今日は3月25日 大教会の役職の上から、お運びの世話どりをするために、昨日の晩から詰所へ来ている。
今、事情運びは、25日か26日に行われるようになっているが、今回の教会が25日のお運びとなったためである。
さて、18日が部内の月次祭で、今回は一斉巡教を受けた。
会長が亡くなって5年余りとなるが、後継者が会長になる心を定めて、ようやくその段取りがついて、教会長資格検定講習を受ける運びにまでなった。
会長が出直してから、後継者には祭文を読んでもらって、会長の代わりに会長挨拶として一言話をしてもらい、月次祭での会長の役を一つずつ学んでもらってきた。
この会長の代わりに話しをする事については、亡くなった会長さんに必ず話をしてもらって来て良かったとつくづく思っている。
亡くなった会長さんが、会長に就任したのは、私が会長になって3年余り後であった。
この時も、前会長婦人である、亡くなった会長さんのお母さんは、「継いでくれるだろうか」ととても心配していた。
私も少し前にもう一つの部内が、後継者となる人たちが誰一人として会長を継がなかったために、移転改称として無くなった事から、どうなるだろうかと思いつつ過ごしていた。
そうしたところ、定年を速めてしごとを止めて、修養科・講習と出られて、会長に就任して下さった。
私の母親とほぼ同じ年齢である。
私は立場としては上級の会長であっても、何といっても若いのである。
ましてや長男さんと同じ年である。
そんな若造のいう事はまずもって聞けないのが普通である。
そうした中に、先ほどの月次祭でのお話である。
初めは「私には出来ません」と断られた。
人付き合いはとても良い方で、雑談は次々と出てくるのであるが、人前での話は苦手の様であった。
そこで、「話をされた後で、私が必ず話をして間違いは訂正しますので」として承諾してもらい、続けて来た。
いつも「おたすけが出来ませんが」などと話される。
教会から特別のお願いとして、身上者のお願いはされるが、おたすけにはほぼ行かれなかった。
あまり動く気配がないので、心配になり私が時折、そうした信者さん方の所へおさづけに出かけて、その様子なりを、会長さんの話の後に話しをしてきた。
お陰様で、その部内の信者さんの事も良く分かるようになり、部内教会のいんねんも分かるようになった。
そうした中のお出直しであった。
後継者には話をするように言わずとも、話をする物だ思っていたようで、難なく話をしてくれた。
亡くなった会長さんよりも、まとまった聞きやすい話をされる。
それだけを見ただけで、「一代より二代」という逸話編の言葉をその通りだと思えたのである。
急いて急かぬ道。
自然に成り立つ道。
無理は理がない。
続いてこそ道。
短気な私は、
自分の身上から思いを変えてきた。
今では、出来る事を一つずつ。
今日一つできたら結構。とつねに自分に言い聞かせて、歩んでの今日である。
周囲からはとても歯がゆく見えるだろう。
しかし、親神様の不思議なお働きは、常に人を変えて見せて頂き、この部内教会に集う信者さん方には、その親神様のお働きが心の支えとなっている。
今日25日のお運びは、15時30分に御用場集合である。
今日も一日よろしくお願いいたします。