今日は5月14日
12日が月次 祭で、6人でのおつとめだった。
それでも、先月の事を考えて(地方をしていても、音程が不安定になって、とても歌いづらかった)男鳴物ばかりにせずに、琴を入れてつとめた。
すわり勤めと前半は、地方が拍子木を打ち、チャンポンと太鼓と琴。おてふり2人。
後半は、地方が拍子木、スリガネと太鼓、そして一下りだけ三味線を入れたが、音が今一なので、琴に代えて最後までつとめた。
いつもならば、それぞれ好きな所へ着いて下さいと言って勤めてもらうのだが、今回は、女鳴物で地方の音程をしっかりと取りたかったので、いつもならば、後半下りの琴をされる方に、すわり勤めから琴を弾いてもらった。
定まった音がある事で、地方がとても歌いやすかった。
後半下りは、うちの奥さんが三味線に座ったが、音が安定しなかった(どうしても3の糸が下がってしまう)ので、琴に代えてもらったのである。
さて、このような事を考えるに至った経緯を書いておく。
私には元々絶対音感というものは無い。
しかし、高校の時にマーチングをやっていたおかげで、音が合っているかどうかは分かる。
ただし、声を出して歌う事は、基本の音が無いと、どんどん変化してしまう。段々と音が下がって、最後は歌えないような音程になってしまうのである。
数カ月前、フランスにいる弟から「みかぐらうたの地方のない音源はないだろうか?」と聞かれた。地方の練習用にとの事だった。
探してみたが、公にはない。
そこで、本部神殿奉仕の時に、音楽に精通される先生方に聞いて回った。
そして、三代真柱様の地方を楽譜にされた先生があり、その方から色々な事を教わる事になった。
そして、楽譜とCD,さらには、カラオケを作っておられる方があり、その試作も頂いた。
そして今月の神殿奉仕で、みかぐらうたの地方について、より一層話を聞かせてもらい、以前このブログにも紹介した、昔の鳴物練習譜の話から、地方と鳴物についての勉強をする機会となったのである。
その勉強した内容の一つに、「教祖が教えられた鳴物で、当時の譜面があるのは琴だけである」という事を知った。
また、スリガネのリズムが今とは違う事から、「ちょとはなし」の歌い出しが違っていた事も知った。
そうした事から、女鳴物の音程がどれだけ重要かとも思ったのである。
そして実際に後半下りの地方をして見て、何と言っても琴の音程がとても重要だと気がついたのである。
琴は一度合わせたら変えることは出来ない。また変わっては困るのである。
他の三味線や胡弓はすぐに糸が緩んだり、押さえる位置が定まっておらず、人間の感覚で合わせるところが多分にある。
笛も息や口の加減で音程は微妙に変化するのである。
さらに、地方と女鳴物の歌い方は違う。けれども、合うのである。
こうした点を考えた時に、天の理と人間が結びついたのである。
天の理は絶対に狂わない。天の法則が狂っては困る。
この天の理が琴の音程であり、その理に沿って、他の楽器があり、心地よく歌う地方が人間のように思えたのである。
月に一度しかしない、数人のおつとめであるが、親神様が心勇むために、心澄ますために教えられたおつとめの素晴らしさを実感したのであった。
教祖は、女鳴物を教えられる時に、世界から教えられるのではなく、屋敷から教えると言われた。
世界で使われている楽器や奏法であるが、その奏法が正しいとして教祖の教えられた物を見ては、ならないとも思った。
例えば、陽音階と陰音階と言われるもの、また雅楽などで使われる音階など、世界には様々ある。
これらはすべて、親神様のお心を知るための、修理肥と考える事が重要だという事である。
不思議なお導きにより、また学ぶ楽しみが増えた月次祭であった。。
追記・・・・
毎月順番に、話をしてもらっているが、この話がまたとても良く、その話を元に教祖のお話、その方々の親御さんが昔から話していた言葉を説明させて頂いた。
また夜、弟が突然に来た。
弟は今月のはじめ3日と5日に、ご本部の朝づとめに参拝に行って来た。
コロナを怖がり、私たちと会う事も控えていたが、「親神様に真剣に願う心へと変わったのだろうか。」と思い、ありがたく思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます