「八つのほこり」は、『教典』や『信者の栞』に説き分けられているが、余りにも簡単に書かれており、十分に理解しにくいかと思う。
そこで、『正文遺韻抄』に、この「八つのほこり」についてもう少し詳しく書かれている。
正文遺韻抄を読んでもらえれば良いのだが、読みにくいと思うので、私が今の言葉に書き換えたものがあるので、それを掲載する。
ほこりごとに、ファイルを分けておく。
八つのほこり。。1。「ほしい」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。2.。「おしい」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。3.。「かわいい」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。4.。「にくい」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。5。「うらみ」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。6。「はらだち」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。7。「よく」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。8。「こうまん」 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
八つのほこり。。こうまんに追加。「うそと追従これ嫌い」。。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
また、
『信者の栞』の「八つのほこり」には、ほこりを説き分ける前に、次のように書かれている。
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八つのほこりと聞かせて頂きまするは、をしい、ほしい、にくい、かわり、うらみ、はらだち、よく、こうまん、の八つでございまして、この八つのほこりの心というは、日々に、知らず/\の間に使うものでございまして、知らず/\の間に積り重なり易きもの故に、ほこりとお聞かせ下されるのでございます。
そこでこのをしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん、の八つは理のかどめを仰せられましたのであります故に、をしいと申しても、幾重にも、ほこりの道はございます。ほしいと申してもその通り、その外皆同様で、ほこりの心や、ほこりの行いは、幾千筋あるともわかりません。
さればその幾千筋とも限られぬ、ほこりの心、行いを一々申し述べるはなか/\出来得る事ではありませんが、ほこりでなき事を、ほこりと思い違えたり、ほこりのことをほこりでないと考え違えてはなりませんから、そのかどめを申し上げます。
・・・・・・・
と書かれている。
大切なのは、下線を引いた部分。
① この八つのほこりの心というは、日々に、知らず/\の間に使うものでございまして、知らず/\の間に積り重なり易きもの
② ほこりの心や、ほこりの行いは、幾千筋あるともわかりません。
③ ほこりでなき事を、ほこりと思い違えたり、ほこりのことをほこりでないと考え違えてはなりませんから、そのかどめを申し上げます。
と思われる。
①からは、自然に、知らぬうちに使っているから、常に注意と払う事が必要と言える。
そして、②から、ほころは、心遣いだけではなく、ほこりの行いもあること。そしてそれは言い尽くせないほどのものであると言える。
さらに、③の「ほこりでない事を、ほこりを思い違える」という言葉から、例えば「ほしい」という言葉で表される事柄すべてが悪いのではない。「ほしい」という言葉で言われることにも善悪があり、それを分けるための、門目(かどめ)指標となるものを「八つのほこり」として示すと言われている。
また、この「八つのほこり」の言われている順序は、『信者の栞』では、「をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」となっているが、『正文遺韻抄』では、「ほしい、おしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」となっている。
どうして、このような順序が気になるかというと、
昔のおたすけについて、書かれている本を読むと、「十柱の神様のお嫌いなほこり」という表現で、十全の御守護と八つのほこりを対応させて、身上から反省する心遣いを探るものが結構ある。(道友社からの出版物には見受けられない。)
その対応については、その書かれている本によって多少の違いがあるように思われるので、絶対にこうだという事は言えないと思う。
けれども、そうした考え方をして、心を反省して、御守護を戴いて来た事実は知っておく事は重要と思う。
私自身も、そうした十柱の神様の働きと、ほこりのつながりを思案して、なるほどと反省をして御守護を戴いたと思っている。
ふしぎな御守護を戴く参考になればと思う。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。