「あーもぅ、こんなんうちアホみたいやん」
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。
土曜の朝に電話がかかってきた。午後買い物に付き合ってくれという。「今日言われて、今日かい」「昨日何回かかけたよ、しやけどあんた全っ然出ぇへんかったやん」「おぉ、スマン」金曜の夜だ、呑んでいる。帰ってきたのは日付が変わった後だった、と思う。そうは思ってもそのあたりはどうにも曖昧模糊としている。「やっぱり。せやろなー、思ててん」「ほっとけ。でも何でおれなん?」「彼にライターあげたいんにゃけど、うちようわかれへんし。あんたいろんなライター持ってるやろ、しやから選ぶのんてっとうてもらお思て」そういうことか。
下宿の近くにシフォンケーキが美味いと評判の店があるのだそうで、それを京都で暮らし始めてから随分と経っていたそのときにはじめて知った。そもそも甘いものを得意としないのでそのテの店に用事も興味もなかったのでした。とにかくそこで待ち合わせをすると言い出した。「買いモンて、河原町の方と違うんか?」「そうや」「ならわざわざこんな遠いところで待ち合わせんでも…」「食べたいねん!」「さよか」押し切られてしまった。「あんたとこから七本松をずーっと丸太町まで下がったええねん。ほしたら東ィ行き、すぐやから、シーシーズいうとこ。千本通のほうやで、アホでもすぐわかるし」ひと言多いアドバイスを受けて、経験上時間通りに出向くとかなり待たされることになるのは火を見るよりも明らかである。11時の待ち合わせだったので11時に下宿を出た。とろとろと歩いて丸太町通に出て左折、なるほど店名を知っていれば見逃しようがない。店舗入り口の上にしつらえてある青いテントに白抜きで店名ロゴがデザインしてある。アルファベットのCとCとSの並びを見ていると何かを思い出しそうになって、でも明確にならないのでしばらく眺めていると向きは逆だが尾形光琳の手になる頼んないほうの風神の顔だということに思い至った。すっきりして入り口の扉を開ける。
カップル。
女の三人連れ。
カップル ― いてへんがな!
大変な居心地の悪さを感じながら空いているテーブルに付いて、なんだか見られているように感じたのは不慣れな甘いもの屋でちょっとした被害妄想に駆られていたのかもしれない。注文したコーヒーがぬるくなりかけたころ扉が開いて「あー、もう来てたん」って、じき11時半だバカモノ! ケーキを食べるのを待つ間コーヒーをお代わりして駄弁に付き合う。「電話のあと支度しよかなー思てんけど、お風呂入りたなったしな、シャワー浴びててんね」…ようやく店を出てバスに乗り込んだときにはもう1時が近くなっていた。
「なぁなぁ、お昼どうする?」「さっきケーキ食たやろ」「別腹なめとったらアカンで」「そんなもん舐めともないけどやな、もうちょっと後にしよ。コーヒー二杯で腹タポタポや…」
四条河原町でバスを降りてまずは河原町ビブレから、というので普段なら前を通ることしかない建物の中へ。大阪食道楽、京の着道楽、というのは聞いたことがあるけれど、いろんな物をとっかえひっかえあーでもない、こーでもないとさんざん時間をかけている。「なんや退屈そうやねぇ」今きづいたか。「うっとこの彼やったらいっつも楽しそうに待ってくれたはるよ」彼じゃねぇ。「一番上の階にライターやら売ったはるとこあんねん、あとで行くし先行って見といてくれへん?」はよゆえ。「ああ、ええよ。なんか好みとかあんの?」「へ?」「いやオイルのがええとかガスのほうがええとか」「うちわかれへん言うたやん、任せるし」「ええんかいな」「うん、うちがあげんにゃから、何でも喜ばはるよ」せやったら我がで決めんかい! と出かかったが講義ノートだとかレポートの資料ではさんざん世話になっている。今後のこともあるし、まぁ黙っておいた。しばらく経って大きな紙袋を提げて上がってきた彼女にいくつか目星をつけていたのを示す。「へぇ、カッコええねぇ」「いや、かいらしいなこれ」と一通りリアクションをとったあと「こん中でどれがエエと思う?」「これが一番シンプルで使てても飽きがこんと思うで」「ほなそれしよ」即決やな…
写真や本の好みに似たところがあってよく貸し借りをしていただけあって、好きな店も共通する所が多い。そこから骨董屋のWright商会を皮切りにいくつか書店玩具店文具雑貨店を回り、休憩しよかと喫茶店に入ったときには結構いい時間になっていた。
「お腹もうタポついてへん?」「おー、ちょっと腹減ってきた」「うちだいぶと前からぺこぺこやってん、こないだええ店(とこ)教(おせ)てもうたから食べに行かへん?」「何屋?」「居酒屋」「行こ」普段の話を聞いていると友達同士でもデートでも箸と透明なお酒の出てきそうにない店で食事をしているらしいが、どうやら気を使ってくれている。
どこの筋だったか、河原町通から西に入ったところ、高瀬川の手前のビルの階段を下りた半地下になったところに連れて行かれた。広々とした店内の照明は明るく有線で洋楽がかかっていて、ボックス席のテーブルもゆったりとしている。メニューを見ると洒落コケた店内の雰囲気にそぐわないような、いわゆる京の「おばんざい」も扱っているらしい。
「この前誕生日に腕時計くれはってん、せやからちょっとお礼したいなぁ思てんね。ホンマうちライターわかれへんし、助かったわぁ。今日はありがとう」と、乾杯しながら殊勝なことを言う。「あー、かまへんよそんなん。その時計か?」「うん」「エラい高そう」「バイトがんばってくれはってん」「ほーん」しばらく話をしてトイレから戻ってみると
「あーもぅ、こんなんうちアホみたいやん」
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。
「どしたん」「これ」と指差したのは松田がテーブルに置いて行ったショートピース。「うち酔ったときたまに彼の煙草もろてんねん」そのときも酔いが回って何気なく手に取って、一口ふかしてクラクラときたらしい。「これ一番強いで」「うん、しやけどそんなん周りで見ててわかれへんやん。なんか彼氏のおらんようになった隙に不慣れな煙草を吸ってみて気持ち悪なってるアホアホ彼女に見えるん違うやろか」いや周りそこまで見てはるかな…
水を飲ませたら落ち着いたというのでまた呑みながら話をしていると、微笑ましい惚気話だったはずの時計をめぐるエピソードがまったく違う様相を帯びてきた。バイト先のエライさんがスケベったらしいヒヒ爺ぃで、なんだかんだと贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。同じ授業を取っているどっかの社長のボンが、親の金にあかせて贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。彼氏は一生懸命バイトをしていて、誕生日に何かプレゼントをしたいと言ってくれる。そこで3人にとある高級ブランドの腕時計がほしいと言い、その上で希望の商品に印をつけたカタログを一部ずつ渡したのだという。手元に全く同じ腕時計が三つ、そのうちの二つを売り飛ばし、「会うとき残ったひとつをつけてたらみんな自分が贈ったもんや思うやろ」半開きになった口からくわえた煙草が落ちそうになった。「あ、せやけどアレやねんで、これは彼が買うてくれはったやつやで」いやいやそんな取ってつけたように言ってみても、なぁ。
「あのなー垂高、お前そのうち刺されんぞ」
「ほっといとおくれやす」意図的に京ことばを使いながら作った笑みにぞくっとした。こういうのを妖艶と言うんだろうか。
会計時「今日はお礼やから奢らせて」と言い張ってお金を受け取ってもらえなかった。地下鉄烏丸線の四条駅まで送って行く途中「なぁ、さっきのこと誰にも言わんといてな」「言えるかい!」改札を通ってから手招きをされ、柵をはさんで向かい合った。「なんや?」「時計売ったの昨日やってん。そのお金で払ったから、あんたも共犯やで」 ― 嵌められた! 奢ってもらった金の出所など奢ってもらった側の知ったことではないような気もするが、聞いてしまったからにはしょうがない。帰り道、一面識もない彼氏に対して後ろめたさを感じたものである。
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。
土曜の朝に電話がかかってきた。午後買い物に付き合ってくれという。「今日言われて、今日かい」「昨日何回かかけたよ、しやけどあんた全っ然出ぇへんかったやん」「おぉ、スマン」金曜の夜だ、呑んでいる。帰ってきたのは日付が変わった後だった、と思う。そうは思ってもそのあたりはどうにも曖昧模糊としている。「やっぱり。せやろなー、思ててん」「ほっとけ。でも何でおれなん?」「彼にライターあげたいんにゃけど、うちようわかれへんし。あんたいろんなライター持ってるやろ、しやから選ぶのんてっとうてもらお思て」そういうことか。
下宿の近くにシフォンケーキが美味いと評判の店があるのだそうで、それを京都で暮らし始めてから随分と経っていたそのときにはじめて知った。そもそも甘いものを得意としないのでそのテの店に用事も興味もなかったのでした。とにかくそこで待ち合わせをすると言い出した。「買いモンて、河原町の方と違うんか?」「そうや」「ならわざわざこんな遠いところで待ち合わせんでも…」「食べたいねん!」「さよか」押し切られてしまった。「あんたとこから七本松をずーっと丸太町まで下がったええねん。ほしたら東ィ行き、すぐやから、シーシーズいうとこ。千本通のほうやで、アホでもすぐわかるし」ひと言多いアドバイスを受けて、経験上時間通りに出向くとかなり待たされることになるのは火を見るよりも明らかである。11時の待ち合わせだったので11時に下宿を出た。とろとろと歩いて丸太町通に出て左折、なるほど店名を知っていれば見逃しようがない。店舗入り口の上にしつらえてある青いテントに白抜きで店名ロゴがデザインしてある。アルファベットのCとCとSの並びを見ていると何かを思い出しそうになって、でも明確にならないのでしばらく眺めていると向きは逆だが尾形光琳の手になる頼んないほうの風神の顔だということに思い至った。すっきりして入り口の扉を開ける。
カップル。
女の三人連れ。
カップル ― いてへんがな!
大変な居心地の悪さを感じながら空いているテーブルに付いて、なんだか見られているように感じたのは不慣れな甘いもの屋でちょっとした被害妄想に駆られていたのかもしれない。注文したコーヒーがぬるくなりかけたころ扉が開いて「あー、もう来てたん」って、じき11時半だバカモノ! ケーキを食べるのを待つ間コーヒーをお代わりして駄弁に付き合う。「電話のあと支度しよかなー思てんけど、お風呂入りたなったしな、シャワー浴びててんね」…ようやく店を出てバスに乗り込んだときにはもう1時が近くなっていた。
「なぁなぁ、お昼どうする?」「さっきケーキ食たやろ」「別腹なめとったらアカンで」「そんなもん舐めともないけどやな、もうちょっと後にしよ。コーヒー二杯で腹タポタポや…」
四条河原町でバスを降りてまずは河原町ビブレから、というので普段なら前を通ることしかない建物の中へ。大阪食道楽、京の着道楽、というのは聞いたことがあるけれど、いろんな物をとっかえひっかえあーでもない、こーでもないとさんざん時間をかけている。「なんや退屈そうやねぇ」今きづいたか。「うっとこの彼やったらいっつも楽しそうに待ってくれたはるよ」彼じゃねぇ。「一番上の階にライターやら売ったはるとこあんねん、あとで行くし先行って見といてくれへん?」はよゆえ。「ああ、ええよ。なんか好みとかあんの?」「へ?」「いやオイルのがええとかガスのほうがええとか」「うちわかれへん言うたやん、任せるし」「ええんかいな」「うん、うちがあげんにゃから、何でも喜ばはるよ」せやったら我がで決めんかい! と出かかったが講義ノートだとかレポートの資料ではさんざん世話になっている。今後のこともあるし、まぁ黙っておいた。しばらく経って大きな紙袋を提げて上がってきた彼女にいくつか目星をつけていたのを示す。「へぇ、カッコええねぇ」「いや、かいらしいなこれ」と一通りリアクションをとったあと「こん中でどれがエエと思う?」「これが一番シンプルで使てても飽きがこんと思うで」「ほなそれしよ」即決やな…
写真や本の好みに似たところがあってよく貸し借りをしていただけあって、好きな店も共通する所が多い。そこから骨董屋のWright商会を皮切りにいくつか書店玩具店文具雑貨店を回り、休憩しよかと喫茶店に入ったときには結構いい時間になっていた。
「お腹もうタポついてへん?」「おー、ちょっと腹減ってきた」「うちだいぶと前からぺこぺこやってん、こないだええ店(とこ)教(おせ)てもうたから食べに行かへん?」「何屋?」「居酒屋」「行こ」普段の話を聞いていると友達同士でもデートでも箸と透明なお酒の出てきそうにない店で食事をしているらしいが、どうやら気を使ってくれている。
どこの筋だったか、河原町通から西に入ったところ、高瀬川の手前のビルの階段を下りた半地下になったところに連れて行かれた。広々とした店内の照明は明るく有線で洋楽がかかっていて、ボックス席のテーブルもゆったりとしている。メニューを見ると洒落コケた店内の雰囲気にそぐわないような、いわゆる京の「おばんざい」も扱っているらしい。
「この前誕生日に腕時計くれはってん、せやからちょっとお礼したいなぁ思てんね。ホンマうちライターわかれへんし、助かったわぁ。今日はありがとう」と、乾杯しながら殊勝なことを言う。「あー、かまへんよそんなん。その時計か?」「うん」「エラい高そう」「バイトがんばってくれはってん」「ほーん」しばらく話をしてトイレから戻ってみると
「あーもぅ、こんなんうちアホみたいやん」
テーブルに肘を突いた右手の指先を額に当てて軽く眉間にしわを寄せながら苛立っている。
「どしたん」「これ」と指差したのは松田がテーブルに置いて行ったショートピース。「うち酔ったときたまに彼の煙草もろてんねん」そのときも酔いが回って何気なく手に取って、一口ふかしてクラクラときたらしい。「これ一番強いで」「うん、しやけどそんなん周りで見ててわかれへんやん。なんか彼氏のおらんようになった隙に不慣れな煙草を吸ってみて気持ち悪なってるアホアホ彼女に見えるん違うやろか」いや周りそこまで見てはるかな…
水を飲ませたら落ち着いたというのでまた呑みながら話をしていると、微笑ましい惚気話だったはずの時計をめぐるエピソードがまったく違う様相を帯びてきた。バイト先のエライさんがスケベったらしいヒヒ爺ぃで、なんだかんだと贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。同じ授業を取っているどっかの社長のボンが、親の金にあかせて贈り物をちらつかせて言い寄ってくる。彼氏は一生懸命バイトをしていて、誕生日に何かプレゼントをしたいと言ってくれる。そこで3人にとある高級ブランドの腕時計がほしいと言い、その上で希望の商品に印をつけたカタログを一部ずつ渡したのだという。手元に全く同じ腕時計が三つ、そのうちの二つを売り飛ばし、「会うとき残ったひとつをつけてたらみんな自分が贈ったもんや思うやろ」半開きになった口からくわえた煙草が落ちそうになった。「あ、せやけどアレやねんで、これは彼が買うてくれはったやつやで」いやいやそんな取ってつけたように言ってみても、なぁ。
「あのなー垂高、お前そのうち刺されんぞ」
「ほっといとおくれやす」意図的に京ことばを使いながら作った笑みにぞくっとした。こういうのを妖艶と言うんだろうか。
会計時「今日はお礼やから奢らせて」と言い張ってお金を受け取ってもらえなかった。地下鉄烏丸線の四条駅まで送って行く途中「なぁ、さっきのこと誰にも言わんといてな」「言えるかい!」改札を通ってから手招きをされ、柵をはさんで向かい合った。「なんや?」「時計売ったの昨日やってん。そのお金で払ったから、あんたも共犯やで」 ― 嵌められた! 奢ってもらった金の出所など奢ってもらった側の知ったことではないような気もするが、聞いてしまったからにはしょうがない。帰り道、一面識もない彼氏に対して後ろめたさを感じたものである。