昨日、おぢばより帰ったら、布マスクが届いていた。
まず目についたのが、配達されたうちの住所が無い事だった。
ポストに入っていた事、料金後納の印がある事から、郵便局の人がポストに入れられたのだろう。この地域が配達の地域だったのだろう。と思われた。
そして、中を見ると、
「みなさまには、新型コロナウィルス感染拡大防止に向けた取組にご協力をいただいていることに、感謝申し上げます。感染拡大を防ぐため、これまでどおり、「3つの密(密閉・密集・密接)」を避けていただくとともに、「新しい生活様式」を実践いただくようお願いいたします。」と書かれていた。
このマスク配布が始まり数カ月たつわけで、この文を読むまで、数カ月前の文が書かれていて、当時の様子がタイムカプセルのように見れるのではないか。と思っていたので、マスク以上に、その都度バージョンアップされたであろうこの文面が、とても重要だと思った。
さらに、
「その際、自分は感染者かもしれないという意識をもっていただき、症状がない人でもマスクの着用をお願いします。」とある。
ココが本当に重要である。
おぢばで、奉仕をしながら、「もうマスクはいらないと」マスクをされていない方と話をさせて頂く機会を得て、「マスクはかからないためにするのではなく、人に感染させないようにするためのものですよ。飛まつになって漂っているウィルスをマスクでは防げないです。症状が出て居なくても感染するのです。どこで感染するかは分からないのですから、飛まつになる前に、唾液の状態で閉じ込めておくのです。」と細かく話をすることとなった。他の場所でも、同様の説明をされている方があった。
すると、「人を助けたいという行動が、巡って、自分を助ける行動になるのだよね。」という言葉が他の方から聞こえて来た。
顔を合わせながらの、こうした言葉での説明が大切だなぁとも感じた。
「もうマスクはいらない」という報道も見たが、マスクを買えない人もあるのである。そうした人に、こうした対策を伝えながら、いらないマスクを渡すようにすることの方が大切な事ではないかと思った。
学校が始まり、子どもがマスクを着けて行く。不織布のマスクを着けて行くのだが、どんどんなくなっていく。
私は不織布のマスクと布のマスクを何度も洗いながら使っており、その姿を見ているはずだが、一向に洗っているような感じはない。そして今朝、妻が「周りの子は、布のマスクをしているの?」と聞いた。「半分づらいかなぁ」との事。「ならば、今日あなた専用のマスクを作るから、それをして行って。うちではマスクを買うのは大変だから」と。
その子の性格がある。周囲の雰囲気に合わせる事も大切。妻の言葉が嬉しく思った。
また、田舎の実家へ、90才を超える母親の見舞いに行こうとされた方が、「愛知から来たという事が知れると、周囲が良く思わないから遠慮してくれ」と言われて、行くのを断念した。と聞いた。緊急事態宣言が解除されて、愛知県の新規感染者が0を続けていても、情報が十分に行きわたり、理解されていなければ、致し方ない事だと思った。
情報の収集力、理解力、これも地域、人によって差があるのである。
テレビの報道を見ていて、この差が、ニュースキャスターやリポーター、製作者にも顕著に感じられる。
取材する側の見識・思慮の差によって、事実がいがめられたり、偏見を生んだりすることが、本人たちが気づかずに行っているとも感じられる。
こうした差をなくすこと。偏見や誤解をなくすためには、話し合う事が大切だと思う。それも、説き伏せるリベートと言われるものではなく、相談・練りあうという事が重要だとも感じる。
親神様。どうぞ一日、世界の上に、御守護を宜しくお願い致します。
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