昨日、26日はご本部の月次祭でした。
詰所ひのきしんの合間に、ご本部の参拝に行かせて頂きましたが、それ以外の用事が教庁にあり、参拝前に教庁へ立ち寄り、そこから神殿へ歩く事としました。
普段では絶対に歩く事の無いルートでの参拝となりました。
なかなかおぢばへ帰られない方々のために、動画を撮ろうとして、
親里大路を渡ったところから録画を始めました。
すると、雅楽の音が止まり、祭文が始まりました。
黒門があったところあたりに立ち止まって、祭文を録画する事が出来ました。
録画しながら、祭文の内容が変わってきている事に嬉しさを感じました。
その後、東礼拝場へ上がり、かぐらづとめだけ参拝をして、残りの用事を済ませて詰所へ戻りました。
順調に用事がすみ、詰所ひのきしんへ戻れた事などなど、親神様の不思議なお導きにお礼申し上げるばかりでした。
総てのひのきしんを終えて、迎えの車を待つ間、以下の事をFacebookに投稿しました。
そして、今朝27日の朝づとめのおふでさきが気になりました。
これまで、コロナや世界の戦争などから、親神様のざねん立腹のおふでさきばかりが心に留まっていましたが、
今回は、そのざねんが張れたあとの筋道についてのお話だと思えたのです。
そこで、以下に記しておきます。
ちかみちもよくもこふまんないよふに
たゞ一すぢのほんみちにでよ (5-30)
このみちについたるならばいつまても
これにいほんのこふきなるのや (5-31)
にほんにもこふきがでけた事ならば
なんでもからをまゝにするなり (5-32)
このよふをはぢめてからのしんぢつを
またいまゝでハゆうた事なし (5-33)
このはなしむつかし事であるけれど
ゆハずにいればたれもしらんで (5-34)
たん/\とどのよな事もゆてきかす
心しずめてしかときくなり (5-35)
いまゝでハいかなるほふとゆうたとて
もふこれからハほふハきかんで (5-36)
これまてハゑださきにてわほふなぞと
をしへてあれどさきをみていよ (5-37)
にほんにハいまゝでなにもしらいでも
これからさきのみちをたのしゆめ (5-38)
ほふやとてたれがするとハをもうなよ
このよ初た神のなす事 (5-39)
どのよふなむつかし事とゆうたとて
神がしんちつうけとりたなら (5-40)
いまゝでハからやにほんとゆうたれど
これからさきハにほんばかりや (5-41)
ゑださきハをふきにみへてあかんもの
かまへばをれるさきをみていよ (5-42)
もとなるハちいさいよふでねがえらい
とのよな事も元をしるなり (5-43)
ぢつやとてほふがへらいとをもうなよ
こゝろのまことこれがしんぢつ (5-44)
にんけんハあざないものであるからに
めづらし事をほふなぞとゆう (5-45)
いまゝでハ神があらハれでたるとて
まだしんぢつをしりたものなし (5-46)
このさきハどのよな事もしんじつを
をしへてをいた事であるなら (5-47)
それからハ神のはたらきなにもかも
ぢうよじざいをしてみせるでな (5-48)
しんぢつの神のはたらきしかけたら
せかい一れつ心すみきる (5-49)
はたらきもいかなる事とをもうかな
心うけとりしだいかやしを (5-50)
このかやしなにの事やとをもうかな
みちのりせんりへだてありても (5-51)
この事ハなにをゆうてもをもふても
うけとりしだいすぐにかやしを (5-52)
このかやしなんの事やとをもうなよ
せんあくともにみなかやすてな (5-53)
よき事をゆうてもあしきをもふても
そのまゝすくにかやす事なり (5-54)
この事をみへきたならば一れつわ
どんなものでもみなすみわたる (5-55)
・・・・
すべては、親神様の天理の中に生かされて、お互いが学び合っているのです。
今日も一日よろしくお願いいたします。
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