというコンビニの袋にはビールと軽いつまみが入っている。部屋には日本酒とバーボンがあると告げると「せやろ、せやからビールだけにしてん」なのだそうだ。
「さっきピッツェリアトラッ、トーリアの前通ってんな」
千本丸太町にある宅配ピザ屋は「トラトリア」なのだけれど「イタリアやから」という理由でいちいちタメを入れて「トラッ、トーリア」という。石地さんの在学中よく通ったという千本今出川の中華料理屋 前進丁(ぜんしんてい)を「ぜんしんちょう」、お好み焼き屋 延(えん)を「のべ」と呼び習わしていたので、いろいろと店名をもてあそんでみるのも楽しいらしい。ただ 傳七(でんしち)寿司を「たるひち」と呼び、石地さんに「漢字ごと変わっとるやないか」と突っ込まれていたが。で、ピッツェリアトラッ、トーリアの前を通りかかったら
「武上部屋におるみたいやったわ」
宇津平さんと同期の武上さんはそのピザ屋が入っているテナントビル上階のワンルームマンションに住んでいて、そこで宅配のバイトをしている。賄いつきだというから食、住、職場が一か所に集約されてなかなか効率的である。
「呼びますか」
「やめとこ。あいつ時々おもんないねん」
その『おもろい』基準のとらえどころがない。
どうやら「彼女もほかのツレも寝静まっているであろう真夜中にすることもなく手持無沙汰になってしまったとき」にお呼びがかかるらしい。「起きてるか?」という電話をこちらがとれば守口市の自宅からお兄さんの車を借りて京都までやって来た。そうなると酒を呑むわけにもいかないので好みの芸人の出演する深夜のお笑いバラエティを見たり「そこそこ遠くにある店の美味いといわれるラーメンを食べる」か「琵琶湖の端でぼんやりと煙草を吸う」ために出かけたりもする。そんなことをしながら「んなアホな」という話をして笑っている。
そんな宇津平さんは卒業後、数か月音信不通の状態になった。久しぶりに連絡をもらったのは夏の盛り、日が暮れても一向に涼しくならない京都を逃げ出して帰省しようかと考えていた夜だった。
「どうしてはったんですか」
「ずーっとなぁ、忙しかってん」
「ほぇ」
「もうやってられへん。週末呑もけ」
「いいですねぇ。どこで?」
「京橋のな」
「ええとこだっしゃろ」
「せやねん、グランシャトーがおまんねん」
約束の日、ここまできたなら京橋に住まう親類の、亡くなった爺さんに線香の一本も手向けに行こうと京阪電車京橋駅近くの公団を通り抜けようとしたときのこと。
「ええがげんにじまじゅがらいれでぐだじゃいいぃ~!」
幼い子供のただならぬ叫び声が聞こえてきた。彼/女が何をしでかしたのか知る由もないが、少し前の母親の様子なら手に取るようにわかる。
― ただでさえ暑いところへもってきて子供がうるさい。たしなめてはみたが大人しくするどころかさらにイチビリたおす。血中アドレナリンの増加に伴って叱りは怒りへとすり替わり、言葉が荒くなっているのはわかっていてもフィードバックが間に合わない。― そう、おカンはキレてしまったのである。
うだるように暑い午後、遠くの喧噪によって際立つあのかったるい静寂の中。その子は団地中に響き渡るほどの声で文字通り「火がついたように」泣き、喚いている。隣近所のベランダでは洗濯物がわれ関せずと風に揺られている。それらを聞き、眺めながら奇しくも生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところのある宇津平さんと会う当日に目の前で孜孜汲汲(ししきゅうきゅう)と営まれる大阪的な、あまりにも大阪的な日常に思いを馳せている。これはもうお導き以外の何物でもあるまい。
妙な感慨に浸りながら親類への挨拶も爺さんへの合掌もそそくさと済ませ、宇津平さんの待ち受ける「夜の京橋」へと道を急ぐのであった。
そんなしょうむないことの好きらしい宇津平さんは飄飄としている。生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところがあって、笑うと一層細くなる、花紀京を髣髴する目を時折眩しそうにしばしばさせながら上下を逆に持ったライターを一生懸命擦ってみたり煙草を鼻の穴にいれてみたりと「隙あらば小ボケ」に余念がない。周りはその都度「さかさまや!」とか「鼻や!」と一つずつ拾い上げていく。身なりはいつでもさっぱりと小奇麗に纏めてあって、いろいろな流行ものがさりげなく取り入れてある。その日も自分の履いてきた藍色に近い青のスウェード地でできたコイン・ローファーを手に取って「これ中に入れんの、寛永通宝とおはじきやったらどっちがおもろいやろな」という難題について思案していた。
「どっちや思う?」
「いっそのこと札入れてみるとか」
「それエエなぁ」
財布から千円札を出し、硬貨と同じくらいの大きさになるまで折り畳む。かなりの厚さになったものを靴にあてがって「入れへん」てそこまでしてみるかこの人は。
酒が自然に入っていくような、とても綺麗な呑み方をする。なぜか気に入られて、二人で呑みに出かけることも多かった。「なんか合うねん、おまえと呑んでたら落ち着くわ」と言ってもらって悪い気はしない。二人して特に何を話すというのでもないけれど、それでもくだらない話が途切れることもなくすいすいと酒が進む。
ある夜半過ぎに電話がかかってきた。
「さっきゼミのツレと呑んでてやぁ、終電間に合えへんかってん。そっち行ってええか?」
「あぁ、いいですよ」
となったのだがなかなかやってこない。電話を受けてから小1時間が経ち、そろそろ寝たろかと思い始めたころにノックの音がした。
「遅かったですね」
「せやねん。もうちょっと早よ来れるか思たけど、歩いたらけっこうかかんなぁ」
「どっから?」
「河原町」
「…アホか」
「な、アホやで。疲れたわ~…」
「-鼻や!」
「呑もけ」
来る途中立ち寄ったというコンビニの袋にはビールと軽いつまみが入っている。部屋には日本酒とバーボンがあると告げると「せやろ、せやからビールだけにしてん」なのだそうだ。
「さっきピッツェリアトラッ、トーリアの前通ってんな」
千本丸太町にある宅配ピザ屋は「トラトリア」なのだけれど「イタリアやから」という理由でいちいちタメを入れて「トラッ、トーリア」という。石地さんの在学中よく通ったという千本今出川の中華料理屋 前進丁(ぜんしんてい)を「ぜんしんちょう」、お好み焼き屋 延(えん)を「のべ」と呼び習わしていたので、いろいろと店名をもてあそんでみるのも楽しいらしい。ただ 傳七(でんしち)寿司を「たるひち」と呼び、石地さんに「漢字ごと変わっとるやないか」と突っ込まれていたが。で、ピッツェリアトラッ、トーリアの前を通りかかったら
「武上部屋におるみたいやったわ」
宇津平さんと同期の武上さんはそのピザ屋が入っているテナントビル上階のワンルームマンションに住んでいて、そこで宅配のバイトをしている。賄いつきだというから食、住、職場が一か所に集約されてなかなか効率的である。
「呼びますか」
「やめとこ。あいつ時々おもんないねん」
その『おもろい』基準のとらえどころがない。
どうやら「彼女もほかのツレも寝静まっているであろう真夜中にすることもなく手持無沙汰になってしまったとき」にお呼びがかかるらしい。「起きてるか?」という電話をこちらがとれば守口市の自宅からお兄さんの車を借りて京都までやって来た。そうなると酒を呑むわけにもいかないので好みの芸人の出演する深夜のお笑いバラエティを見たり「そこそこ遠くにある店の美味いといわれるラーメンを食べる」か「琵琶湖の端でぼんやりと煙草を吸う」ために出かけたりもする。そんなことをしながら「んなアホな」という話をして笑っている。
そんな宇津平さんは卒業後、数か月音信不通の状態になった。久しぶりに連絡をもらったのは夏の盛り、日が暮れても一向に涼しくならない京都を逃げ出して帰省しようかと考えていた夜だった。
「どうしてはったんですか」
「ずーっとなぁ、忙しかってん」
「ほぇ」
「もうやってられへん。週末呑もけ」
「いいですねぇ。どこで?」
「京橋のな」
「ええとこだっしゃろ」
「せやねん、グランシャトーがおまんねん」
約束の日、ここまできたなら京橋に住まう親類の、亡くなった爺さんに線香の一本も手向けに行こうと京阪電車京橋駅近くの公団を通り抜けようとしたときのこと。
「ええがげんにじまじゅがらいれでぐだじゃいいぃ~!」
幼い子供のただならぬ叫び声が聞こえてきた。彼/女が何をしでかしたのか知る由もないが、少し前の母親の様子なら手に取るようにわかる。
― ただでさえ暑いところへもってきて子供がうるさい。たしなめてはみたが大人しくするどころかさらにイチビリたおす。血中アドレナリンの増加に伴って叱りは怒りへとすり替わり、言葉が荒くなっているのはわかっていてもフィードバックが間に合わない。― そう、おカンはキレてしまったのである。
「ええ加減にしっ! そんな言うこときかへんともうウチ入れへんでっ!!」
うだるように暑い午後、遠くの喧噪によって際立つあのかったるい静寂の中。その子は団地中に響き渡るほどの声で文字通り「火がついたように」泣き、喚いている。隣近所のベランダでは洗濯物がわれ関せずと風に揺られている。それらを聞き、眺めながら奇しくも生まれたときから大阪の風土にどっぷりと浸され、発想そのものが大阪の舞台喜劇のそれになっているようなところのある宇津平さんと会う当日に目の前で孜孜汲汲(ししきゅうきゅう)と営まれる大阪的な、あまりにも大阪的な日常に思いを馳せている。これはもうお導き以外の何物でもあるまい。
妙な感慨に浸りながら親類への挨拶も爺さんへの合掌もそそくさと済ませ、宇津平さんの待ち受ける「夜の京橋」へと道を急ぐのであった。