酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

聖火騒動が教えるもの

2008-04-19 21:46:41 | Weblog
 善光寺さんが五輪聖火リレーの出発地点となることを辞退した。たった!?これだけのことがテレビや新聞のトップ扱いになる。なんか変だ。

 事の発端が3月中旬のチベット暴動にあるのはご承知のとおり。チベット独立派(ダライ・ラマの直接的影響力は低いと思われる)が、1959年のチベット大暴動49周年を期して計画的に仕掛けた騒動であることはほぼ間違いない(この計画が中国の権力闘争とリンクしているかどうかは現時点では不明だ)。

 中国の情報・公安当局はチベットでの不穏な動きをなぜ察知できなかったのか。数日前には、インドで亡命チベット人の大規模なデモが行われているにもかかわらず、だ。

 以後一カ月、ここまではチベット側の完勝である。国際世論で中国支持は皆無の状態だ。中国は経済大国となり、途上国では存在感を示しているが、情報発信力は極めて脆弱だ。そのアキレス腱を見事に突かれた格好だ。

 中国が五輪を国威発揚や国民意識の統合に利用しようと焦りすぎたことが、騒動をこれだけ大きくしてしまったのではない。まあ、そうした考え方は、中国に限らず五輪開催国なら多かれ少なかれ意図しているところではあるが…。

 オリンピックそのものが肥大化し政治や商業主義に利用されている。聖火問題を突き詰めていくと、そんな思いが募る。特異な国家であればあるほど、五輪の政治利用に熱心になる。典型はナチスドイツである。

 五輪が平和の祭典だというのは、虚構である。大半の日本人はそう考えているだろう。同時に、平和の祭典にしなければとの思いも抱いているに違いない。

 現実はどうか。モスクワ五輪は西側諸国の多くがボイコットし、ロス五輪では旧ソ連、東欧諸国がお返しのボイコットを食らわせた。そして、今回の騒動だ。

 五輪が世界の不和を煽っているように見える。これ以上の皮肉はない。でも、良く考えてみると、五輪はナショナリズムを高揚させる最高の舞台だ。その前哨戦で各国がバトルを繰り広げるのに何の不思議もない。

 4年ごとにこんな騒ぎが起きるのは進歩がなさ過ぎる。各国がメダルの獲得数を競い合うのも馬鹿げている。

 五輪開催地を持ち回りにするのをやめたらどうか。アテネで固定すればいい。五輪を都市改造の口実に利用したり、国民団結の道具に使ったりする悪弊が排除されるだけでも大きな前進ではないか。

 施設改良費などは各国が分担すればいい。冬季五輪は廃止だ。もともと、冬の五輪は北半球の先進国しか活躍できない。南半球でスキーができるのは、高緯度の数カ国に限られる。世界選手権とW杯で十分だ。

 古代オリンピックは個人競技だけだった。勝者に与えられるのは月桂冠だけだ。このシンプルなスタイルに立ち返るべきだ。

 でも、無理なんだよね。競技開始時間がテレビの意向で決まってしまうのが現実だ。五輪を競技者の手に取り戻す。政治からの独立とはそういうことだろう。

コメント (2)
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