本日は1月14日です。
12日に春の大祭を無事に終えさせて頂きました。
うちの大教会では、大教会からの巡教は直属の教会にのみ、年に2回(春秋の大祭)になっています。このコロナ禍で、その巡教も希望される教会のみとの事になっています。
昨年の秋の大祭に対して、うちの信者さんに対して「巡教をどうしますか?」と尋ねました。
一人は、「会長さんだけではなく、他の先生の話を聞かせてもらいたい。」との事でした。
他の人は「会長さんが決められたならば」という声でしたが、その中に言葉には出さないが、曇った顔をされる方がありました。
その方に尋ねると「でも、コロナですし。。。」との事でした。
その方は、うちの教会へ来るのには、全くマスクもなく(外ではマスクをチャンとしておられます。)おつとめをされるのです。また、私たち夫婦がそのお宅での講社祭をさせて頂くについては、とても歓迎して下さり、共々に12下りのおつとめをさせて頂いているのです。
また、その方は親神様の不思議を親に導かれて、いくつも体感されてきた方です。
その姿を見て、この教会や私たち夫婦を信用して下さっているが、大教会からの巡教については信用されていないと感じました。
そこで、「今回はなしにします。春の大祭には受けられるように御守護頂きたいと思います。」としました。
そして、今回、第3波で緊急事態宣言が出されるかどうかという瀬戸際の大祭です。
大教会長さんに来ていただき、全員がマスク着用の上で、つとめました。(9名だけのおつとめです。)
うちの教会では、参拝の仕方はそれぞれに任せてあります。
前日に参拝に来て、お供えを届けて下さっている方、月次祭当日に参拝だけで帰られる方、夜に参拝だけに来られる方など、少しの信者さんですが、それぞれ信仰で行ってくださっています。
これらの方々は、親々の信仰から感じて、それぞれ心で行われています。
これらすべて、親神様がご覧くださっています。それぞれに成人の度合いは違うのです。
長年教会に通われて年齢を重ねた方だから成人できている。(親神様の思し召しに近い歩みが出来る)とは限りません。
こうした事は、教祖のひながたの中、先人先生方の歩みを見れば重なる事ばかりです。
今月の婦人会で、妻に不思議を見せて頂きました。
最近足が痛み、正座が出来なかったのです。それが、婦人会の時、神様のお話をしあっている時に、不思議と正座が出来ていたのです。
妻の足の身上については、教祖130年祭の前に見せて頂いています。(心思う事があり、それによりすぐに痛みが無くなったのですが、不足をしたらすぐに痛みが戻った事がありました。)
本当に親神様は、見抜き見通しであります。そして、陽気ぐらしが出来る心に代わるようにと、様々とメッセージを下さっています。
しかし、そのメッセージを読み解けるかどうかは、それぞれなのです。
ともかく、信者さん方には、妻の足の話をして、私たちは親神様を知っています。しかし、どんなことが起こるか分かりません。心倒すような事も起きると思います。けれども、親神様が天から降ろして下さっている綱を離さないで下さい。と話しています。
教祖のひながたでは、「おふでさき」に「火の中もあり渕中もそれを越したら細い道あり 細道をだんだん越せば大道やこれがたしかな本道である」と書かれている通りに、心倒すような中も通られているのです。その中も親神様の思いに沿って歩まれたのです。
楽々の道ばかりを求めていては、反対になってなってしまうとも聞かせてもらいます。
今日は支部例会の日ですが、緊急事態宣言が出されましたので、中止として資料配布と、時間をずらして個別での、年末調整事務を行う事になっています。
一神教か、多神教かという事について書きたいと思っているのですが、時間がありませんので、後日書ける時があれば書きたいと思っています。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。