優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

居場所を知らせ合う「音」 2022/12/16(金) 名字の言 抜粋

2022-12-16 11:20:46 | 聖教新聞を読む
2022/12/16(金) 名字の言 抜粋

🌸 居場所を知らせ合う「音」

✨ 横浜港
ここで年越しをしたいと、
大勢の人が集まる
1月1日午前0時、
港内の船が一斉に汽笛を鳴らす。
高低さまざまな音色が、
新たな年を迎えた町の夜空と、
わが一年の旅路を出航する人々の
胸に響き渡る――

✨ 船の汽笛には、
霧中信号の一種として鳴らされる
「霧笛」がある。
濃霧で視界が利かない時、
船舶は居場所を知らせ合うために
「音」を発する

✨ ある男子部員
難関の国家試験に5度目の挑戦
自信満々だったが不合格
未来を悲観し
ふさぎ込んでしまった。
同志が激励に行くと告げ、
玄関の扉をノック
だが出てこない。
友は通い続け、
開かないドアのポストに
「また来ます」とメモを

✨ ある日を境に
友が来なくなった。
10日後、
久しぶりの訪問に
彼は扉を開いた。
友は足のけがで療養
治ったので早速来たのだ

✨ 2人は笑顔で
「気になっていたんですよ」
と互いに
奮起した男子部員
翌年の試験に合格

✨ 相手に届けられる“音”は
ノック音だけでない。
「幸福の人生行路は、
この創価の世界にある!」
励ましの声を惜しまず、
縁する人との絆をさらに強く❣️

名字の言 学会の震災支援を調査してきた大学教授が感銘したこと 抜粋

2022-12-03 17:38:31 | 聖教新聞を読む
✨ 閉塞感が蔓延する現代
「あそこへ行けば安心できる」と
感じられる「コモンズ(共有地)」が必要
(大正大学寺田喜朗教授)

✨ 教授は東日本大震災以来、
福島で創価学会の
震災支援の調査・研究を続けてきた。
自ら被災しながらも
地域の人々を励ます
学会員の生きざまに深く感銘
(「第三文明」11月号)

✨ 埼玉のある男子部員
5年前、最愛の妻ががんに
妻が喜ぶならと入会した
だが、活動には消極的

✨ 手術当日
皆が題目を送ってくれた。
小学1年生と2歳の子の
世話を助けてくれた
多くの同志の真心に触れ
心が変わっていった

✨ 彼は男子部大学校に入校
人に尽くす人生を学んだ。
夫婦で勤行・唱題に励み、
折伏にも挑戦。
妻は親友に弘教を実らせた。
苦しい治療にも耐え抜き、
現在まで再発はない。
「妻の病にさえも
感謝できる自分になりました」
今、男子部本部長として
友の激励に駆ける

✨ 池田先生は
「広宣流布に生きるとは、
大きく利他の翼を広げることだ」
励まし励まされる中で
“生きる力”は引き出される。
創価の世界は
“蘇生のコモンズ”である

〈たなごころ 信仰体験〉  命の音色。今を奏でる 抜粋

2022-11-26 08:32:29 | 聖教新聞を読む
🌸 かわいい魔法の手
大阪府堺市

✨ 秋の放課後。
松岡桃香さん(14)
やわらかな音色で、
音楽室を温める。
トロンボーンに添えた右の手。
生まれつき中指がない。
幼き日、
「こんな手、嫌いや」
つぶらな瞳に涙をためた。
母・智子さん(51)は
その手をさすり、
大きな愛と祈りで包んだ。

✨ 妊娠8カ月。
胎児の心疾患が判明した。  
「ファロー四徴症」。
心室中隔に穴があり、
肺動脈も半分の狭さだった。
「真面目に信心してきて、これ?」
心が乱れに乱れた。
御本尊を恨み、
泣きじゃくる。

✨ インターホンが鳴った。
女性部の先輩がいた。
奈落に沈む心を丸ごと包む
「ものすごい笑顔」だった。  
思わず涙があふれた。
「智ちゃん、絶対大丈夫や」。
題目であらがうと決めた。

✨ 2008年(平成20年)6月。
次女の桃香さんが産声を上げた。  
最悪の場合は、
即手術と聞かされていた。
それなのに、
新生児集中治療室で
一人だけ管を通さず、
おちょぼ口でミルクを飲んでいる。
穏やかな命の奇跡を感じた。  
ただ、娘の手には
タオルが巻かれていた。  
「右手の中指が欠損しています」  
小さなベッドの中の
愛くるしい寝顔。
これから立ちはだかる辛酸を思うと、
胸がきしんだ。

✨ 生まれた直後の写真は1枚限り。
アルバムからは数年の間、
桃香さんの記録が抜けている。  
「それだけ余裕がなかった」  
泣けばチアノーゼが生じ、
発作も起きる。
「できるだけ泣かせないように」と
医師から言われた
「赤ちゃんは泣きますやん」。  
24時間、緊張が張り詰めた。
「好きなだけ泣かせてあげたかった」

✨ 1歳半で心臓にメスが入った。
医療機器につながれた娘の姿。
泣いて祈った。
3歳の時に指の手術もした。
小さな体で、
一つ一つ山を越えた。  

✨ 夫の寛さん(51)と祈り、
話し合った。  
人と違う手。
恥ずかしい。
後ろめたい。
そんな思いを絶対にさせはしない 
「負けへん子に」。
右手を隠さず、
大きな愛で育てた。

✨ 物心がつくと
幼い感情は揺れた。
「こんな手、嫌いや」。
娘の涙に胸が詰まる。
「お母さんは大好きやわ! 
かわいいお手てやん」。
小さな手をさすった。  
幼稚園のバスから、
泣いて降りてきた
「お化けって言われた……」  
「あんたは何も悪いことしてへんねんから、
堂々としとき。
負けたらあかん」  
そう言った後、
御本尊の前で泣いた。
「私の10本の指を、
この子の1本に替えてください」。
無理だと分かっていても、
それが母の想いだった。

✨ 桃香さんは、たくましかった。
4本指の右手を利き手とし、
箸も鉛筆も器用に握った。
何でも自分流を編み出し、
親の不安を越えていく。  
「できない」心配よりも
「できる」驚きが、
生活を彩った。  
福引の抽選器を回せば、
不思議なほど当ててくる。
「あんたの右手すごいな。
魔法の手やん」
「せやろ」
桃香さんも、自慢げな顔

✨ 9歳で再び心臓にメスを入れた。
ずっと青かった唇に、
紅の色がともる。
肺活量も増えた。
小学4年から吹奏楽部に入り、
トロンボーンを始めた。
負けず嫌いで、
どんどん道を開いた。

✨ 4年前。
智子さんに大動脈瘤が見つかり
心臓の手術をした。  
術後の痛みに、
もん絶した。
それでも
「桃香の不安や痛みを、
少しは分かってあげられる」。
御本尊に感謝した。  

✨ ずっと、
強い母であろうとした。  
「負けたらあかん」。
娘にかける言葉は、
自らへの叱咤でもあった。
試練のたびに
「もう無理」という言葉がついて出た。
池田先生が言う
「(苦境の時に)朗らかに微笑むことのできる人」でありたかった。
強がりでもいいから、
笑おうと決めた。  
曇り空でも、
母がガハハと笑えば、
家族は笑顔になった。

✨ いつも娘に甘い夫。
どれだけ煙たがられようが、
めげずに長女と次女に絡んでいく。  
のんきな姿を見ていると
思わず眉間にしわが寄る
だが、とことん優しく、
信心にあつい夫が隣にいたから、
希望を手放さず、
今日まで進んでこられた。

✨ 桃香さんは3カ月に1回、
検診に通う。  
心肺機能に低下が見られれば、
一番の喜びとしている
管楽器の演奏も制限される。  
「むりぃー」と言いながら
「まぁ、その時はまた頑張るしかないか」
青春の空の下で、
「今」を大切に奏でている。

✨ 今年の5月。
母の日に寄せて、
桃香さんが書いた作文が、
コンクールで特選に選ばれた。  
〈たくさん泣かせてしまった分、
これからはお母さんと同じくらい
明るくポジティブに
お母さんを笑顔にしていきます。
産んでくれてありがとう。
大好きやで〉  
くすぐったいような愛しい言葉。
じんと目頭が熱くなる。
涙のあと、母はまた底抜けに笑う。

✨ 関西創価中学に通う松岡桃香さん
書道が得意。
全国書道展覧会で金賞を受賞
吹奏楽に熱中する一方で、
学業は「全然ヤバい」
すかさず母の智子さん
「ちょっと色つけて言うとき」
「天才です」
「言い過ぎや」
にぎやかな日々。


〈スマイル自分らしく 信仰体験〉 抜粋 🌸 学会活動を軸に、仕事も育児も勝つ!

2022-11-24 08:44:42 | 聖教新聞を読む
🌟 私の願い…
  目の前の人へ、
  「華の冠」を

✨ 安達リサさん(46)
埼玉県草加市
美容師として働くシングルマザー。  
長男・成偉君(12)=小学6年、
次男・士輝君(10)=小学5年

✨ 訪問美容の店
「trip hair salon comon」
あらゆる世代から支持されている。
着付けの資格をもち、
髪結い師(日本髪)としても活躍
七五三の髪結い、着付けの注文が多く、
成人式の予約も続々と入る。     
「目の前の人に“華の冠”を贈る思いで」
華峯会の総県副責任者(県責任者)として、
使命の舞台で輝く。

🌼 昼夜懸命に働く シングルマザー

✨ シングルマザーになった時、
成偉は3歳、士輝は2歳
幼い2人の子を抱え、
借家に移って始まった新生活。  
“一人親にはなったけれど、
息子たちの笑顔は
絶対守り抜いてみせる”
―そう心に決めていた。     

✨ 実家の両親の手を貸り
昼は美容室、
夜はカフェバー
帰宅はいつも深夜。
子どもたちを起こさないように、
別の部屋でそっと布団に潜り込む。 でも朝、目を覚ますと、
成偉も士輝も、私の隣で寝ていた。
仕事に出掛ける私の後を、
「ママ待って!」
泣きながら追いかけてくる
その小さな体を抱きとめた母は、
“早く行きなさい!”と目配せを
“成偉、士輝、
寂しい思いをさせてごめんね。
あなたたちを守りたくて
働いているのに…”
涙があふれて、
止まらなかった。 

🌼 より良い両立の道を

✨ 働きづめの毎日。
息子たちとの時間ばかりか、
学会活動も出られない日が
続いていた。
どんなに忙しくても、
御本尊様からは離れない。
でも、学会活動から遠ざかってしまうと、
元気が湧いてこない。     
“白ゆり長なのに、仕事、仕事。
活動は地区婦人部長(当時)に
おんぶにだっこ。
本当に、こんな生活でいいのか…”     

✨ 池田先生の言葉を思い出した。  
「仕事なら仕事だけ一本に絞れば、
すっきりすると思うかもしれませんが、
何かを投げ出そうとするのは誤りです。
仕事、勉強、そして、学会活動と、
大変であることは、
よくわかっています。
しかし、苦労して、
それをやり遂げていくところに、
本当の修行があり、
鍛えがある。
また、その苦労が、
諸君の生涯の財産になるんです」

✨ “本当に、その通りだ”  
仕事ばかりしていても、
私の心は満たされていない。  
“子どもたちを守るために”
働いているのに、
息子たちに寂しい思いをさせている
諦めちゃいけないんだ。
より良い両立の道がきっとあるはず! 
それを見つけていくために、
信心があり、
学会活動があるんだ。     

✨ 成偉が小学校に入学する時、
夜間の仕事を辞めて、
子どもたちとの触れ合いと、
学会活動に充てることにした。     
寝る前は必ず、
布団で息子たちと川の字になって、
楽しくおしゃべり。  
絵本を読み聞かせたり、
天井に光を当てて影絵を作ったり。  
成偉も士輝もとてもうれしそうだった
二人がスヤスヤと眠りについた後、
仏間に向かい
〈より良い両立の道を〉
と祈り続けた。

🌼 笑顔を生み出す 
訪問美容の使命

✨ 思い立ったのが
「訪問美容」の仕事だった。   
16歳の時、
定時制の高校に通いながら、
病院で働いていた。  
入院されていた、
おじいちゃんやおばあちゃんたちから、
とてもかわいがってもらった
寝たきりの患者さんに声をかけると、
いつも、満面の笑みで応えてくださった。
「安達さんに声をかけてもらうと
元気になるのよ」と
ご家族から言っていただいて、
ものすごくうれしかった
 
✨ “目の前の人を笑顔に”
その思いで、美容室に立ち続けてきた。
でも、ご高齢の方や障がいのある方、
妊婦さんや
小さなお子さんのいるお母さん
美容室に行くことが難しい人もいる。
それなら、
お客さまのもとへ足を運んで、
カットして差し上げれば、
もっと多くの人を
笑顔にできるんじゃないか

✨ 美容室で働きながら、
介護職員初任者研修の資格
福祉美容師の民間資格を取得
2019年(令和元年)8月
店を立ち上げた
チラシを作り、
インターネットの地域サイトに登録
少しずつ予約をいただけるようになった。

✨ あるお客さま
パニック障がいと闘われてきた
「本当はいろんな髪形にしてみたいんです。
でも“いつ発作が起きるか”と考えると、
美容室には行けなくて」
長く伸びた髪にお客さまの苦悩を思い、
真心込めてカットをさせてもらった
鏡をごらんになったお客さまは
「本当に軽くなった! 
またお願いしていいですか。
今度はカラーをやりたいです」
うれしそうに、ほほ笑んでくださった。

🌼 2人の息子と「川の字」で

✨ 車イスを使われている方
寝たきりの方
そのままで、カットして差し上げられる。
訪問美容の仕事を重ねていく中で、
お客さまの人生の大事な一ページに、
立ち会わせていただくこともあった。     

✨ あるお客さま
ご自宅のベッドの上で
酸素の管をつけておられた。  
「もうすぐ、おじいちゃんに会いに行ける」。
うれしそうに話すお客さまに、
「いつまでもお元気でいてください」
枕元で髪の毛を切らせてもらった。
傍らにいた娘さんが涙ぐみながら
「お母さん、きれいになったね」
お客さまも「本当に良かった。
ありがとう」
手を取ってくださった。

✨ お客さまやご家族と、
心を結んでいく中で、
一人また一人と、予約が増えていった。
インターネットの口コミでも
高い評価を頂いて、
コロナ禍の今も、
たくさんのお客さまに
愛用していただいている。     

✨ 振り返えると、
願い、
祈り続けてきたことは
全部かなっていた。  
学会活動も、
仕事も、
子育ても
「全てをやり遂げたい」という願い

✨ 訪問美容で多くの仕事を頂けた
スケジュールが組みやすくなり、
子どもたちの学校のイベントにも、
学会の会合にも、
参加できるようになった。     
成偉と士輝とは、
今も川の字で寝るほど仲良し
仕事もこれ以上ないほど充実
学会活動から離れなければ、
全ての場所で勝利を開いていける
その確信を胸に、
新米の地区女性部長として
広布に駆けている。 

✨ 訪問美容のお客さまやママ友から、
悩みを打ち明けられる
そのたび、池田先生の本を贈り、
負けないでと仏法対話を重ねている。
勤める美容室のオーナーにも
御本尊様を授与することができた。
生き生きと
広布と使命の道を歩む私の背中を、
成偉と士輝に見せていきたい



〈Switch――共育のまなざし〉  シングルママが「学会の庭」に戻るまで 抜粋

2022-11-22 10:02:05 | 聖教新聞を読む
🌸 子どもを尊重する心を学んだ

✨ 木村和恵さん 
三重・津市に住む“学会3世”
“信心なんて、やるものか。
わが子たちにも必要ない”
―4年半前までそう思っていた

✨ 今月、白ゆり長の任を受けた。
小学6年の双子の息子も
少年部員として頑張っている

🌼 双子を抱えて

✨ 快晴だった。今月18日、
木村和恵さんの祖母
つたさんの葬儀が、
津市内で執り行われた。
享年97歳。
創価学会員の親族が導師を務め
故人を悼み、
感謝を捧げる「家族葬」
和恵さんの隣で
長男・悠月さん(小学6年)と
次男・琉月さん(同)がピンと背筋を伸ばし、
両手を合わせ、
会場に響く唱題の声に和している。   
“いつになく、心を込めてる感じやなあ”
双子の横顔を見つめつつ、
自分の小学生時代から
今日までの歩みを振り返っていた。   

✨ 典型的な“おばあちゃん子”だった
父・誠伸さん(副圏長)と
母・美代子さん(圏副女性部長)が
学会活動に駆けている間、
近居する祖母が
和恵さんたち3人きょうだいの面倒を見てくれた     
いつも笑顔で温かい。
「食べ物を粗末にしない」
「物を大事に使う」
と大切なことを、
振る舞いで教えてくれる人だった。
「お題目は、すごいんやで」
御本尊に向かう
真剣な背中を見せてくれる
創価の母でもあった。     

✨ 「学会家族のぬくもり」
小学生の頃、座談会に行けば
「和恵ちゃん、よく来たねえ!」
皆がとびきりの笑顔で迎えてくれた。
挑戦していることを発表すると、
「和恵ちゃん、さすがやな!」
「ほんまに感動したわ!」と褒めてくれる

✨ 中学生になると、
次第に信心に反発するように
学会活動で忙しい両親
寂しさや不満を募らせた
“信心と私、どっちが大事なんや!”
宗教への誤解や偏見に満ちた報道にも触れるようになり、
学会員であることを
周囲に知られたくないと思った

✨ つたさんは、
「お母さんとお父さんはな、
家族のことも地域のみんなのことも
大事に思うてるから、頑張ってるんやで」
納得できなかった
反抗期も相まって
両親と感情的に衝突
家の外に居場所を求めた。
    
✨ 26歳で結婚。
御本尊を持たず、
「学会の庭」から離れるように家を出た。2011年3月に双子を出産。
幸せを手に入れたかに思えたが
―期待は裏切られる。
夫と価値観が合わず、
言い争う毎日。
交互に授乳と夜泣きを繰り返すわが子の対応で、
眠る暇もない。
涙が止まらない。
夫婦げんかが始まる。
相談したり愚痴を吐く相手もいない
「もう無理!」
離婚を選んだ和恵さん
生後7カ月の双子を抱えて、
津市の実家に戻った。   

🌼 お帰りなさい

✨ 生活が一変した
両親も同様だった。
ゆったりと孫育てを楽しむ
そんな老後を想像していたに違いない。
赤ん坊の世話に追われる慌ただしい毎日を
再び送ることになる
母の美代子さん
“もう一人の母親”になったつもりで
双子の悠月さん・琉月さんの面倒を見た。
父の誠伸さん
「これは俺の罪滅ぼし…
いや、恩返しの時や」と腹をくくった。  

✨ 和恵さんは
心の中で両親に感謝はすれど、
素直にそれを口にできない。
慣れない仕事
初めてのことだらけの子育ての不安。
離婚によって、わが子から
“父親を奪ってしまった”罪悪感…
イライラのかたまりを両親にぶつけては、
自己嫌悪に   
両親は黙って全てを受け止めて、
深夜、御本尊の前に座る
祖母のつたさんも真剣に唱題を重ねた。
“わが子・わが孫たちが、
使命の人生を歩めますように”

✨ 「祈る」ことは
「信じて待つこと」でもあった。     
春夏秋冬は巡り1年、2年、3年、5年…
離婚から7年目を迎えた春
和恵さんは、母・美代子さんに言った。
「久しぶりに、
座談会に出てみようと思うの」     
いったい何があったのか。
娘が「このままではいけない」
と思っていることは確かだった。     

✨ 座談会当日。
和恵さんは緊張していた。
地区の皆から、
どんな目で見られるのだろう。
腫れ物に触るような対応をされるのではないか。
恐る恐る会場に入る
「和恵ちゃん、よく来たねえ!」
「待ってたよー!」。     
懐かしい声と笑顔。
幼い頃に参加した時と変わらない温かさ。
「お帰りなさい」の一言に、
思わず胸に込み上げるものがあった。   

🌼 親子で一緒に


✨ 足しげく訪問・激励に通ってくれた
2人の同志がいた。
坂本亜希子さん(支部女性部長)と
廣瀬優子さん(地区女性部長)   
当初の応対は、けんもほろろ。
玄関先で話をする時間も、1分にも満たない。変化を及ぼしたのは、
双子の息子たちの存在だった
坂本さんと廣瀬さんが訪問すると、
決まって悠月さんと琉月さんも顔を出す。
彼ら2人にも「こんばんは」と頭を下げて、
丁寧にあいさつをする
時に膝を折り、
目線を合わせて声を掛ける。
兄弟が学校での出来事を話すと、
じっくり耳を傾けて
「すごいなあ!」
「おばちゃんも負けずに頑張るわ!」
心からたたえてくれた。     
子どもだからと下に見ず、
尊重してくれていることが、
その声や姿から伝わる
子どもたちは心を開き始めた。     

✨ やんちゃ盛りの小学生。
兄弟げんかは日常茶飯事。
和恵さんは四六時中、
頭ごなしに叱ってばかり。
それが坂本さん・廣瀬さんと共にいるひとときは、
不思議と穏やかな時間が流れた。
自分もこの人たちみたいになりたい
―和恵さんの心に変化が生まれ始めた。
両親のいない時間を見計らって、
少しずつ題目を唱え始めていた

✨ わが子が信心するかしないかは、
成人してから本人たちが決めればいい。
和恵さんは「学会の庭」に戻ってからも、
そう思っていた。  
坂本さんと廣瀬さんは   
「確かに、その考え方もあるよね。
でも、この信心って
『人間として成長するための信心』だから、
本当に一生涯やる意味があるかどうかも、
実際にやってみて
『成長できたかどうか』で、
判断できると思うの。
親子で一緒に成長できる信心だよ」   
 
✨ 一理あると和恵さんは思った。
ただ、本人の意思を尊重したい。
それは坂本さんと廣瀬さんも同じだった。     座談会に家族全員で何度か参加した頃、
廣瀬さんが悠月さんと琉月さんの目を見て、
ゆっくり尋ねた。
「一緒に信心してみませんか」
2人は間髪を入れずに手を挙げて
「やるー!」
和恵さんも驚いた。     
2018年、兄弟は晴れて入会し


🌼 今度は私が

✨ 学会活動をするようになって、
和恵さんが同志から学んだこと
「子どもと接する姿勢」
毎月の座談会への参加の呼び掛け、
大白蓮華の「巻頭言」朗読のお願い
和恵さんを通してではなく、
必ず悠月さん・琉月さん2人に
“直接”声を掛けてくれる。
時間が取れない場合も、
LINEのビデオ通話で、
必ず顔を見て伝える
「池田先生が『子どもに接する時は、
一個の人格として尊重することが大事です』と、おっしゃっているから」
「子どもの中には大人がいる。
その大人に向かって対等に語りかけていけば、
子どもの『人格』が育っていきます。
そうすることによって、
育てる側も育てられていくのです」   

✨ 親子で共に育った証し
今夏、創価ファミリー大会で
和恵さん・悠月さん・琉月さん
3人がリレー体験発表に立った
トップバッターは悠月さん
「僕は小学3年生の頃までは泣き虫でした」
しかし座談会で司会や「巻頭言」朗読を務め、地区の同志から励ましてもらう中で明るくなれた
今では「巻頭言」を暗記して臨んでいる
「それなのに、
『国語の成績がどうしてこんなに残念なのか』と家族に言われます!」。
小学校の児童会で副会長も務めた。
困っている友だちの力になっていきたい
―それが今、祈っていることだ。     
続いて琉月さん。
兄同様、もともと人前で話すのが大の苦手。
座談会でさまざまな役割を担う中で自信を付け、
何でも挑戦できる人になれた。
“カナヅチ”だった水泳も、
クロールで50メートルを泳げるまでに。
目標は「学会の人たちみたいに、
たくさんの人を支えられる自分になること」。
もう一つの目標
それは兄との決着。
毎日のようにケンカをするが、勝率は1割。
「けれど学校の成績はいつも僕の圧勝です!」
兄に負けじと笑いを広げる。     
和恵さんは感謝で結んだ。
「“寄り道”もしましたが…
こうして、
学会の庭に戻ってくることができました」   


🌼 「変わらない居場所」があった
「変わりたい!」と前を向けた

✨ 祖母・つたさんの葬儀が行われた
今月18日、
和恵さんは白ゆり長の任を受けた。     
今なら分かる。
学会という「変わらない安心の居場所」を
守り広げるために、
祖母も両親も、地域の同志も、
どんなに大変でも戦ってきてくれたのだ。
この居場所があったから
「変わりたい!」と前を向けた。
だから“今度は私が頑張るからね”。
そう祖母の遺影に誓った。     

✨ 学会創立100周年となる2030年、
悠月さん・琉月さんは成人の世代となる。
その時、お互いにどんな青春の道を歩んでいるのだろう
―希望の未来を今、
親子で語り合っているという。