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【清らかな所へ】
斯道会が発足して、明誠社へ入っていた人々も、次々と退社して、斯道会へ入る人が続出して来たので、明誠社では、深谷源次郎さえ引き戻せば、後の者はついて来ると考えて、人を派して説得しようとした。が、その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。それで、講中の藤田某が、おぢばへ帰って、教祖に伺うと、
「前生のさんげもせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、又、泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた。」
と、お言葉があった。
p247
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※斯道会(しどうかい)・明誠社(めいせいしゃ)
天理教事典には、この項目での説明はなかったが、「深谷源次郎」に書かれていたので、それを記載して理解の一助として置く。
深谷源次郎は、明治14年に入信をしているが、その2か月後に、奥六兵衛を講元として「天倫社明誠組」(明誠社)が作られる。その会計として源次郎はつとめていた。その中に不思議なお助けを頂き、心を定めて白熱的なお助け活動を始めて、信者が増えて行った。
ところが「明誠社」の講元が信仰を踏み外すようになり、何度かいさめたが、声は届かず、源次郎は「明誠社」を脱退して「斯道会」を結成して講元となった。
この逸話編は、その時の話である。
また、逸話編141 『ふしから芽が切る』は、「斯道会」結成する時の話である。
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「天理教事典」を以下に張り付けておく。
以上。
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