もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

薄荷(ペパーミント)

2022-06-20 05:41:52 | 短歌

葉を摘みて湯を注ぎ入れ爽やかな香り楽しむ初夏のあひまに

薄荷油は緑の小瓶に入れてをり一滴加えメタモルフォーゼ

(ドロップに入っていた薄荷飴など、子供の頃から薄荷の香りが大好きでした。)

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【はっか(≒はつか20日)】の語呂合わせと、6月の下旬頃から北海道は爽やかな感じになるとのことから、ハッカの爽快感と掛けて特産品北見ハッカとして展開している北海道・北見市まちづくり研究会が6月20日に記念日を制定しております。

北見ハッカは1902(明治35)年から生産が始まっており、全盛期には世界のハッカ市場の生産約70%を占めるまでに成長した産業でした。

また、例年6月20日前後には北海道北見市でペパーミント・フェスティバルなどのイベントが開催されております。

「薄荷(ハッカ)」は、世界中で栽培される多品種のハーブ。

英語で「Mint (ミント)」、ラテン語では「Mentha (メンタ)」、中国語でも日本語と同様に「薄荷(ボーフォァ)」と言います。

紀元前から栽培されてきたハッカ草は、世界中の人々の生活に計り知れない役割を果たしてきました。

ハッカの特徴は、シソ科特有の正方形の茎形と葉をもむだけで感じられる「スーッ」とした清涼感。

これは草に含まれる「ハッカ油」の主成分「ℓ‐メントール」によるものです。

現在、世界では様々な種類の「ハッカ」があり、その成分やハッカ油の含有量も品種によって異なります。

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祖母の実家が北見にありましたので多分薄荷を栽培していたのではと思います。

祖母の家にはいつもハッカ油があり、虫刺されなどをした時など塗っていた記憶があります。

素敵な緑色の小瓶に入っていました。

コロナが流行り始めた頃、ハッカ油スプレーが良いのではと母に送ってあげたことがありました。

あの爽やかな香りはコロナ菌をやっつけるのでは?そんなことないとは思いましたが・・・わらをもつかむ思いの頃でしたので。

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昨日から今朝にかけて雷が随分鳴っていました。

稲光もして・・滅多にないことですね。

若い頃、物凄い雷鳴と稲光の天体ショーのようなことがありました。

あの時は怖いというより見事な天体ショーに圧倒され見入ってしまっていました。


元号

2022-06-19 05:18:01 | 短歌

人類のたった一人の母なるは遺伝子により探られており

縄文も弥生もすでに高度なる文明をもち生きておりたる

(人類史も単純明快なようです。)

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大化元年6月18日(645年7月29日)、蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号となる大化(タイカ)を定めたことにちなんで制定された記念日。

新暦645年7月20日以後、和暦は平安時代くらいまで基本的に天皇の名を元号に冠す習わしがありました。(一部例外あり)
 
「大化」が初元号として制定されて以来、2022年時点の元号「令和」まで、248の元号が定められております。
 
現在は第126代の天皇です。(徳仁天皇)
 
明治天皇の時代に一世一代の詔発布がされ明治と改元された。
 
それまでは其々の時代の様々な要素によって改元されていた。
 
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実家の戸籍によると初代は安永8年(1779年)生れのようです。
 
言い伝えの歴史はもっと古く、桓武天皇(延暦)(782年-806年)の時代まで遡るようです。
 
日本という狭い国での見方ですと古い歴史を感じますが、地球の人類の歴史はミトコンドリア・イブに始まり約20万年前に遡るとか、こうなると延々と血が受け継がれているのが何とも不思議なことです。
 
狭いものの見方をしている、国家間での戦争はむなしいですね。
 
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母は自分の家はまだ札幌だと思っているらしい。
 
なかなか現状を受け入れるのは難しいのかな~受け入れるのが難しい齢になってしまったようです。

おにぎり

2022-06-18 04:44:05 | 俳句

おにぎりと 鱒の焼き漬け 母の味

(シンプルなおにぎりと母の手作りおかず、夏は鱒の焼き漬け、お正月には鮭の南蛮漬けに。)

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1987(昭和62)年11月に、石川県鹿西町ろくせいまちにある杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から日本最古と目されるおにぎりの化石が発見されたことにちなんで、石川県鹿西町が記念日に制定しております。

日付けは、鹿西から【ろく(6)せい】の語呂合わせと毎月18日が米食の日になっていることから、合わせて6月18日に選定されております。

また、同町は後年に中能登町と名称が変更されておりますが、鹿西町時代におにぎりの化石が見つかったことを引き継ぎ、おにぎりの里として町興しを展開しております。

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おにぎり、私も大好きです。

みんなの推薦 おにぎり レシピ 699品 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが369万品 (cookpad.com)

おにぎりに何を入れるかですね~。

最近は焼きおにぎりに嵌っていました。

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母は施設に戻りました。

扇風機をネットで注文しましたので着いたら施設に持っていきましょう。

バナナ・林檎・納豆・梅干し・煎餅などスーパー袋に入れて持っていきました。

えごまオイルを持たすの忘れた~!


紅花

2022-06-17 05:46:13 | 短歌

赤鼻の末摘花と言ひし子は桜姫とふアニメのヒロイン

(源氏物語の末摘花と妄想のヒロインはリンクするようですが・・?)

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6月17日のお花は紅花だそうです。

紅花は、アザミに似たキク科の花で、古名を末摘花(すえつむはな)、紅藍(べにあい)、久礼奈為(くれない)とも呼ばれ、7月の梅雨の時期から梅雨明けにかけて、真黄色の花を咲かせます。

原産地の中近東からシルクロードを経て、3世紀頃に渡来した紅花は山形で美しく花開きました。

特に江戸時代においては、土も肥えて水はけもよい最上川流域は紅花の一大産地となり、山形の紅花は京都や大阪で大変重宝されました。

昭和57年には、紅花が山形県の花として定められ、山形県民に広く親しまれています。

現在では、加工用品種の「もがみべにばな」や、切花用品種の「とげなし紅花」・「しろばな紅花」などが、山形県内の村山・置賜地方を中心に栽培されております。

ベニバナは風がよく通る環境で育てましょう。乾燥には強く、高温多湿を嫌います。やや低温にも耐えることができ、雪や霜に当たっても枯れない頑丈さがあります。

真冬は流石に耐えられない時期でもありますので、敷きワラなどを株元へ覆ってあげましょう。

ベニバナは20度前後が生育適温となっています。高温多湿の環境にならないように注意して育てましょう。

ベニバナの花言葉には、「特別な人・包容力・愛する力・化粧・装い」という意味が込められています。

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北海道では見たことが無いような気がします。

種で蒔くそうですが、どうなんでしょうか?

山形市の立石寺に行ったとき、紅花と対面して素敵な花だったのを覚えています。

紅花の焼酎漬けも売ってたような気がします。

見ても良し、食べられるとなるとなおさら気になる花ですね。

紅花について:紅花の栽培のしかた|おいしい山形ホームページ (nmai.org)

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昨日はカラオケ教室でした。

発表会もだんだん近づいてきましたので衣装の心配もしなきゃならないし・・肝心の歌もですが。

私はカラオケ仲間から上は紫の衣装を借りていますが、グレーのスカートに合わせてと思っていましたが、めっちゃゃ地味でした。

まあ白髪頭だからいいかね~。


故郷

2022-06-16 05:00:24 | 俳句・短歌

故郷の藻琴山から湧く水の冷たさ今も忘れられずに

(母が申しております。)

遠き日の 西瓜冷たき 井戸の中

(井戸水で思い出すのは西瓜です。) 

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 清浦神社(網走市)

(祖父が植えた杉の木は立派に立っています。)

1914年(大正3年)の尋常小学校唱歌の第六学年用(第5曲)で発表された。

長らく作詞作曲者不明だった昭和40年代に高野、岡野と同定され、1992年(平成4年)からは音楽の教科書に両者の名前が明記されている

高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。

  1. うさぎひしやま
    小鮒こぶなりしかは
    ゆめいまめぐりて
    わすがた故郷ふるさと
  2. 如何いかにいます父母ちちはは
    恙無つつがなしやともがき
    あめかぜにつけても
    おもづる故郷ふるさと
  3. こころざしたして
    いつのにかかえらむ
    やまあお故郷ふるさと
    みずきよ故郷ふるさと

子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っている。

歌詞に述べられている「かの山」は高野の故郷にある「熊坂山」や「大平山」、また「かの川」は「斑川」であるとする説がある

野兎を追ったあの山や、小鮒を釣ったあの川よ。

今なお夢に思い、心巡る忘れられない故郷よ。

父や母はどうしておいでだろうか(「います」は「居る」の丁寧形ではなく、古語の尊敬語「坐す」なので、「ゐます」とはしない)、友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。

風雨(艱難辛苦の比喩とも)のたびに、思い出す故郷よ。

自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日にか故郷へ帰ろう。

山青く水清らかな故郷へ。

この歌は第二の国歌のようです。

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母の故郷は私の家から車で一時間くらいかかる藻琴山の麓にあります。

母の弟の伯父からそこへ連れて行ってやるとお誘いの電話があったそうです。

そこは網走市なのですが網走市から行ける道路がなく小清水町の道路を通って行く、いわゆる僻地です。

母の子供の頃は家も人口もそれなりにあったようですが、今は数件の家が残っているだけだそうです。

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母が二週間ぶりに帰宅しました。

施設の方の訪問を受けてこのひと月のあれこれを伺って要望もお話ししてと、なかなか大変なことです。

母はおしゃべりなのですが、夫が晩酌をしながら付き合っておしゃべりしています。

父が生きていた数年前まで、ビール一缶を二人で飲んでいたそうです。

先日も弟たちとの会食の時、芋焼酎を夫から貰って飲んでいました。

凄いよね~びっくりポンです