昨日の閲覧数341件、訪問者数182人と、これまでの最高になった。(なにがどうなっているか分からないが、。。。)
さて、緊急事態宣言が一カ月延長されることになった。
商売をしている人々には、倒産、店を閉めるという人も多く聞く。
その反面、とても需要があって、忙しい商売もある。
時代の波によって、商売は左右される。その波をこれまでの経験から推測して行っているのが商売といえよう。
このウィルス以前に、これまでの災害、また天候でも「想定外」という言葉が出たが、まさしくこの新型コロナも想定外だと思う。
世界で起こる様々な事柄、またお道の上での事柄を思案したり、またおふでさきやおさしづを読むにしても、「かしもの・かりもの」を心に置いての思案と、そうでない思案とでは大いに違ってしまう。
ここはしっかりと注意しておきたいところである。
ちょっとだけ、かしもの、かりもので伝えられている話を書く。
人が大勢集まるようになり、今日はどんな話があるだろうかと、夜な夜な人々が集まっていた時の事、
教祖は長い間、かしもの、かりものの話しかされなかった。
すると、人々は「また同じ話か」といって、だんだん来なくなったそうです。
そして、ある程度たったころ、それでも通われた方に、「「かしものかりもの」の話をなるほどと聞けない人に、深い話をしても聞き違えてしまうから、」と言われて、かしものかりもの以外の話をされた。
という事をどこかで読んだ。(どこに書かれていたか定かではないので、知っている方があれば教えて下さい。)
まさしく、かしものかりもの話の台。であります。
今の混乱している中だからこそ、「かしもの・かりもの」これを心において、日々を過ごしたいと思います。
「かしもの・かりもの」についてもう一つ。
どんなことも、心次第。その心の現れが行いである。
良い心ならば、自然と良い行いが出来る。しかし、悪い心でも心を隠して良い行いを見せる事は出来る。
これが、うそ・ついしょうとなる。
けれども、いずれはちゃんと親神様が返される。
商売の売り買いの勘定のように。
この勘定の法則を知っていれば、悪い心も使わないだろう。けれども、「かしもの・かりもの」を知らず、心に納めずに、心を神様は終始見ておられると思っていないから、人が見ていなければ、分からにだろうと、勝手な事をする。
徳のある間は、それでも通れる。これは貯金があるのと同じ。
だけれども、徳が無くなれば、貯金が無くなれば、返済に追われることになる。
「かりたるならばりがいるで はやくへんさいれいをいうなり」
親神様はすべて見抜きみどおし、皆に平等である。これが天然自然の理。
けれども、自分の心を反省して、親神様にお詫びすれば、親神様のお力を頂いて、新しい道が開ける。
ちょっと話はそれるが、「御守護」というと、世界には、たくさんの参り所があります。
それは、親神様の御守護、十柱の神様がそれぞれに祀られているから、だから重大な事起きれば、たくさんの参り所に参らなければならない。
けれども、おぢばは、親神様はすべての御守護を下さる、親神様「十柱の神様がおられる」から、親神様「なむてんりおうのみこと」様と唱えれば、たくさんの処へ行かなくても御守護を下さる。
その証拠となる、逸話編を書いておく。
【逸話編】10【えらい遠廻わりをして】
文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。キクは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないくらいであった。けれども、どうしても治らない。
その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね。」と、すすめられた。目に見えない綱ででも、引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬が来ていたのである。
キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、
「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下された。それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、何とも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
また、「信者の栞」を読まれることをおすすめします。そして、その「八つのほこり」を詳しく得心するためには、「正文遺韻 抄」を読まれることをおすすめします。
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ちょっと記録しておく。
4月30日、布教所の月次祭で行く予定にしていたが、少し頭が痛く、目がかすみ、ふらつく感じがあったので、血圧を測ってみた。160を超えていた。以前(20年近く以前)より、血圧によって頭痛が起こることは分かっていた。それで、簡易の血圧計も買ってあり、体調のバロメーターとしていた。そうした中に、ここ最近は、全くそうした事はなかった。
布教所のおつとめに無理していけない事はないが、「どうもおかしいなんだろう」と思い。妻に行ってもらう事にして、気になっていた、先日の「研究」のおさしづを調べてアップした。
お陰様で、その夕方には、楽になった。
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親神様教祖、お導きをありがとうございます。
どうぞ、大難は小難にとお守りください。
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