酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

大人は何歳から

2008-02-13 22:20:35 | Weblog
 株の下落で何十億円かの損を出したという鳩山邦夫法相が、法制審議会に民法に規定する成人年齢を18歳に引き下げるべきかどうかについて諮問した。

 唐突に出てきた話のような印象があるが、実は国民投票法が成立した昨年五月の段階でこうした流れになることは決まっていたのだ。

 そこでは「投票権者は18歳以上の日本国民」と定めている。ただし、附則の3条には「公選法の選挙権年齢や民法の成人年齢=20歳以上=の規定が改正されるまでは、国民投票の投票権者も20歳以上とする」という規定がある。

 仮にいま憲法改正が発議され、国民投票が行われた場合、一票の権利を行使できるのは20歳以上の人だけである。

 政府が法制審で審議を始めると決めた理由は何だろう。

 うがった見方かも知れないが、若い人たちは保守化していると踏んでいるのではないか。かつて若者はどちらかといえば改革派であり革新派だった。ところが就職活動第一主義に馴らされ、すっかり政治性を失ってしまった。自民党が「年齢引き下げは我に利あり」と考えても不思議ではない。

 一般的に言えば、国政選挙への参加は幅が広い方がいいに決まっている。だが、どこで線を引くかはきわめて難しい。誤解を恐れずに言えば、下だけではなく超高齢者層の問題も出てくるかもしれない。

 自己決定権なら子どもにもある。子どもの権利条約も存在する。では法的な責任は何時から負わせるべきか。欧米には18歳制を採る国が多いという。でも、歴史的背景が日本とは異なっており単純な比較は出来ないだろう。

 かつての日本人は義務教育を終えると自分で稼いでいた。当時なら「16歳成人説」を唱えても不自然ではない。公家や武士の時代は15歳元服していた。いまはどうだろう。
 高校進学率はほぼ100%、18歳の進学率(大学、専門学校等)は75%に迫っている。親のすねをかじっていて大人なのかと素朴な疑問がわく。いまの30歳は30年前の20歳より子どもだ、という指摘もある。

 論議を尽くせば結論が出る性格のテーマなのだろうか。所詮、人為的な線引きであり合理性に疑いが残る。法制審は一年程度の議論で、答申を出す予定だという。急ぐ必要などどこにもない。国民の中から「成人年齢についてもっと考えよう」と言う声が出てくるまで待つ方が賢明だ。

 邦夫君はやること、言うことのピントが狂っている。鹿児島の選挙違反冤罪事件を「冤罪とは違う」などと発言したり…。

 こういう大臣の下で成人年齢の見直しなどという大切な議論が出来るのか心配になる。
コメント
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