今、次々とワクチンやオリンピックの事で、これまで信頼していたものが崩れて、「正直者は馬鹿を見る」と思う人が多いかと思う。
私も数カ月前までそう思っていた。
その前は、政治に関わる事は必要ないくらいに思っていたが、日本の政治ほどいい加減な事を思い知った。
ワクチンにしてもそうである。現場の医療従事者は何とかしなければと、必死に言われるままに対応しているが、上の者たちのしている事にはうんざりする。
自分の自分の欲得のために、その人自身でする事ならば何とも思わないが、人の命をもて遊ぶ姿勢は許しがたい。
しかし、彼らを信じ切っている人々を説得するだけのものを持ち合わせない事がとても残念ではあるが、反面、どうして自分がこうなったかを振り返ると、???が出てくる。
私自身、当初はそんな馬鹿な!と思っていた。
政治や医学会がそこまでのものとは思っていなかったから。
ところが、どんどんとその証拠が出てくる。隠蔽する姿勢が見えてくる。
自分が信頼していたものが崩れる事、またその悪事が分かる事がどれだけ辛いかも知った。
真実ならば隠蔽する必要はない。隠蔽せずに謝罪をするだろう。
真実ではないから隠蔽して、知らない人を操ろうとする。
もうすでに、インターネットを使用して自分で調べている人ならば分かっている事で、この辛さも分かるだろう。
しかし、辛さに負けて「そんな事はない!」と決めつけて、真実をつなぎ合わせないと、そこで止まってまた元に戻ってしまう。
不思議なものである。
「人間というものは。。。」と昔学生の頃、朝礼で主任先生が言っていた。
「人の心いうものは疑い深いものなるぞ」これは「みかぐらうた」に出てくる。
だから、神様は証拠を出して、神を信じるようにとされた。
ところが、この信じるという事を人間に向けすぎてはならない。
「八つのほこり」とは、自分勝手に知らず知らずに悪い心遣いを人間はするから、それを注意するために教えられたものである。
つまり、「人は自然と悪い事をするものである」と教えられている。
ところが、これを自分だけに当てはめて、自分だけを良くすればよいと思い込んでいた。
「ほこりはよけて通れよ」と言われる。この事を心に置けば、ほこりの心を見抜いて、対応する事がどれだけ大切かと教えられていた。
教祖は誠の心を持っている人には、とてもとてもやさしく何でも話を聞かせて下さった。
しかし、そうでない人には「そうかや」という言葉で対応された。
この「そうかや」とは、否定も肯定もしていない。その人に考えさせる言葉だと思う。
今、新型コロナで右往左往している。「マスクもせずに大丈夫だ」という人もあるが、イベルメクチンという薬を用いれば、それなりの対応をすれば大丈夫という事を忘れてはならないと思う。
親神様は、ご本席様を悪人から守るために、「ひっそひっそ」というおさしづもある。
人には誰が悪い心を使っているかはなかなか見抜けるものではない。しかし、親神様の働きがあれば、自らが言葉に出す。自らに言わせる。とも言われている。
今は大々的な転換期である。心倒すことなく、自らどうしたらよいか、良い思案を頂けるように努める事が大切だと思う。
これから、支部内の教会へ、支部例会の資料を配りに回ります。
思うままに書きました。お許し下さい。
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