学内にいくつかある学食の中で、キャンパスのほぼ中央に位置する校舎の地下にあるところでは陳列ケースに入れられたバイキング形式のお惣菜があって、その後ろのカウンターで御飯と汁物などを注文する。そこではそのほか丼物や麺類なども注文できる。Boxは学食のすぐ脇にあって、会計を済ませたトレイごと持ってくればどれだけ混み合っている時間帯であっても『ローマの貴族もかくや』というくらいには悠々と食べることができた。

Boxに入るなり右手の壁にかけてある伝言・メモ用の黒板に大書してあるメッセージが目に入った。一画ずつが真っ直ぐな線で構成されて、トメ、ハネなどもそれぞれが明確な角度を持って存在を誇示している。下側と右側が開き気味な輪郭を持つ一文字ずつを見ていると踊り狂っているように見えるが全体として読みやすく綺麗にまとまったレイアウトになっている、この優れてヴィジュアル的な文字を操る当の本人がチョークの白も鮮やかな自書をバックに飯を食っている。
「あふぇ?」
いや、いい。モノをかじりながらなんか言うな。とりあえずそれ食ってまえ。
鞍多と呑みに出る約束をした日の午後、授業の後で古邑さんに誘われてビリヤードに行ったら思いのほか長くなった。その間に待ち合わせたBoxに来たのはいいが、腹をすかして待つのがイヤだった鞍多は、だれが考えても順番を間違っているのは明明白白なのであるが、黒板にメッセージを残してからご飯を買ってきてぱくついていた。そこへすっぽかしかけていた相手が入ってきたものだから左手に御飯茶碗を持ち、右手の箸に挟んだフライにかぶりついたまま固まって、目をぱちくりさせて見上げている。
「あんがあかひかえおうほおぉっけはおい」
『なんだ、私帰ろうと思ってたのに』って、だからモノをかじりながらなんか言うな。なんならそのまま『学級文庫』って言ってみろ!
「ていうか、書置きしたらとっとと帰れよ」
「ちゃんとこれ食べたら帰るよ」
「ナニを言っとるんや、こうして面と向かって喋っとるからには行くぞ」
「えー! 私ごはん食べちゃってんのにー!」
食べ終わるのを待って、食器を返却する鞍多と一緒に学食を通り抜けて反対側の階段から地上に上がる。東門を出て馬代通を越えて上立売通を東へ、児童公園を過ぎたところで南に折れて最初の角で左折して、西大路通の手前にあるビルの地下にある居酒屋のカウンターに落ち着いた。いつもの伝で生中に始まって熱燗でとろとろとろとろ、やっぱり同席する相手の呑みっぷりがいいとよく進む、よく回る。しかし、ナンだね、晩御飯食べちゃったのお腹一杯の言ってた割にはイくね、また。ずっとなんか食ってんね。
同期には呑めないのが何人かと、呑めないくせにうるさいのと、専ら甘い味といろんな色と自分で言うのはおろか読むのも聞くのも照れくさいようなカタカナの名前のついたお酒を呑みたがるのが何人かと、呑むことは呑むけれどすぐにのまれてしまうようなのと、お酒よりも場の雰囲気でのみ酔っているようなのとがいて、困ったことに栄地と鞍多のふたりより外に同じようなお酒を同じようなペースで酌み交わすことのできる相手はいなかった。甚だ心寂しいばかりではあるが、勢いこのどちらかと飲むことが多くなる。
何か話したいことがあるから呑みに出るというのではないから、呑みに出たからといって特に話題などあるわけがない。かといって黙っているわけでもなく、話題がないままにぎやかに喋っている。声がでかいという点はさておいて、一体、鞍多と呑むとだれと呑むよりも雰囲気がにぎやかになる。決して華やかではないけれど。このあたり寡黙な栄地と呑む時の、煩わしさのない心地よさとは両極端で、とはいえうるさいのには我慢がならないがにぎやかなのは大好きなので、酒が美味い限りはどっちになっても苦ではない。かといって両立するのは至難であるから、この三人だけで呑んだことはない。にぎやかなわりに元元話題がないので何を話したのかろくすっぽ覚えていない。自分の絡まない色恋沙汰には一切興味がない。なのに一時期、自分でも訝(いぶか)しいほど妙に鞍多の恋愛事情に詳しい時期があった。たぶん酔った鞍多が酔いに任せて、酔った松田に話していたんだろう。元来酔った相手の惚気(のろけ)と夢の話には聞く耳を持たないから、覚えていたということは惚気られていたわけではないらしいのだが、どうもそのあたりは釈然としない。
栄地と呑んでいると、今まで誰かと一対一で呑んだ経験の中で一番安静な過ごし方になる。安静といっても病気療養のことではない。むさいのがふたり揃って病気療養しようものなら治る病気も治りはすまい。文字通り『安らいで静かに』過ごすのである。鞍多と呑んでいるとこれまでのだれと呑むよりもうきうきと晴れやかな高揚感が得られる。酒を呑む本来はそれなので、だれと呑んでもそうなるのは当然といえば当然なのだが、鞍多がかもし出す独特のにぎやかさはおそらく彼女の『初対面の距離が近すぎる』独特の距離感と同根のものであろうと思われる。
このふたりを相手にしていると、余計な気を使うことも使われることもない。ように思う。違っとったら、すまん。遠慮のないところで、どちらかというとされることの方が多いようだが、気兼ねなく叱咤することもされることもある。さらに言いにくいことでもズケズケと指摘する、あるいはヌケヌケとほざくこともできる。要は無防備な極楽気分で接しているのだろう。極楽といっても大乗の説く死後の世界のことではない。文字通り『至極(しごく)気楽に』過ごすのである。
先日栄地と酌み交わして、極楽気分は未だに変わらないことは検証済みである。
次は鞍多か。