本日は10月3日、埼玉のホテルから書いている。
今日、この後、教会の任命・教会移転について相談をするために、昨日埼玉入りした。
そのついでに、フェイスブックで知り合いになった、山中湖にある教会の会長さんの所へお邪魔して、色々な信仰談義をさせて頂いた。
午後1時から、ホテルへ入るためのギリギリ午後6時まで、様々なお話を伺い、話し合いをさせて頂いた。
先生の信仰を培ってこられた足跡をはじめ、大教会や教会の事情、理づくり、どうしてこのような状況になって来たのか、これから先は。などと、話題は尽きず、とても有意義な時間を頂いた。
その話の中で、「先生の知識の元は何ですか?」というような質問があった。
その時とっさに応える事が出来なかった。
伊藤先生は、天理教の一時代を担った柏木先生や常岡先生などからの師事によるものとの事だった。
今これを書きながら、思い返す時、
私の神様を求める元は、教校で教えられた事に加えて、原典であり、先人それも教祖のお側におられた方々の手記が中心である。その中でも高井先生が話しておられた「いんねん」が何といっても、大きいように思う。
ただし、私の場合は、教えられたことをそのまま鵜呑みにはしていない。
私の性格上、納得がいかないと、本当だろうかと、その事の証明を探り、確信をしたいのである。
そのために、おふでさきやおさしづ、そして先人の歩みをひも解いていると思えたのである。
このような事を書き始めたきっかけは、高井先生の「前生の通った通りに、時間も場所も違うことなくいんねんは現れて来る」という話しを思い出したからである。
いんねんは、心の道で、前生の心通りに白いんねん、悪いんねんとしてあらわれて来ると、これまで自分自身の身上事情、その御守護に至る悟りからそのように思えている。
ただし、「時や場所などまでも違わずに」という事については、そんなことまでも。。。と思っていたのである。
ところが、
先日来「復元」の研究するグループに投稿していたおさしづ、それが刻限のおさしづであることを思った時、この時が定まっているという話しがその通りだと思えたのである。
どういうことかと言うと、
まず、天理教が立教するに至った重要な要素の一つに「旬刻限の理」がある事は、天理教の人ならば重々承知のはずである。
旬刻限の理とは、「宿仕込みの時の子数の年限が経ったならば、元の屋敷に連れ帰り。。」という、約束の年限の事である。
つまり、定まった日があるという事がここで分かるはずである。
そして「約束」というのは、言い換えれば「誓いを立てた日」「定めた日」があるという事となるだろう。
ここでは、その約束が子数の年限「9億9万999」と言われているのである。
この「思いを定めた」という事を、人の心の動きに照らし合わせて考えると、嬉しく思ったり、悲しく思ったりして、そのお返しをしたいと思った事、それをいつ頃にしたいと思えば、それが定まった日にちとなると思えたのである。
今回、伊藤先生ご夫妻に色々とお世話になり、このお返しをさせて頂きたいと思った時、これが一つのいんねんとなり、いずれかお返しをする時が来る。
今世では十分なお返しは出来なくとも、来生・来々生には。。となると思えたのである。
そして、その時は、今日思ったら、今日というこの日時が定められるのかは分からないが、定められるという事は、刻限のおさしづに、「刻限が遅れている」という言葉があったり、お産について「心通り願い通りに」延ばしなりとも早めなりとも。。と言われる事から、定められていても、親神様の采配によって人間の都合に合わせて前後されると思えるのである。
昔の先生方は、何も分からず、ただただ教祖の言われることをそのままに覚え、そのままに伝えた先生方が多い。
敷島の初代会長 山田伊八郎先生は、そのままに書き留めると心定めて、お話を頂かれるようになった事を思うと、昔の先生方の遺された逸話、話がどれだけ重要であり、あとは私たちがどれだけ、その言葉から親神様の思い、天の理を悟れるかが、これからの将来を決めると、あらためて思った。
悟り方はそれぞれである。
それでよい。それによって現れてくる行動が、次の世代が思案する材料になる。
なるよういくよう。本日も勤めたいと思う。
親神様・教祖よろしくお願いいたします。
時間がないので、見直さずに投稿する。
適当に読んでくださいませ。
もし、私の届かぬ考えが、皆さん方が悟るための一つのヒントになれば幸いです。