偽と嘘の2007年が幕を閉じ、新しい年が始まった。
とりあえず、明けましておめでとうございます。
「今年は偽から『信』の年に…」などと言う声がかまびすしい。でも、同じようなことを繰り返すのではないか。
理由はいくつかある。
まず、政治も経済も偽物体質が全く改まっていない。特に中央政界。何てったって「偽(二世)議員」のオンパレードですからね。地盤や金脈の世襲が止まらないどころか、ますます顕著になっている。家業として政治屋をやっている連中の中から本物を見つけるのは、砂浜に落としたコンタクトレンズを捜すようなものだ。
経済は、労力を外注しエリート社員がこれを支配する構図だ。これでは物づくりの心が失われていくのも無理はない。自力で開発するより、技術のある会社を買収したほうが手っ取り早いとする風潮も相変わらずだ。規模にモノをいわせるグローバル化ごっこに興じているうちは、偽退治は無理だろう。
これらは、決して政財界に特異な現象ではない。むしろ、社会の反映と言ったほうがいいだろう。
新しい年が明けた。自らを省みて将来を展望したい。過度にストイックになる必要はない。生物としての人間の速度を時々思い出せばいい。自動車より自転車か脚。電話より手紙。出来ることからやればいい。
未来を創るのは私たち自身である。
とりあえず、明けましておめでとうございます。
「今年は偽から『信』の年に…」などと言う声がかまびすしい。でも、同じようなことを繰り返すのではないか。
理由はいくつかある。
まず、政治も経済も偽物体質が全く改まっていない。特に中央政界。何てったって「偽(二世)議員」のオンパレードですからね。地盤や金脈の世襲が止まらないどころか、ますます顕著になっている。家業として政治屋をやっている連中の中から本物を見つけるのは、砂浜に落としたコンタクトレンズを捜すようなものだ。
経済は、労力を外注しエリート社員がこれを支配する構図だ。これでは物づくりの心が失われていくのも無理はない。自力で開発するより、技術のある会社を買収したほうが手っ取り早いとする風潮も相変わらずだ。規模にモノをいわせるグローバル化ごっこに興じているうちは、偽退治は無理だろう。
これらは、決して政財界に特異な現象ではない。むしろ、社会の反映と言ったほうがいいだろう。
新しい年が明けた。自らを省みて将来を展望したい。過度にストイックになる必要はない。生物としての人間の速度を時々思い出せばいい。自動車より自転車か脚。電話より手紙。出来ることからやればいい。
未来を創るのは私たち自身である。