今日は支部例会が午後からある、昨日と先ほどまでで例会の準備が出来た。
YouTubeでニュースを見ていたら、昨日8月6日が広島での原爆の日だったことが話題になっていた。
今から30年ほど前、広島の布教の家にいた時の事。
においがけをしながら色々な人に出会った事を思い出した。
広島には、原爆の慰霊塔などもあり資料館がある。
それにより、当時の悲惨さをとても感じていた。
それを慰める上にも記念式典は大切なものだと思っていた。
ところが、そうした記念式典には参加しない。式典の前に慰霊に行く。という広島に住む人に会った。
話しを聞いて見ると、「式典は政治的なものだ。利用されているだけだ。」という話しだった。
私にはその意味がさっぱり分からなかった。
しかし、先日、オリンピックの代表が訪問した時の様子、また、左派の人々が式典の時に騒いでいたという話しを聞いた時に、ようやく30年前の話が理解できた。
原爆で犠牲になった人々もそうであるが、多くの戦争で何も非の無い人々が命を落としている。
「謀反の根を切ろう」と親神様は言われているが、謀反を自分たちの利益のために、わざわざ起こす人々がいる事を知った。
原爆はいけないと言いながら、原爆で威嚇をする。
団体名を変えて行動をしているので、表面の言葉だけでは分からない。
しかし、すでに多くの人々が分かってきている。
人は自分の行いを正当化するものである。
そのためには平気でウソをつき、人々を惑わす。
そうした人々がいる事。
それが今、多くの人々の前に公けになり始めている。
そして、これらを知った時にそれぞれがどのような対応をするかが、これからの問題だと思う。
人のウソを知ると、その人を信用する事は出来なくなる。これは団体に対しても同じである。
そうした時に、ウソをつかれた人々の心が問題になってくる。
大難は小難に治まる事を願う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます