優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

別れの後 十四 「宣告」

2005-08-08 20:26:48 | 別れの後
[一年後]

「大変残念ですが、血腫が増大し始めています。
これまで良好に経過しておりましたので、このまま安定するかと思われたのですが…。
前回の手術で取り除くことができなかった場所ですので、再手術は難しいと思われます」
「それは、つまり…もう長くは生きられないということですか」
「残念ながらそういうことです。
後三年とお考えください。
もちろん今後も治療は継続していただかなくてはなりません。
われわれとしても最大限の努力をしてまいります」
手術前の記憶が戻っていないミニョンにとって、この宣告は青天の霹靂(へきれき)だった。

「死ぬのか、僕は…」
視力を失うのは時間の問題と自分でも覚悟を決め、その対策をできうる限り講じてきた。
しかし、手術後の回復は順調だったため「死」を考えたことはなかった。
職場復帰への具体的な準備をに取りかかろうとしていた矢先の出来事だった。

「後三年…ユジンさんとももう会えなくなるのか…」
ユジンの顔が浮かんだ。
ミニョンはいつしか真剣にユジンを愛している自分に気が付いていた。
今は、メールをやり取りするだけの間柄だったが、もうミニョンにとってかけがえのない人であった。

〈もし僕が死んだら…
ユジンさんは自分の責任と自分自身を攻めることだろう。
ユジンさんは一生の負い目を負ってしまうことになる。
僕はユジンさんに辛い思い出だけを残して去っていかなければならないのか…。〉

ミニョンは堪らなかった。
自分にできることはないのか?ユジンとの未来はもう望むべくもなかったが、悲しい思い出だけを残して逝きたくはなかった。

翌日、ミニョンは父親のイ氏に会い、主治医の話を伝えた。
イ氏は、予想されたこととはいえ、愛する息子に残された時間が少ないことを知ると、動揺を隠せなかった。
「そうか、ミニョン。そうだったか。…大丈夫か?」
「はい。いえ、正直とてもショックです。
でも…この事実が変えられないのなら、まだ後三年あると思って、…何とか最善を尽くしたいと思います」

イ氏は頷いていた。
「それで、お父さんにまたお願いがあります。
チョン・ユジンさんをぼくの仕事のパートナーとして迎えたいのです。
僕に時間があるのであれば他の人でもいいのです。
ゆっくりと僕の考え方、仕事のやり方を覚えてもらえばいいのですから。

彼女なら、僕のことをすでに分かってくれています。
僕の考え、やりたいことを打てば響くように分かってくれます。
彼女しかおりません。一緒にフランスへ行ってユジンさんを説得していただけますか?」

「そう考えていたのか。一緒にフランスへ行くことは、何とかしよう。
だが、そう決心したなら、お前に話しておかなければならないことがある。

失った記憶のことだ。残念ながら催眠療法は効果がなかった。
体への負担を考えて話すことを先生から止められていたのだが、お前とユジンさんは、取引先の理事と一建築デザイナーという間柄ではなかった。
二人は恋人同士だったんだ。
しかも二人が出会ったのは二年半前ではない。
十二年前の高校二年生の時、韓国の春川高校で出合っているのだ」

それから長い物語りとなった。

「私が知っているのはミヒやマルシアンのキム次長から聞いたことだ。
春川のお友達ならもっと詳しいことも知っているかもしれない。
いや、二人だけしか知らないことももっとたくさんあったのだと思う。

ともかく、ユジンさんはお前だけをもう十三年近くも待ち続けていることを分かってほしい。
その上でもう一度良く考えて…分かったね」

「…はい」
「今日は家に戻ってはどうかね。一緒に帰ろう」
イ氏はミニョンを一人にしておくのが気がかりであった。
「死」の宣告に加えユジンとの過去、いつかは話さなければならないことであったが、ミニョンのショックを考えると心が痛んだ。

ミヒは海外で留守であったが、せめてミニョンの好きな食事でも用意させようと思った。

別れの後 十三 「会えない時間」

2005-08-08 20:19:16 | 別れの後
[パリに帰ったユジン、心配しているであろうサンヒョクに久しぶりに電話をします。]

「サンヒョク、私。ユジン。
今、少し話せる?
ごめんね、ずっと連絡しないで。
ええ、もうフランスに帰っていたの。
すぐ電話すれば良かったんだけれど、試験があって忙しくて…。

ええ、大丈夫、心配しないで、誰から聞いたの?
ああ、チェリンから、ミニョンさん…のお母様が連絡したっておしゃっていたわ。
ええ、もうずいぶん元気になったわ。
……お母様が配慮してくださって、馴染みの家政婦さんがいるのに私に任せてくださったから、二週間ずっと側にいられたの。

ジュンサンじゃなくなちゃったけれど…、
生きているのよ、それだけでいいの。

……サンヒョクは元気だった?
お仕事忙しいの?

そう、良かったわ。皆にもよろしく言ってね。
また連絡するから、いつも心配してくれてありがとう。
じゃあ、また。…」

[マルシアンにて]
「ジョンアさん、忙しいのに悪いね。
この二件?ちょっと見せてもらいますよ」

キム次長に呼ばれてジョンアはマルシアンに来ていた。
「ふ~ん、なるほど…。
じゃあ、ジョンアさん、これしばらく預からせてもらっていいですね。
悪用はしないですから、大丈夫ですよ」

「キム次長、理事がユジンの昔の仕事を見たいって、どうゆうことなんです?記憶が戻ったわけじゃないんでしょ」
「ああ、まだ精神科の治療は退院した後になるらしいから、記憶のほうは全然戻っていないと思う。
ミニョンとユジンさんがメールのやり取りをしているのは聞いているでしょ。
まあ、インテリアのこととか、建築のこととか、こっちで一緒に仕事をしていたときの延長のような中身らしいけれど(笑)。
それで、ユジンさんの仕事振りを見てみたいと思ったんじゃないかな。

覚えていなくてもユジンさんのことは気になるんだな、どうしても。…」
「そうですか…。手術の後理事がまた記憶を失ったと聞いた時、あの子は、ユジンはどうなっちゃうんだろうと…思いましたけれど、それっきりになってしいまわないで本当に良かった…」(涙)
「ジョンアさんもあの二人のことでは気苦労が絶えないね。(笑)」
「全く、笑い事じゃありませんよ」
じゃあ、宜しくと言ってジョンアは帰っていった。

その後、ミニョンは二ヶ月ほど病院で過ごし、退院した。

ミヒに付き添われて部屋へ帰ると、以前のように家政婦のパクさんが待っていてくれた。
「お帰りなさいませ。退院おめでとうございます」
「ご苦労様。
ミニョン、こちらは以前からここであなたの世話をしてくださっている家政婦のパクさんよ。
あなたのことは良く分かっていてくださるから、安心してお任せして大丈夫よ」
「そうですか。パクさん、またお世話になります。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。
お元気になられて、本当に良うございました。

ユジンさんという方からお祝いのお花が届いておりました」
「ユジンさんから?…」
ミニョンの顔がぱっと明るくなった。

〈ミニョン…あなたの心の中にはもうユジンさんがいるのね…〉

「ミニョン、後でお父様もお出でになるわ。
今晩は久しぶりに三人で食事にしましょう。
退院祝いということで。
パクさん、支度を手伝ってくださる?」

ミヒとパクさんが台所へ行ってしまうとミニョンはソファへ腰掛けて花束に添えられていた封筒を開いた。
「ミニョンさんへ
退院おめでとうございます。
     パリにて   チョン・ユジン」

ユジンの直筆のメッセージカードが入っていた。
「ユジンさんの字、見るの初めてじゃないのに…」
ミニョンは胸に広がる想いに戸惑っていた。

「退院おめでとう。顔色もずいぶんいい。まず、良かった、良かった」
久ぶりに三人で食卓を囲み、イ氏は機嫌が良かった。

「ユジンさんも近くに居られたら来てくださったんだろうが、残念だな。
ユジンさんとは連絡を取り合っているんだろう?」
「はい、週に一度位メールで。
勉強の話とか、私が資料をお願いしたり…そんなことですが…。
お父さん、ユジンさんは優秀な方ですね。
この間マルシアンのキム次長に頼んでユジンさんが以前手がけた仕事の資料を送ってもらいました。私と一緒にやったスキー場の改修工事も含めて。
とてもいい内容でした。
仕事に復帰できたら、ぜひまた一緒にやりたいと思います」

「そうか、…。
ミヒ、ピアノを聴かせてもらえないかな。
なあ、ミニョン。何かお母さんにリクエストしたらどうだ?」
「僕は何でも。母さんの好きな曲を聴かせてください」

そうね…とミヒは少し考えて、ジュンサンの好きだった『初めて』を弾いた。

退院後体調が安定しているのを確認して、アン医師に記憶障害の治療を受けることになった。
一方、ミニョンの目は手術後一旦は回復したが、その後視力は徐々に低下していた。

ミニョンは失明した後も設計の仕事ができるようにと考え、視覚障害者を支援する団体に特注のコンピュータソフトの作製を依頼することにした。

別れの後 十二 「命の絆」

2005-08-03 21:01:03 | 別れの後
ジュンサンは韓国での記憶をなくし、イ・ミニョンとして戻ってきた。
それはユジンにとって覚悟の上とはいえ、辛い事実だった。

[主治医の執務室]
「先生、ミニョンは記憶喪失なのでしょうか。」
「精神科の先生に診ていただかないとはっきりとしたことは言えないのですが、おそらく一時的な記憶障害かと思われます。
手術がきっかけとなってある部分の記憶だけ、情報がアクセスできず思い出せない状態です。
これは自分自身の体を守るためのいわば防御システムといえるもので、非常に辛いことや悲しいことなどがあったときにその記憶を閉じ込めることで自分自身を守ろうとしている訳です。
ですから、その原因となっていることを克服できれば記憶を回復させることはそれほど難しいことではありません。
いずれにせよ、まず体力を回復させることが先決ですし、思い出そうとしてかえってストレスになる、ストレスが原因で血腫の増大を招くということも考えられますので、しばらくはその話題にはなるべく触れないようにされたほうが良いと思います。」

手術後の経過は順調で、ミヒやユジンを安心させた。
「ミニョン、私は外せない仕事があって十日ほど海外なのよ。
付き添いの方をお願いしても良いんだけれど、ユジンさんが私が帰るまで居てくださるというの。お願いしても良い?
ユジンさんは信頼できる方だから、大丈夫よ。
お父様も分かっていることだから。」
「母さんがそれでいいのなら僕は構いません。」
医師に止められている為か、ミニョンはあまり詳しく問わなかった。

ユジンはミニョンの側にしばらくいられることになったが、まもなくある進級試験とレポートの提出のため勉強もしなければならなかった。
病室で勉強するわけにもいかない。
ミニョンが眠ったときに廊下へ出てやることにした。

ある日、ミニョンが
「ユジンさん、そろそろ試験があるんじゃないんですか。
ユジンさんは若い人の気楽な留学とは違うようだし、廊下でこっそり勉強したりしているんじゃありませんか?
そうなんでしょう?
そんなに気を使わないで、ここでやったらいいのに。

そうだ、一緒にやりましょう。
自分で本を読むのは疲れるからだめだけど、聞くのは大丈夫だから。
目で読むだけより音読したほうが頭に入るんですよ。
ユジンさんがどんな勉強をしているか興味があるし、いい退屈しのぎになります。
どうですか?」

一緒に食事をし、本を読み合わせ議論をしたり、つかの間の穏やかな日々が続いた。
ミニョンの身の回りの世話をし、学びあい、一日中側にいられる…。
このささやかな喜びの日々がもう少しだけ続いてほしいと願っていた。
〈カン・ジュンサンとしての記憶がなくてもいい、生きてさえいてくれれば…。〉

こうしてアメリカでの二週間もあっという間に過ぎた。
明日はフランスへ帰らなければならない。

「ユジンさん、先生から外出許可をいただいてきてくれませんか。
そう、一時間位、外を少し散歩したいんです。」

[落ち葉の敷き詰められた公園を歩く二人]
「……ユジンさんとはずっと前からこうして並んで歩いていた様な気がするな。
僕が覚えていない一年とか二年ではなくて…
もっとずっと前から…。」
「……」
「困ったような顔をしていますね。
確かに僕はあなたのことを覚えていないから初めて会ったようなものです。
でも…

ユジンさんは前世ってあると思います?
僕はあると思う。
本当に初めて会った人でも縁を感じるって事ないですか?
死んだら終わりとも思いたくないし、何かあると思う。

記憶にはなくても命に刻み付けられているんじゃないかな。
……なんか今日の僕は変ですね。
いつもはあまりこうゆう事を考える人間じゃないんだけれど…(苦笑)。」

記憶を失ってもミニョンはユジンともっと深いところで繋がっている何か
ー命の絆―を感じていたのだろうか。

「あ、ごめんなさいミニョンさん、気が付かなくて。
私のマフラーを使ってください。
風邪を引いたら大変。」
ユジンはジュンサンからプレゼントされた浅緑色のマフラーをミニョンの首に巻いてあげた。
スキー場でミニョンにマフラーを返した時の様に…。

その時ミニョンはユジンの胸に光るネックレスに気付いた。
「素敵なネックレスですね。ユジンさんに良く似合う。
恋人からのプレゼントですか?」

「……。恋人なんていません。今は勉強だけ。
もしそんな人がいたら、ほかの男性の看病に二週間も付きっ切りで、喧嘩になるでしょう?(笑)」

「ユジンさんとも明日でお別れですね。
寂しくなるなあ。
母もユジンさんがいてくださるお蔭で安心できたといっていました。
大変お世話になりました。ありがとう。」
「ミニョンさんは私の命の恩人ですから、こんなことは当然です。
私こそ、かえって勉強の相手までしていただいて、ありがとうございました。」

「ユジンさん、僕にそんなに恩義を感じてくれているのなら、お願いがあるんですけど、いいかな?」
「お願いというより…」
ミニョンは悪戯を考えついた子供のような笑顔で
「宿題です。」

・月に一度以上今学習している内容のレポートを提出すること
・私のお願いする資料を探し、内容のポイントをまとめて提出すること

ユジンはメモを見てプッと吹き出した。
「イ理事の要求は相変わらず厳しいですね。」
「そうですか?(笑)
僕はあなたと勉強していてとても楽しかったんですよ。
これで終わりにするのももったいないし、今どんな研究がなされているかも知りたい。
あなたの勉強にもなるでしょう?
グッドアイデアだと思うんだけどなあ。
ところで、僕は韓国でそんなにあなたに厳しかったの?」

ユジンはしまったと思ったが、
「ええ、初めてお会いする前に5回も図面の書き直しを指示されて、大変な理事様がおいでになったと同僚とこぼしたものです。(笑)」
「そう、そんなことがあったの。
で、その後仕事は順調でしたか?
僕と喧嘩しなかった?」

「意見が食い違って何度も衝突しました。
でも、ミニョンさんはいつも誠実で、最後には分かってくださいました。
私がミニョンさんとお呼びするのも、あなたが理事と呼ばずに、ミニョンと呼んでくださいと。
私もユジンさんと呼んでるでしょうって言ってくださって…。」

あの冬の思い出があふれ出し、ユジンは涙をこぼしそうになった。

別れの後 十一 「失われた記憶」

2005-08-01 23:50:30 | 別れの後
ジュンサンが集中治療室から運ばれてきた。
まだ麻酔から目覚めていない。
ユジンはミヒに連絡した。

「お母様、ユジンです。今病室の方に戻ってきました。
まだ麻酔は切れていませんけれども、もう三十分くらいで目覚めるはずだと先生がおっしゃっていました。
経過は順調だそうです」
「そう、ありがとうユジンさん。
もうすぐ主人とそちらに向かいます。それまでよろしくね」

イ氏とミヒが到着し、ジュンサンが麻酔から目覚めた。
まだ意識がはっきりしないようだった。

「母さん?ここは?どうして僕はここにいるんですか?」
「ミ…ニョン?」
「お父さん、僕は…どうしたんですか?」
「ミニョン、お前は手術をしたんだよ。
交通事故の後遺症で頭に血腫ができていて…」
「そう…でしたか。僕は仕事で韓国へ行ったはずでしたが…」

ジュンサンはこの一年余りの記憶を失くしていた。
ミニョンとして帰ってきたのだった。

「ミニョンさん、気分はどうですか」
「先生?はい、まだ少しボーっとしていますが大丈夫です。
気分は悪くありません。
先生、手術前のことを覚えていないのですが…」
「…おそらく一時的なものでしょう。大丈夫です。
あまり気に病まないように。
精神科の先生にお話しておきましょう。
どのくらいの期間の記憶がないのですか?」

「韓国に行ったのが一年半ほど前です。
その前のことは覚えているの、ミニョン」
とミヒが聞いた。

「ええ、その前のことは覚えています」
「一時的な記憶障害ではないでしょうか。
体力が回復されたらカウンセリングをお受けになってみてください。
お父さん、お話がありますのでおいでいただけますか」
「はい、ユジンさんも一緒に。
ミヒ、ミニョンを頼む」

「母さん、あの人は誰?
お父さんと一緒に出て行った人」

「?!」
〈ミニョン、お前は一番大切な人を忘れてしまったの?〉

「あの人は…チョン・ユジンさんよ。
交通事故の時お前が助けてあげた人よ。
自分を助けようとして事故に遭ったためにこんなことになって、と大変心配してわざわざ留学先のフランスから来て下さっているの」
「そう…でしたか。
事故はアメリカで?」
「いいえ、韓国でのことよ」
「僕は韓国へ行ったんですね…。
どのくらいいたんですか」
「ひと冬よ。そんなに長く居たわけではないわ」
〈そのわずかの間にお前の運命は大きく変わったのに…。〉

「ユジンさんはマルシアンの取引先の建築デザイナーをなさっていたそうよ。
…ほら、先生もおっしゃったでしょ。
今はあまりそのことは気に病まないで、元気になれば自然に思い出すかもしれないわ」
「そうですね。
そういえば、チェリンは来ていないんですか。
恋人が手術を受けたって言うのに(笑)」
「オ・チェリンさん?
韓国にいらっしゃるわよ。
お前はアメリカに帰ってくる時にチェリンさんと話し合って、友達に戻ろうって、それぞれの仕事に頑張ろうって別れたって言っていたわよ。
でもこの間電話でお話したわ。病気のこと心配してたわよ。
お仕事順調みたいね、彼女」
ミヒはとっさに嘘をついた。

「ミニョン、お母さんもちょっと先生とお話してきて大丈夫かしら?
具合が悪かったらナースコールしてね。
ちょっと行ってきます」

「そうか…、韓国で事故にあって…、
チェリンとは別れたのか…」
ミニョンは腑に落ちないという表情をしていたが、フーとため息をつくとやがて目を閉じた。

ユジンはイ氏に伴われて病室を出たものの、そこから足が動かなくなってしまった。
悪い夢を見ているようだった。
〈なぜ…、なぜ韓国にいた間のことだけ忘れてしまったの、ジュンサン…。〉

「ユジンさん、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ。
あなたも先生に診ていただいたほうが良い。
全く、よりによってこんなことになってしまって…。
さあ、先生のところへ参りましょう。

「オ・チェリンさん?私カン・ミヒです。ジュンサンの母です。お久しぶりね。
今少しお話して良い?

あの…、あなたにお願いがあるの、聞いてくださる?
ジュンサンが手術を受けたの。
手術は成功でね、まだ治療は続けなくちゃいけないんだけれども、経過は良いようなの。
ただね…、また記憶が…、

韓国にいた間のことを覚えていないの。
そう、ミニョンに戻ってしまったのよ。
だから、あなたのことしか覚えていないの。
ユジンさんのことも、サンヒョクさんやほかのお友達のことも覚えていないの。

あなたとのことは、ジュンサンがアメリカへ帰る前に二人で話し合って別れてきたということにしてしまったの。
ごめんなさいね、チェリンさん。

だから、話を合せておいてほしいの。
ええ、そうなの。
まだ今は記憶を取り戻すより、体を回復させないとだめなの。
あなたの気持ちを考えたら…
とても酷いことなのは分かっています。
でも今はそうするしか…お願いね、チェリンさん。」

別れの後 十  手術

2005-07-22 14:31:34 | 別れの後
ユジンがアメリカへ来た翌日。 手術がもうすぐ始まろうとしている。

「必ず戻ってきてね。待ってるから…。
そうだ、昨日は慌てていてプレゼントのお礼を言うのを忘れていたわ。
ジュンサン、ありがとう」
ユジンの胸にポラリスが輝いていた。
「ユジン…。
今度はユジンが僕のポラリスだね。
必ず迷わないで戻ってくるから」

手術は無事成功した。
ジュンサンは集中治療室に運ばれまだ眠っている。
「ご家族の方にお話があります」
主治医に呼ばれた。

「あなた、ユジンさんにも聞いていただきましょう。
ジュンサンにとって一番大切な人よ」
ミヒが言った。
「そうだな。ユジンさんどうぞ一緒に先生のお話を聞いてください」
「お母様、お父様、私なんかがいいんでしょうか」
ユジンは戸惑いを覚えた。

「ユジンさん、もう私はあなたのことも、あなたのお父様のことも憎んでいません。
もともと憎むべき相手ではなかったのよ。
私のせいでジュンサンとあなたの仲を引き裂くようなことになってしまって、本当に申し訳ないと思っているの。
そのことはまた後でお話しましょう。
さ、先生が待っていらっしゃるわ。
あなたにとって辛い話かもしれないけれど…」

「先生、ありがとうございました」
「失礼ですが、こちらの方は」
「息子の婚約者です。
フランスに留学中だったのですが、手術を受けるよう説得に来てもらいました。
一緒にお話しいただいて差し支えありません」
イ氏の言葉に驚いたユジンはミヒを見た。
ミヒは目で「これでいいのよ」と頷いて見せた。

「手術は成功でした。これで当面の危機は回避できたと思います。
ただ残念ながら、一部取ると返って脳に傷をつける可能性があって、少し血腫が残っています。
また、手術の時期が遅れたためにかなりダメージを受けています。
今後も失明の危険と、再び症状が悪化する可能性が考えられます。
体力が回復すれば退院し日常生活に戻ることもできますが、引き続き通院治療、経過観察が必要です」
主治医の話は厳しい内容のものだったが、ともかく手術は間に合ったのだ。
三人は一様に安堵のため息を漏らした。

「先生、面会はできますか」
「まだ麻酔からさめていませんので、意識が戻り次第お知らせします」

「ユジンさん、本当にありがとう。あなたのおかげよ」
「いいえ、お母様。呼んでくださって、本当に感謝しています」
「ユジンさん、空港から直接ここへ来てまだホテルは取っていないんじゃない?
夕べもジュンサンに付きっ切りだったし。
少し休まないとあなたが倒れてしまうわ」
「お許しいただければジュンサンの目が覚めるまでここにいたいのですが。
わがまま言ってすみません」
ユジンはジュンサンのそばを離れたくなかった。

ミヒとイ氏はユジンに無理をしないようにと言い置いていったん自宅へ帰っていった。

人気(ひとけ)のない廊下に待つユジンを見つけて看護師が
「まだ麻酔が切れないけれどもお顔だけでも見ますか」

と声をかけ集中治療室へと誘(いざな)ってくれた。
ジュンサンの顔はずいぶん病みやつれていたが、穏やかな表情で眠っていた。
「良かった。生きていてくれて」
ユジンの目から安堵の涙がハラハラとこぼれ落ちた。

「ありがとうございました。廊下で待っていますので」
といって部屋を出ようとすると先ほどの看護師が
「経過が良いようなので後一時間ほどで個室のほうに行かれると思いますよ。
お部屋でお待ちになったら?」と言った。

ユジンは部屋でジュンサンを待つことにした。