🌸 子どもを尊重する心を学んだ
✨ 木村和恵さん
三重・津市に住む“学会3世”
“信心なんて、やるものか。
わが子たちにも必要ない”
―4年半前までそう思っていた
✨ 今月、白ゆり長の任を受けた。
小学6年の双子の息子も
少年部員として頑張っている
🌼 双子を抱えて
✨ 快晴だった。今月18日、
木村和恵さんの祖母
つたさんの葬儀が、
津市内で執り行われた。
享年97歳。
創価学会員の親族が導師を務め
故人を悼み、
感謝を捧げる「家族葬」
和恵さんの隣で
長男・悠月さん(小学6年)と
次男・琉月さん(同)がピンと背筋を伸ばし、
両手を合わせ、
会場に響く唱題の声に和している。
“いつになく、心を込めてる感じやなあ”
双子の横顔を見つめつつ、
自分の小学生時代から
今日までの歩みを振り返っていた。
✨ 典型的な“おばあちゃん子”だった
父・誠伸さん(副圏長)と
母・美代子さん(圏副女性部長)が
学会活動に駆けている間、
近居する祖母が
和恵さんたち3人きょうだいの面倒を見てくれた
いつも笑顔で温かい。
「食べ物を粗末にしない」
「物を大事に使う」
と大切なことを、
振る舞いで教えてくれる人だった。
「お題目は、すごいんやで」
御本尊に向かう
真剣な背中を見せてくれる
創価の母でもあった。
✨ 「学会家族のぬくもり」
小学生の頃、座談会に行けば
「和恵ちゃん、よく来たねえ!」
皆がとびきりの笑顔で迎えてくれた。
挑戦していることを発表すると、
「和恵ちゃん、さすがやな!」
「ほんまに感動したわ!」と褒めてくれる
✨ 中学生になると、
次第に信心に反発するように
学会活動で忙しい両親
寂しさや不満を募らせた
“信心と私、どっちが大事なんや!”
宗教への誤解や偏見に満ちた報道にも触れるようになり、
学会員であることを
周囲に知られたくないと思った
✨ つたさんは、
「お母さんとお父さんはな、
家族のことも地域のみんなのことも
大事に思うてるから、頑張ってるんやで」
納得できなかった
反抗期も相まって
両親と感情的に衝突
家の外に居場所を求めた。
✨ 26歳で結婚。
御本尊を持たず、
「学会の庭」から離れるように家を出た。2011年3月に双子を出産。
幸せを手に入れたかに思えたが
―期待は裏切られる。
夫と価値観が合わず、
言い争う毎日。
交互に授乳と夜泣きを繰り返すわが子の対応で、
眠る暇もない。
涙が止まらない。
夫婦げんかが始まる。
相談したり愚痴を吐く相手もいない
「もう無理!」
離婚を選んだ和恵さん
生後7カ月の双子を抱えて、
津市の実家に戻った。
🌼 お帰りなさい
✨ 生活が一変した
両親も同様だった。
ゆったりと孫育てを楽しむ
そんな老後を想像していたに違いない。
赤ん坊の世話に追われる慌ただしい毎日を
再び送ることになる
母の美代子さん
“もう一人の母親”になったつもりで
双子の悠月さん・琉月さんの面倒を見た。
父の誠伸さん
「これは俺の罪滅ぼし…
いや、恩返しの時や」と腹をくくった。
✨ 和恵さんは
心の中で両親に感謝はすれど、
素直にそれを口にできない。
慣れない仕事
初めてのことだらけの子育ての不安。
離婚によって、わが子から
“父親を奪ってしまった”罪悪感…
イライラのかたまりを両親にぶつけては、
自己嫌悪に
両親は黙って全てを受け止めて、
深夜、御本尊の前に座る
祖母のつたさんも真剣に唱題を重ねた。
“わが子・わが孫たちが、
使命の人生を歩めますように”
✨ 「祈る」ことは
「信じて待つこと」でもあった。
春夏秋冬は巡り1年、2年、3年、5年…
離婚から7年目を迎えた春
和恵さんは、母・美代子さんに言った。
「久しぶりに、
座談会に出てみようと思うの」
いったい何があったのか。
娘が「このままではいけない」
と思っていることは確かだった。
✨ 座談会当日。
和恵さんは緊張していた。
地区の皆から、
どんな目で見られるのだろう。
腫れ物に触るような対応をされるのではないか。
恐る恐る会場に入る
「和恵ちゃん、よく来たねえ!」
「待ってたよー!」。
懐かしい声と笑顔。
幼い頃に参加した時と変わらない温かさ。
「お帰りなさい」の一言に、
思わず胸に込み上げるものがあった。
🌼 親子で一緒に
✨ 足しげく訪問・激励に通ってくれた
2人の同志がいた。
坂本亜希子さん(支部女性部長)と
廣瀬優子さん(地区女性部長)
当初の応対は、けんもほろろ。
玄関先で話をする時間も、1分にも満たない。変化を及ぼしたのは、
双子の息子たちの存在だった
坂本さんと廣瀬さんが訪問すると、
決まって悠月さんと琉月さんも顔を出す。
彼ら2人にも「こんばんは」と頭を下げて、
丁寧にあいさつをする
時に膝を折り、
目線を合わせて声を掛ける。
兄弟が学校での出来事を話すと、
じっくり耳を傾けて
「すごいなあ!」
「おばちゃんも負けずに頑張るわ!」
心からたたえてくれた。
子どもだからと下に見ず、
尊重してくれていることが、
その声や姿から伝わる
子どもたちは心を開き始めた。
✨ やんちゃ盛りの小学生。
兄弟げんかは日常茶飯事。
和恵さんは四六時中、
頭ごなしに叱ってばかり。
それが坂本さん・廣瀬さんと共にいるひとときは、
不思議と穏やかな時間が流れた。
自分もこの人たちみたいになりたい
―和恵さんの心に変化が生まれ始めた。
両親のいない時間を見計らって、
少しずつ題目を唱え始めていた
✨ わが子が信心するかしないかは、
成人してから本人たちが決めればいい。
和恵さんは「学会の庭」に戻ってからも、
そう思っていた。
坂本さんと廣瀬さんは
「確かに、その考え方もあるよね。
でも、この信心って
『人間として成長するための信心』だから、
本当に一生涯やる意味があるかどうかも、
実際にやってみて
『成長できたかどうか』で、
判断できると思うの。
親子で一緒に成長できる信心だよ」
✨ 一理あると和恵さんは思った。
ただ、本人の意思を尊重したい。
それは坂本さんと廣瀬さんも同じだった。 座談会に家族全員で何度か参加した頃、
廣瀬さんが悠月さんと琉月さんの目を見て、
ゆっくり尋ねた。
「一緒に信心してみませんか」
2人は間髪を入れずに手を挙げて
「やるー!」
和恵さんも驚いた。
2018年、兄弟は晴れて入会し
🌼 今度は私が
✨ 学会活動をするようになって、
和恵さんが同志から学んだこと
「子どもと接する姿勢」
毎月の座談会への参加の呼び掛け、
大白蓮華の「巻頭言」朗読のお願い
和恵さんを通してではなく、
必ず悠月さん・琉月さん2人に
“直接”声を掛けてくれる。
時間が取れない場合も、
LINEのビデオ通話で、
必ず顔を見て伝える
「池田先生が『子どもに接する時は、
一個の人格として尊重することが大事です』と、おっしゃっているから」
「子どもの中には大人がいる。
その大人に向かって対等に語りかけていけば、
子どもの『人格』が育っていきます。
そうすることによって、
育てる側も育てられていくのです」
✨ 親子で共に育った証し
今夏、創価ファミリー大会で
和恵さん・悠月さん・琉月さん
3人がリレー体験発表に立った
トップバッターは悠月さん
「僕は小学3年生の頃までは泣き虫でした」
しかし座談会で司会や「巻頭言」朗読を務め、地区の同志から励ましてもらう中で明るくなれた
今では「巻頭言」を暗記して臨んでいる
「それなのに、
『国語の成績がどうしてこんなに残念なのか』と家族に言われます!」。
小学校の児童会で副会長も務めた。
困っている友だちの力になっていきたい
―それが今、祈っていることだ。
続いて琉月さん。
兄同様、もともと人前で話すのが大の苦手。
座談会でさまざまな役割を担う中で自信を付け、
何でも挑戦できる人になれた。
“カナヅチ”だった水泳も、
クロールで50メートルを泳げるまでに。
目標は「学会の人たちみたいに、
たくさんの人を支えられる自分になること」。
もう一つの目標
それは兄との決着。
毎日のようにケンカをするが、勝率は1割。
「けれど学校の成績はいつも僕の圧勝です!」
兄に負けじと笑いを広げる。
和恵さんは感謝で結んだ。
「“寄り道”もしましたが…
こうして、
学会の庭に戻ってくることができました」
🌼 「変わらない居場所」があった
「変わりたい!」と前を向けた
✨ 祖母・つたさんの葬儀が行われた
今月18日、
和恵さんは白ゆり長の任を受けた。
今なら分かる。
学会という「変わらない安心の居場所」を
守り広げるために、
祖母も両親も、地域の同志も、
どんなに大変でも戦ってきてくれたのだ。
この居場所があったから
「変わりたい!」と前を向けた。
だから“今度は私が頑張るからね”。
そう祖母の遺影に誓った。
✨ 学会創立100周年となる2030年、
悠月さん・琉月さんは成人の世代となる。
その時、お互いにどんな青春の道を歩んでいるのだろう
―希望の未来を今、
親子で語り合っているという。