10月8日 本部神殿奉仕をつとめさせて頂いた。
以前より、神殿奉仕をさせて頂いている間に、色々と思い浮かばせて頂くことがある。
今回も色々と思い浮かばせて頂いた。
そのきっかけがFacebookの投稿だったので、忘れないうちにFacebookに投稿した。
それを今回記録しておく。
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おはようございます。
10月8日 本日は本部の神殿奉仕です。
先ほどの朝勤めが終わりました。
朝みたある方の投稿に、「通りかえしですね」とだけコメントした。
この方は、教会の師弟のようでそれもまた、とても厳しい教会のようで、様々な苦労の様子を書かれていた。
そして、朝勤め中、
「因縁ならばとおらにゃならん。」
という言葉が浮かんで頭から離れなかった。
その投稿を見てひとつ思ったのは、おやさまが初代真柱様に対しての話である。
それは、初代真柱様は色々な勉強をしたくて、大きな町へ行かれたかったようで、その事をおやさまに申し上げると、おやさまは、だめだとは言われずに、「ワシも一緒に行きましょう。タマさんもおいで」と言われたとの事で、それを聞いた真柱様は思いを変えられたという話である。
また、もう一つ思ったのは、親が子供に色々な事を押し付けるのは、教会に限った事ではないと言うことである。
裕福な家庭であっても、親はよかれと思って習い事へ行かせたりする。
裕福ではない家庭では、何とか食べさせたいと、共稼ぎで働きに出て、子供は寂しく留守番をしたりした。
これすべて、親は悪くしようとは何一つ思っていない。親によっては、子供のことは思わずに、自分勝手にして、他の人が手助けをする家庭もあるほどである。
私は、椎間板ヘルニアをして、10日程寝た切りに成ったことがある。
痛み止を飲んでも治まらず、注射を打ってようやくトイレへ行ける状態だった。
ベッドに寝ながらこんな状態になるのはどうした事かと考えていた。
その時に浮かんだのは、自分の性分だった。
私の幼い頃の性分は、学校の先生の言葉は絶対だった。悪いもなにも考えず、親よりも先生だった。その事を思った時、時代劇に出てくる牢屋で、無実の罪の人に対して、石を抱かせて折檻する牢屋の役人が思い浮かんだ。
ほこりの心が拭いても掃いても取れなくなったのがいんねんである。
自分で判断せずに、罪もない人々を苦しめた通りかえしか。と思えた。
すると、何処と無く楽になったような気がして、その夜ベッドに座れるようになった。
とても不思議だった。
それ以来、前生からの持ち越しのいんねんで様々なことが起きていると得心をした。
悟るまでが大変である。この後もっと大変なことが起こり、それまで以上に動けなくなったことを思うと、渦中にある人々の大変さも良く分かる。
しかし、今書きながら、、、悟ることを推理と考えたら面白く悟る作業が出来るのではないかと思えた。
こらから着座します。
今日も一日よろしくお願いいたします。
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上記の投稿をしたところ以下のようなコメントを頂きました。
そして、その投稿を読んで、着座をしていたところ、また思い浮かばせて頂きました。
◆◆◆
『いんねんか。いんねんね。
人間、生きてる以上、いんねんのない人間は、いないでしょうね。
陽気にくらすのを見て、共に楽しもと、思われて、宿仕込みも、いんねんですからね。
良いいんねん、悪いいんねんは、ある。
後悔ないように生きるしかない。
精一杯、生きる。かな。
うちは、精神疾患が多く、色情いんねんと、言われてましたね。
人を困らせる色情いんねん。
人に迷惑をかけない、独身も、色情いんねん。
見えるいんねんと、見えないいんねん。
あるんですよね。
人と関わるいんねんの方が、楽しいよ。』
◆◆◆
『そうですね。
すべては八つのほこりの、こびりついたのが悪いんねんで、それが元で事情が身上が起きています。
反対に人を助けよころばせば、良い心遣いで、積み重なれば良いいんねん、徳となり、自ずと自然と喜べる事が現れる。
その良い思いの大元が、「陽気暮らしを見て共に楽しみたい」との元のいんねん。
ここまで書いて、着座してたら、「色情いんねん」の言葉が思い浮かんで、その元は何か?と思ったら、自分中心の我が身可愛い。と思い当たった。
いままでこんなことを考えたことはない。
夫婦はじめた、それは陽気暮らしのため、夫婦は自分勝手では喜べない。相手のことを思って自分を自制する心が必要となる。
一番喜ばせやすく、一番悲しませやすい。
特に女の人は、愛情が深い分、反対のうらみの心を持ちやすい。
おやさまは「癖性分を取りなされよ」と言われた。
癖性分は取りにくい、つまりは悪いんねんと言えるだろう。
今盛んに、依存症が言われているが、これもいわば偏った癖性分。
先人はご守護を頂きたいと、難儀構わずお屋敷へ足を運び教えを求め、心に入ったことをひとつずつ実行していった。
そして、薄紙はぐように、それぞれの家のいんねんが切り替わって来ている。
思いつくままに。失礼しました。』
親神様・教祖ありがとうございました。