昨日来た、7月5日号の天理時報で、ブラジルで新型コロナにかかって、重篤になった方が、お願いづとめでたすかった記事が掲載された。
本当に良かったなぁ。と思った。
天理時報 今週の主な紙面 リンクを張っておく。
世の中には、とてもたくさんの人間がおり、たくさんの考え方をしている。
その中に、天理教に縁のある方がつながる。これもいんねんのなせる業だと思う。
私の周囲は、この新型コロナでの自粛から、これまでのあり方を見直す動きが始まっている。
しかし、世界のニュースを見ると、そうではなく、これまでのものを維持しようと、苦心しているように感じられる。
親神様は、人の身上を御守護を願うすべとして、おさづけをお渡し下された。
その取り次ぎ方の中に、このおさづけは、動物・家畜などには使用してはならない事が語られている。
動物や家畜などについては、その所有する人の心に与えられたもので、親神様にお働き頂くには、その所有する人の心を変える事を言われている。
そしてこころのほこりをはらい、澄ますために、「いちれつすまして」とおつとめを教えて下さっている。
この点がとても大切だと思う。
人を助けたいという心か、自分がたすかりたいために人を利用するのか。
これも、親神様に受け取って頂き、不思議な姿を見せて頂くために、心を変える上の一つの思案である。
世の中には、たくさんの宗教・宗旨宗派・その他霊能者という人もあったり、様々な思想というものがある。無宗教というものや、無神論というものも、この区分けには入る。ところが話をしていると、無神論の人は結構そうした事を自覚していなかったりする。
こうしたものは、その人が生まれ育つ上に、関わった環境から、その人が選んでその区分けに入っているはずである。
例えば、天理教の中に育って、自分ではとても理不尽だと思えるようなことに遭遇して、天理教の教会に住んでいても、神様などないという人もあるだろう。反対に理不尽だと思えても、神様を信じる人もある。
共産主義の中にいて、自由を求めるもの。自由主義の中にいて、共産主義・社会主義を求めるもの。これもあるだろう。
今の日本では、人の命を危ぶむような事をしない限り、個人の思想は自由として認められ、そうした人々が集まる事も認められている。(昔は明治・大正・昭和の時代はそうではなかった。様々な事件や事故、戦争、そして人権運動が起こり、それを乗り越えて今日がある。)
これが、人権の自由だと私は思っている。けれども、この自由には、それぞれの責任が伴ってくる。
責任が伴うという事は、間違ったことをしたら、損害を与えた人に償わなければならないという事でもある。
では、こうした自分の考えに自信を持って、責任を持って日々を暮らせる人がどれだけいるだろうか。
今回の新型コロナの対応にしても、それ以前の大災害にしても、研究者でさえ想定外と言われることが起こる中に、絶対に私は正しいと、言える人はいないと思う。
だから、人の失敗も許す心は必要だと思う。
そして、「自分は絶対だ」と言い切り、「自分は心を変えたり考え方を代えない」と言い切る事は、しない方が良いと思う。
この事は、親神様が、かしものかりもので、八つのほこりで、いんねんの話で、誠真実の話、その他、これまでに紹介した本に書かれた教祖のお話で言われている。
それぞれが、それぞれの関わる人との関係の中で、どのように思案すればよいかという元は、ここにある。
ただ、それぞれが悟れるかどうかであろう。と思う。
今の私は、親神様の教えを信じて、おつとめを勤めて、自分の出来る事を精一杯つとめる事。
自分の高慢な心を出さぬように、人の上に尽くせる心を作る事。心を変えてもらえるように努める事。
それしかない。と思っている。
天理時報の手配りも、8月頃から再開する予定とも書いてあった。
ともかく、新型コロナが広がらないように、密集は避ける事。もし自分がかかっても、人にうつさないようにと心掛ける事。これも心に置いて過ごしたいと思う。
今日も一日、親神様・教祖、世界中の人々が陽気ぐらしに向けて成人が出来ますように、大難は小難にとお守りください。
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