酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

そんなに立派な党首討論だったの

2008-04-12 17:34:09 | Weblog
 9日に行われた福田首相と民主党小沢代表の党首討論を各紙が「激論」などとおだてている。理解に苦しむ評価だ。

 首相は緊張しまくり、いつもの斜に構えた余裕は全くない。質問に答えず、逆質問から始める攻撃性も見せた。

 一方の小沢氏はメモなしで大人ふうを演出、格の違いを強調して見せた。

 討論だから、態度より内容が大切なのはいうまでもない。酔眼には「子どもの喧嘩」であり、意地の張りっこに映った。こんな議論をいくら重ねても、前には進まな い。
 
 しかし、大新聞の記者はそうは受け止めなかった。朝日と毎日は、ほぼ手放しの絶賛だ。なんでそうなるの。

 朝日の社説は冒頭こういう。
    党首討論はいつもこうあってほしい。
    そう感じさせるほど両党首の弁舌に
    は力がこもっていた。

 「かわいそうなぐらい困ってますよ」と泣き言を垂れる首相の言説のどこを指して「力がこもっていた」というのだろう。日銀人事で振り回されたことについて「そういうのを権力の濫用というのです」と力みかえったくだりを指したのか。

 首相が述べたのは、ぼやきと泣き、憤慨、以上終了だ。懸案を前に進めようという気構えは感じられなかった。小沢氏も持説を繰り返しただけだ。

 社説氏もそのあたりは感じていたらしく、最後にはこう白状する。
 
        政治が前に進まない原因は、自民党は衆院、
        民主党は参院の民意を言い、互いに譲らな
        いことだ。新たな民意を問うべき時期にき
        ていることだけは間違いない。

 この日の討論こそ「互いに譲らない」典型ではないか。時間不足の側面はあるが、相手の言葉を理解しようという態度がなければ、何百回討論をやろうが同じことだ。こんな子どもの喧嘩をほめ上げたりしてはいけない。

 毎日も「やればできるじゃないか。気の抜けたビールのようだった前回の討論とは打って変わって、双方の主張には真剣さが感じられた」とベタほめだ。

 政局を意識して突っ張りあっただけのことだろう。大体「真剣さが感じられた」などと評すること自体おかしい。これでは党首討論とは「ふざけている」のが普通みたいではないか。

 一番冷静に受け止めていたのは、意外にも読売だった。

       党首討論自体は盛り上がったが、
       非難の応酬だけでは、深みのあ
       る議論とはならない。

 産経の社説が党首討論に言及しなかったのは「つまらなかった」からだろうか。

 二人ともガソリン税と環境問題をリンクさせて語ることはなかった。もっとも重要な論点だ。片やガソリン価格を下げて庶民の暮らしに資する、こなた、道路財源を確保して地方自治体の窮状に応える。

 端的に言って、アメを誰にあげるかという話に終始した。これが日本の政治を決定的に可笑しくしている要因である。アメもパイもないのだと、どうしてきちんと説明しないのか。

 悲しいかな、お二人ともステーツマンとはほど遠い。

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なぜ中国はダライ・ラマに怯えるのか

2008-04-11 05:25:24 | Weblog
 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が訪米のトランジットで日本に降り立ち、成田のホテルで会見した。

 会見の内容は従来の主張を繰り返しただけで、目新しさはない。「チベットの独立を目指しているわけではない」「北京五輪にも反対はしない。聖火リレーの妨害はよくない」。言葉の端はしには中国への配慮もにじんだ。

 自治区のチベット人やラマ教の僧侶を弾圧し、亡命指導者である14世を「分裂主義の反動」と決め付ける中国政府は、一体、何に怯えているのか。

 13億人の人口を抱える中国は、多民族国家である。しかも、その少数民族は移民などではなく土着の人々だ。多くは辺境に住んでおり、経済的には極めて劣悪な階層である。

 発展する沿海部と好対照をなし、現代中国の矛盾を象徴する地域と言っていい。

 中国の最大の悩みは少数民族問題ではなく、貧富の格差がますます拡大し、大衆にもその現実が明らかになってきたことだろう。少数民族問題と格差問題が密接にリンクしているところに、この問題の根深さがある。

 億ションに暮らし、海外へショッピングに出かける富裕層の存在はあまねく中国人民の知るところとなった。「それに引き換え、わが身は」と慨嘆し、憤慨する人々が登場するのは、むしろ自然であろう。

 大衆の怒りに中国指導部が震え上がったのが、今年の「春節前豪雪」である。中南部では50年ぶりという寒波と降雪で、上海などから帰省しようとしていた多くの人が足止めを食らった。鉄道ダイヤが大混乱したためだ。

 ここで中国指導部は温家宝首相自らが駅頭に立ち、ハンドマイクで「まもなくダイヤを復活させる。春節には必ず帰れるようにいたします」と叫び回ったのだ。

 日本ならJRの助役が担当する役回りだ。しかし、中国では最高指導部が直接呼びかける必要性があった。放置すれば大衆の怒りが暴動に向かいかねないと察知したのだろう。このあたりの感覚は鋭い。福田康夫首相などとは大違いだ。

 
(ただ、この騒動について日本のメディアはなぜか大きくは取り上げなかった。やや詳しかったのは産経ぐらいだ。朝日や共同はベタ扱いに近い。この感覚は理解できない)

 
 ひとたび人民の怒りに火がつけば、収拾が付かない大混乱になる。中国指導部はその恐怖を肌で感じているのだ。胡錦濤主席が、革命時の幹部の子孫からなる太子党と一線を画す理由の一つは「生来の格差」と対決する姿勢を示すことにあると観たが…。

 中国がいま学ぶべきは、米軍による戦後の日本統治ではないか。天皇を象徴に祭り上げて温存し、日本国民の懐柔を策した統治法にである。日本政府がなんと言おうと、今や日本は米国の51番目の州もいうべき立場だ。多くの国民にその自覚がないのは、曲がりなりにも「自治」が行き届いているためだ。

 福田氏は温氏との会談で、そのあたりのことをじっくり語り合ってほしい。もっとも、小沢一郎氏との党首討論で見せた、あの余裕のなさでは大きな期待はできそうもない。
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「靖国」上映中止 もう一つの疑問

2008-04-07 22:18:27 | Weblog
 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が波紋を広げている。

 やめる館あればやる気を出す館あり、で異様な盛り上がりようだ。まあ、この種の問題で侃々諤々の論争になるのは悪いことではない。要は映画も見ないうちから潰しにかかることの理不尽さを皆が共有できればいいということだ。

 それにしても、高輪プリンスが教研集会を断ったのと今回の上映中止は、ほぼ同系統の問題であるにもかかわらず、風当たりは全く違う。ここがよく分からない。

 中止を決めた5館は、規模や経営理念が異なる。例えば新宿バルト9は名前どおり9スクリーンを擁するエンタメ系の映画館だ。この類の館が抗議にビビッて中止を決めるのは、ある意味で自然のなりゆきだ。文化より儲けが先にくるからだ。

 これがシネマートとなると若干、趣が異なる。シネマートの親会社であるSPOは経営理念についてこう述べる。「グローバル化が急速に進む中、世界の国の人々、特にアジアの国の人々と共生することが求められています。私たちは、映像文化を通して国際理解を増進させ、アジアの流通事業者として多様な映像コンテンツが流通できるよう努力することで、笑顔の溢れる平和な社会に貢献したいと考えています」

 多様な映像コンテンツを提供する決意はどうした、と言いたくなる。言葉だけ並べても実際の行為がこれでは、理念そのものを疑わざるを得ない。銀座シネパトスにしても同様だ。

 シネコン系が「問題映画」を排除するのと独立系のそれとでは重みが違うと思う。映画は撮って何ぼ、映して何ぼの世界だ。上映されなければ価値はないに等しい。今回上映中止を決めた各館は、映画を上映することの意味合いをどう考えているのか。

 近年、映画復活が話題になっている。だが、その内実は極めて空疎なのではないか。ほのぼのホームドラマや大スペクタクルにスクリーンが占拠されるようでは面白くも何ともない。

 物議を醸すのが映画と映画館の役割だ。縮こまった社会は映画や文化を遠ざける社会である。これでは中国を笑えない。
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福田内閣は総辞職しかない?

2008-04-06 20:38:14 | Weblog
 福田内閣の支持率がまた一段と低下した。

 毎日新聞が5、6の両日に行った世論調査では前回3月の調査より6ポイント下がって24%。共同が4、5日に実施した緊急電話世論調査では26・6%といずれも政権発足後最低の水準となった。

 ここまでの実績を見れば当然の数字であろう。特筆すべきは産経の調査数字だ。なんと毎日や共同を下回る23・8%だった。
 
 世論調査はRDD(コンピューターで電話番号を発生させ、年齢などで調査対象を確定する方式)で行われており、実施者による差異は出ないはずだが、産経と読売の調査が政権与党に高めに出ることは良く知られた事実だ。

 その産経の調査が最も低かった。内閣支持率が30%を切ると危険水域に入ったとみなされる。3社揃って20%台、産経と毎日では25%を割ったとなれば、福田内閣は「死に体」とみなさざるを得ない。

 支持率に関しては森喜朗元首相が某紙で「私は支持率なんて気にしていなかった。辞めたのは国政が停滞するのを避けたかったから」などと語っている。福田氏に支持率に一喜一憂するなとエールを送ったつもりなのだろう。

 この方にこんな風に言われたら、ひいきの引き倒しもいいところだろう。

 福田氏は首相になるべきではなかった。経綸も抱負も展望もなかったからだ。「父子2代の首相になれればいい」などと思っていたわけではないだろうが、何のために首相になったのか思いが全く伝わらない。政権発足から半年たってもメッセージが伝わらないのは致命的だ。

 プライドが高く、バタバタしないのが福田氏の取り柄だ。党内をまとめきれず、民主党とのパイプもない福田氏は、これからも孤独の道を歩むしかない。そうなれば泥まみれだ。背中に「何も決められなかった最低の首相」というレッテルが貼りつくことになる。その屈辱には耐えられないと見たが…。

 揮発油税の再議決をやって総辞職する。福田氏はそう決意しているのではないか。解散はできない。選挙の顔が福田氏では、自民党がそれを許すまい。

 民主党も小沢氏では具合が悪い。大連立の失敗をはじめ手練手管と突っ張りだけが目に付く。国民からは古い政治家の代表格と看做されている。

 自民党も民主党も代わりがいない。自民党の一番手は谷垣氏なのだろうがは線が細い。加藤の乱の取り乱しぶりを見ればよく分かる。結局、小泉劇場復活、ということにならないとも限らない。

 民主党は岡田氏か。菅氏では新鮮味がない。鳩山氏は得たいが知れない。消去法でいくとそうなる。

 ことはそんなに簡単には進まないだろう。だが、いずれこの構図で総選挙になる可能性は高いと思う。

 さて福田氏はサミット議長を務め上げることができるのでしょうか。

 


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今度は体力テストですか

2008-04-05 06:15:36 | Weblog
 さすが文部科学省というべきか。
 テストが大好きなのですね。昨年復活させた全国学力テストに加えて、今年度からは全国体力テストを始めるという。

 学テは43年ぶりの復活だったが、悉皆調査による「体テ」は史上初めての怪挙だ。今年度以降、毎年実施する方針というから、ご念の入ったことだ。

 ただ、参加するかどうかについては、各学校の裁量を認めているようだ。市町村教委が各校の参加意思を確認するシステムだ。ここは一つのポイントになる。つまり、教育委員が学校にどうアプローチするか、ということである。

 「お宅の学校はどうされますか」。こう尋ねれば学校行事などとの兼ね合いもあり参加見合わせも増えるだろう。ところが、そうはならない可能性が高い。文科省→県教委→市町村教委→学校と流れてくる「体テ」情報は、その有用性を縷々説明しながら繰り返し届けられるだろう。この流れに従えば「不参加」とはいいにくい状況になる。学テ並みの実施率になると考えて間違いではあるまい。

 もっとも、学テに不参加だった犬山市のように体テへの参加を渋る自治体も出てくるに違いない。なぜ全員参加でなければならないのかなど、テストの意図が不明確だからだ。

 犬山市教委の論議では「運動能力の低下は既に明らか。なぜ全員参加の調査が必要なのか」「学力テストと同じように地域間格差が明らかになる」など参加に否定的なの意見が多く出たという(毎日新聞)。


 小学生からお年寄りまでの体力テストは毎年行われている。傾向調査ならこれで十分だ。悉皆調査で新たに分かるのは、都道府県、市町村、学校単位での違いぐらいだろう。早い話がランク付けだ。それを参考に、凹んでいる地域に改善を促す。こういう筋書きではないか。

 文武両道を目指すのが日本男児(女児)ということですか。でも、こういうやり方は子どもたちの逃げ場をどんどんなくしていくことにつながらないか。

 学業も駄目、体力も劣る。コンプレックスに悩む子どもを増やすだけだ。

 土曜の休みがなくなる。英語教育が始まる。勉強の量は増えた。文科省の改革自体が子ども運動や遊びから引き剥がす役割をしている。ここに気づかなければどうしようもない。

 子どもの(大人でもそうだ)体力が教育で養われると考えているのなら大間違いだ。体力は日常生活で培うものだ。いまの子どもたちが柔なのは、戸外活動がめっきり減ったからだ。

 学校から帰ったら、ランドセルを玄関に放り投げて遊びにいく。いささか郷愁めくが、こうした光景を取り戻さないことには、たくましい子どもは育たない。

 テストに金をつぎ込むなら、秘密基地の一つも造ってもらいたい。

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「靖国」上映中止の社説を読む

2008-04-03 06:02:47 | Weblog
 日本在住の中国人監督が製作した映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が相次いでいる。嫌な時代だとつくづく思う。

 テレビはこの問題に冷淡だが、さすがに新聞各社は揃って社説やコラムに取り上げていた。すべてが「上映中止はよろしくない」という論調だ。当然だろう。

 だが、仔細に点検すると、各紙各様、モノは言いようという感じで面白い。

 最も注目していたのは、産経新聞である。国家主義的主張が目立つ産経だが、メディア絡みや言論問題についての発言は他紙より積極的とも思える。しかし、今回はテーマがテーマだけに、苦しさが目に付いた。

 事実関係を述べた後主張子はまず、上映中止を決めた映画館をしかる。「映画館側にも事情があろうが、抗議電話くらいで上映を中止するというのは、あまりにも情けないではないか」

 いきなりこれはないだろう。高輪プリンスのケースとは事情が異なる。どうも産経は事の重大さを理解していないようだ。それは次の一節ではっきりする。

 映画演劇労働組合連合会も「表現の自由が踏みにじられた」などとする抗議声明を出した。憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか。

 憲法の理念が脅かされたからこそ「主張」のテーマとして取り上げたのではないのだろうか。稲田朋美衆院議員らが「試写」を求めたことについても「国会議員として当然の行為」と擁護している。

 NHKの番組に自民党が文句を言えば、理事や局長が頭を垂れて「ご進講」に及ぶのが現状だ。国会議員が束になって、「問題がある。事前に見せろ」と要求すれば、配給側へは相当の圧力となるのは間違いない。街宣車などを繰り出している諸君には大きな援軍となる。

 まあ、産経の主張をざっくりまとめれば、「とりあえず書いておきました。この映画は騒がれる理由もあります」ということだ。

 朝日と毎日は論点は同じだ。ただ、両紙とも「警察の取締りが甘い」などと述べるくだりは、「現状認識が甘い」と指摘しておかねばならない。警察はいつからそんな立派な機関になったのだろう。試写会についても評価も手ぬるい。「映画が政治性や思想性を持つのは当たり前だ」という程度の主張はほしかった。

 読売も稲田氏らに好意的だ。「稲田議員も『私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない』」としている」。

 本当に稲田氏がそう考えているとしたら、政治家とは思えないナイーブさだ。政治家の言説や行動の重みを全く分かっていない。参院内閣委員会で文科省の小役人に噛み付いていた有村氏といい、女性国会議員の質が問われかねない。

 各紙とも上映中止はよろしくない、と述べている。それなら各社のホールで上映会を開いたらどうか。映画館に発破をかけるのもいいが、まずは先鞭をつけるのが大事だ。そうしてこそ、新聞は言論の自由の守り手であり、文化の担い手といえる。
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