優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

〈信仰体験〉「移植片対宿主病(GVHD)」と歩む 自分にできること 抜粋

2022-11-21 09:54:32 | 聖教新聞を読む
🌟 “治してほしい”
ではなく“治すんだ!”
との祈り

【福岡県大牟田市】
野田竜矢さん(34)
壮絶ながんとの闘い
治療を終えた後も不安が尽きない。

✨ 18歳
「急性骨髄性白血病」を発症
骨髄移植で一命を取り留めた
合併症や母の死に直面
人生の絶望を味わう。
そんな時、信心と出あい、
“希望”を見いだした。
今は感謝の人生を、
真っすぐ歩んでいる。

✨ “普通の幸せ”を
思い描けなくなった
明るくて、目立ちたがりの性格。
両親の愛情を一身に受けて育ち、
高校では吹奏楽部で全国大会に出場。
卒業後は公務員を目指し、
専門学校へ進学した。  

✨ 2006年(平成18年)6月、
体調に異変を感じた。
口内炎が治らず、倦怠感が続く。
高熱を発し病院へ運ばれた
即検査入院
告げられた病名は「急性骨髄性白血病」
頭の中が真っ白になった。  

✨ すぐに抗がん剤治療が始まった。
副作用で髪が抜け、
気持ち悪さで眠れなくなる。
幻覚にもさいなまれた。
半年間の治療
数値は正常になったが
6カ月後に再発

✨ 残された治療法は骨髄移植。
幸い、母親の型が合い、
移植することができた。  
治療の苦痛は想像を絶した
学校は中退
学ぶことも働くこともできず、
病院と自宅を往復する日々。
同級生の活躍
結婚という話が、
嫌でも耳に入る。
周りがキラキラ輝いて見えた。

✨ いつの間にか22歳に。
自分の時間だけが止まっている
“俺は、このまま死んでいくんだ……。
死ぬ前に、人が驚くことをしたい”  
向かった先は、地元で有名な、
風変わりな店長がいるという
“おかまバー”。
震える手で店のドアを開ける
体格のいい、
ひげ面のおじさんと目が合った。  
ニヤッと一瞥すると、
オネエ言葉で
「あなた、いいじゃない」

✨ “何か”を感じたのか、
「あなた、何もしてないでしょう。
ここで働きなさい」
思わず「はい」と返事をしてしまった。

✨ 翌日から店に
ひげ面の店長は話し上手で聞き上手。
優しくて懐の深い人だった。  
“もう少し生きてみよう”。
そう思い始めた矢先、
最愛の母が亡くなった。  
泣きながら店長に、
やり切れない怒りをぶつけた。  

✨ 「何で、自分ばかり、
こんな目に遭わないといけないんですか!
何のために
僕は生まれてきたんですか!?」  
店長は黙ってうなずき、
目を真っすぐ見て、語りかけた。  
「私は創価学会員なの。
この信仰を貫けば、
宿命を必ず転換できるし、
あなたは絶対に幸せになれるわ」  

 “幸せになれる”。
その一言が
冷え切った心を温めてくれた
11年1月に入会
題目を唱えると、
不思議なことがあった。
接客中、
相手が求めている言葉や飲み物、
“間”に気付けた。  

✨ “この信心はすごい!”  
多くの経験を積みたくて、店をやめ、
建築業や飲食店に勤めた。
“働くこと”さえ奇跡だと思っていた
いつしか“やりがい”を求めるように。
変化に驚き、ワクワクした。  

✨ 一方、病の影がちらついた。  
ステロイド治療の影響で
両膝の骨が壊死、
自家移植した。
肺気胸を何度も起こし、
入退院を繰り返す。  
移植後に起こる
「移植片対宿主病(GVHD)」
の不安に駆られた。
生着したドナーの細胞が、
患者の体を他人と認識して起こす免疫反応。約4割に発症するという。
“頑張っても、
いつかまた倒れてしまうかも……”  
誰にも言えない孤独。
支えてくれたのは学会の同志だった。

✨ 深夜、仕事から帰る
ドアノブに袋が掛かっていた。
手製のジュース、おにぎり、
ある時はギョーザ
手紙が入っていた。
婦人部(当時)の方からだった。
会合にも誘ってくれた。  

✨ “なぜ、僕にこんなにも尽くしてくれるんだろう”  
ある時、理由を聞くと
婦人部の先輩は
野田さんと同年代の息子を
事故で亡くしたことを打ち明けた
「自分が大変な時に、
たくさんの同志が話を聞いてくれたの。
隣で時間を過ごしてくれた。
だから、今度は私がって」
涙があふれる。
慰めや同情ではなく、
同苦。
悩んで立ち止まるたび、
一歩踏み出すまで祈り
待っていてくれた。
 
✨ 「目に見える結果を求め、
分かりやすい方法に飛びついてた。
そのたびに失敗
先輩は
“祈る”ことをたたき込んでくれた。
『願兼於業』の法理を通して、
『私たちは
今の悩みを
願って生まれてきたから、
必ず乗り越えられる』
まずは祈る
“治してほしい”という“お願い”が、
“治すんだ!”との決意に変わっていった」

✨ 本年初頭から、せきが続いた
病院で検査すると、
右肺がほとんど機能していない
慢性GVHDの症状だった。
ステロイド剤を毎日服薬する
「病気だから不幸なのか。
決して、そうではない。
病に負けて、
希望を失ってしまうから不幸なんです。
広布の使命を忘れてしまうから
不幸なんです」
池田先生の言葉があったから前を向けた。

✨ 父や友人ら5人を入会に導いた
入会して、
二つの大きな願いがかなった。  
一つは夢が見つかったこと。  
知人の紹介で老人ホームで働いた際、
厨房の仕事を任された。
作った料理を食べた時の利用者の笑顔
調理師免許を取得
昨年、給食センターに転職
飲食店を開店するという夢に向かって
努力している。

✨ 二つ目は、結婚できたこと。  
相手は高校の後輩、好恵さん。
野田さんのこれまでの苦労を
うわさで聞いてきた
「夫は今も病と闘っています。
なのに自分が大変な時でも
人のことを考えています。
家では、たくさんの友人の名前を掲げて、
幸せと健康を祈っています。
そんな夫を尊敬していますし、
それが信仰の強さなのだと感じるんです」
 
✨ いつも仕事に学会活動にと、
全力な夫の健康を好恵さんも祈念している。
最愛の妻に感謝して、
野田さんは祈りに誓いを込める。  

✨ 「病を恨み、
自分の人生を恨んできました。
いつも“死にたい”と思っていました。
今は違います。
“生き抜くんだ”って決めると、
希望が湧いてくる。
病があるから真剣に祈ることができる
同苦できる。
病という自分にしかない“武器”に感謝して、
一人でも多くの人と
一緒に幸せになっていきたい」

✨ 「創価学会の信心は
“おすがり信仰”じゃなくて、
決めて祈って動く。
その中で、自分が変わり、
祈った以上の自分になれるんです」

✨ 「地域の同志が信心の基本を、
苦難を乗り越える喜びを
教えてくれました」


【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第25回 チャールズ・チャップリン 抜粋

2022-11-20 08:43:53 | 聖教新聞を読む
<チャールズ・チャップリン>
宇宙にある力が地球を動かす。 
君の中にある力と同じだ。
それを使う勇気と意志を持つんだ。


✨ 本年は、
喜劇王チャールズ・チャップリンの
没後45年。
今月、彼の代表作を一挙に紹介する
映画祭が開幕した。  
「ライムライト」(1952年公開)
“チャップリンの映画人生の集大成”
足が動かなくなって絶望するバレリーナを、
彼扮する芸人が励ます場面
「君は戦おうとしない。
たえず
病気と死を考えている。
死と同じく
生も避けられない。
生命だ、命だ。
宇宙にある力が
地球を動かし
木を育てる。
君の中にある力と同じだ。
その力を使う
勇気と意志を持つんだ」 
多くの作品を通して、
人間の持つ偉大な可能性を訴えた
彼のメッセージは
混迷の現代社会を照らす灯となって、
世界中に勇気と希望を送り続ける。

✨ 1889年4月、
チャップリンはイギリス・ロンドン生まれ
両親は舞台で活躍
父の酒癖の悪さが原因で翌年に離婚。
兄と共に母の女手一つで育てられた。  
5歳の時
過労で喉に異変が生じていた母
舞台上で声を出せなくなってしまう。
劇場の支配人は
付き添いで来ていたチャップリン少年を
ステージに立たせた。  
当時の流行歌を歌うと、
そのかわいらしさに観客は大喜び。
予期せぬ形で実現した初舞台
鮮烈な思い出として少年の記憶に刻まれた。

✨ 母は職を失い、
家族の生活は困窮を極めた。
それでも、母はいつも明るく振る舞い、
時にはパントマイムなどをして、
子どもたちを楽しませた。  
それが彼の原動力となった
俳優になるという最終目標だけは、
一度として見失わなかった
打ち続く経済苦
母の病
苦境を、たくましい楽観主義で、
一つ一つ乗り越えていく。
身なりは粗末でも、
心には夢への情熱の炎が赤々と燃えていた。

✨ 10代になると、
自らを売り込みながら、
さまざまな劇団を渡り歩く
その中で類いまれな才能が磨かれ、
やがてアメリカで舞台に立つチャンスが
この巡業が大成功
映画界の目に留まった
ハリウッドの会社にスカウトされ、
1914年2月、24歳で銀幕デビュー。
喜劇王の階段を駆け上がっていった。


<チャールズ・チャップリン>
お互いの不幸ではなく、
幸せのために生きよう。
幸福を生み出せるのは、
あなた方、普通の人々なのです!

✨ チャップリンが生きたのは、
2度の世界大戦が起きた激動の時代
軍靴の響きが高まる中、
「笑いと涙とが、
憎しみと恐れの解毒剤になることを
信じて疑いません」

✨ 「独裁者」(1940年公開)
最終盤、
ヒトラーを彷彿させる独裁者とうり二つのユダヤ人の“床屋”が、
ひょんなことから間違えられ、
代わりに群衆を前に演説することに―。
「わたしたちは、
お互いの不幸ではなく、
お互いの幸せのために
生きたいと思っています。
憎んだり、
軽べつしたりしたいのでありません。
だれがこの地球の上に住んでも良いのです」
「幸福を生み出す力をもっているのは、
あなた方、普通の人々なのです! 
あなた方は、
人生を自由で、
美しくまた
すばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています」

✨ 製作中から激しい妨害を受けた
「独裁者」を完成させ、
ユーモアを武器に
平和と自由のために戦い抜いた
だが戦後の冷戦期に入ると、
アメリカに吹き荒れたマッカーシズム
(共産主義者追放運動)により
“赤”のレッテルが貼られ、
国外追放(52年)
自らを「世界市民」と
国籍をイギリスのままにしていたから

✨ 54年、
ベルリンでの世界平和会議で
国際平和賞を受賞。
彼の偉大な功績が色あせることはなかった。
その後、
英・オックスフォード大学の名誉博士号、
フランスの国家勲章、
パリ市の最高名誉市民の栄誉を受けた。  
追放から20年後
アメリカから再び認められ、渡米。
ハリウッドへの多大な貢献がたたえられ、
アカデミー特別賞が贈られた。
88歳の生涯で手がけた映画は80本以上。
亡くなる2年前の75年に
英国王室からナイトの爵位が授けられた


<チャップリンを語る池田先生>
百千万億劫の功徳を、
ともどもに
大輪の花と光り輝かせていくための、
今世の信心の闘争だ。
だからこそ
何があっても、
かの喜劇王のごとく
「明朗王」として進むのだ。


✨ 池田先生も
若き日から喜劇王に魅せられた
「青年時代に見た傑作の数々が忘れられない」
折々にチャップリンの人生を通し、
同志に励ましの言葉を語り、つづってきた。

✨ 俳優キエラ・チャップリンさん(令孫)とも交流がある。
「私は、イギリスSGIの友人から、
会長が最愛の祖父の言葉を通して、
多くの人々を激励されていることを
何度も伺いました。
祖父の言葉を、
会長のような方に語り継いでいただき、
私にとって、
これほど、喜ばしいことはありません」
「祖父が知れば、
とても誇りに思うと確信します」  

✨ 先生がチャップリンについてスピーチしたのは、
1990年の年末から91年の年頭
90年の暮れ、
学会破壊を企てた第2次宗門事件が勃発。
先生はチャップリンのものまねをして
会場を沸かせ、
宗門の独裁者を笑い飛ばした。  

✨ 91年1月6日第37回本部幹部会
「チャップリンはつねに語っていた。
『生きることはすばらしい!』。
そして『笑うことはすばらしい!』と。
『笑うこと、
人生におけるもっとも厳しい事態をも笑い、
死すらも笑うことのなかには、
健康なものがある。
笑いは強壮剤であり、
気晴らし、
苦痛の放棄である。
それは、この世でもっとも健康的なものである』―。  
何があろうと、
笑いとばす強さ、
朗らかさ、
心のゆとり。
そこに『生命の健康』がある
真剣と深刻とは違う。
勇敢と悲壮とは違う。
大勇の人は、明るい。
確信の人は、冷静である。
知性の人には笑顔の余裕がある。(中略)
まさしく闊達な『笑い』こそは、
不屈なる“心の勝者”の証である」  

✨ 1月23日第15回全国婦人部幹部会
名作「街の灯」
チャップリン演じる放浪者が、
同じ人間として、
悩める大富豪を激励する場面を紹介
「悩める人間がそこにいる。
―チャップリンは、
声をかけずにいられない。
これこそ、『人間』である。
そして、まさにわが学会の世界であり、
仏法の世界である。(中略)  
また、大聖人が繰り返し強調しておられるように、
御本尊の前には皆、平等である。
いかなる差別もないし、
あってはならない。
ありのままの『人間』同士の、
平等な、仏法の民主の世界なのである。  
だからこそ、
チャップリンと同じく、
世界の人々が学会に共感した。
共感があったから、
正法がこれほどまでに広がった。
学会の前進が正しいがゆえに、
仏法を信奉する人々が世界中に急増したのである」  

✨ 90年12月9日
「信仰だけは、
『強き信心』に生きぬけと申し上げたい。
結局、最後に幸せになった人が得である。
また、勝利した人が得である。
途中のよしあしや楽しさに幻惑され、
それと最終章の厳しき勝負とを
はきちがえてはならない。
このことを教えるのが真実の仏法である。
百千万億劫の功徳を、
ともどもに
大輪の花と光り輝かせていくための、
今世の信心の闘争なのである。
ともあれ、
いかに悲しく、
また苦しいことがあっても、
かの喜劇王チャップリンのごとく、
『明朗王』として生きぬいていかれんことを」
(第3回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会でのスピーチ)

✨ 「青年・凱歌の年」へ、
新たな広布の劇が始まった。
その主人公は私たち一人一人である。


【引用・参考】
G・サドゥール著『チャップリン』鈴木力衛・清水馨訳(岩波書店)、
パム・ブラウン著『伝記 世界を変えた人々12 チャップリン』橘高弓枝訳(偕成社)、
ラジ・サクラニー著『チャップリン』上田まさ子訳(佑学社)、
大野裕之著『チャップリン再入門』(日本放送出版協会)、
映画「ライムライト」チャールズ・チャップリン監督、映画「独裁者」同、ほか


〈ブラボーわが人生 信仰体験〉第106回 100歳 恩納村の負けじ魂  抜粋

2022-11-19 15:25:37 | 聖教新聞を読む
「この信心、頑張らんで
どうします?」

【沖縄県恩納村】
長浜はるさん(100)
「信心だけは、
絶対に負けたくない。
だから
分からないことは教えてください。
お願いします」
そう言って、車いすでおじぎした。


🌸 花に囲まれて暮らす日々

✨ 100歳です。
春が来たら101歳
今は足が痺れて、車いす。
痩せたから、洋服も大きくなって
父親は3歳の時に亡くなった。
お父さんのいる子が
うらやましかった
姉さんも病気で亡くなった
兄さんは戦死。
母親が一生懸命育ててくれた

✨ 貧しいから14歳で学校やめて、
紡績工場に
漢字が書けなかった
辞書を買って、
鉛筆がちびるまで練習した

✨ 結婚して、子どもが4人
けれど、主人は家にお金を入れない
帰ってこなくなり離婚
一生懸命働くしかない
朝4時に起き
魚を売って、
帰ったらモンペを売った
サトウキビも育てた
水道がないから
川とか海で体洗った。
米もないし、
芋もない
ソテツを刻んで、
乾燥させて食べて暮らしてた

✨ 「これをやってごらん」
読谷村の人から信心を教わった
昭和35年(1960年)でした。

✨ 私は声が大きい
題目あげると、
道を歩く人も、
アメリカの人も、
みんな来てから見る

✨ 父親はいない。
夫もいない。
村一番のボロ家
「貧乏者。おうちも作れないのに」
笑われても
大事なのは自分の心。
自分の精神。
やる気があったら絶対負けない。

✨ 村八分になって石を投げられ
ビンを投げられた
「私は負けない。
勝ってみせるから、
お互いにガンバロウ」 そう言った

✨ 鎌で脅された
水タンクに人糞を入れられた
でも誰が何言おうが、
私は絶対負けない。
その意地だけは今もある。  
息子が背中をバールで殴られた
娘が弁当にガジュマルに付く虫を入れられた
「大丈夫。題目あげた分だけ、
あなたは勝つんだから」。
この確信で、私は子どもを育てた

✨ 昭和47年
池田先生と那覇でお会いした
先生は私の手を取って
「元気で頑張るんだよ」。
先生の目を見たら、
自分の父親が来てくれたような気がした
池田先生は私のお父さんだ
涙がぽろぽろと出た  

✨ 村ではずっと仲間外れ
御書に
どんな苦しいことも耐えていきなさい。
信心をやり通していけば、
必ず幸せになるんだから”ってある
御本尊様、
この集落が平和になりますように。
この集落を守ってください」。
それだけを祈りました。  

✨ 憎まない
人を憎んだら、
自分に返ってくる。
自分が損をする
信心した人間が、
人憎んだらどうなりますか。
集落を
幸せにしたいって
願ってるのに

✨ 苦しくてたまらない時
一人で畑行って泣く
空見て、
池田先生のことを思い出す。
あの日、握手しながら
はい、頑張ります。負けません」
そう答えたら、
先生は握り返してくれた
自分には“お父さん”がいる
そう感謝して、
自分に「負けてはいけない」って言う

✨ 投げられた石が、
家の板間に転がってる。
それを拾って、御本尊様にお供えした
「私に石投げる人がいますけど、
私は我慢します。
絶対負けない。
守ってください」  

✨ 石は一度も私に当たらない。
御本尊様が、守ってくれた
人間は、
やる気があれば、
どんなことでもできる。
お金ためて、家を建てた
茅葺きから、コンクリートの家
「やっぱりこの信心には勝てないんだねー」と言われた

✨ 何年も頭の上にタライを乗せて商売した
だから、てっぺんの髪が薄い
けれど、自分がちょっと誇らしい
今も、信心を始めた集落で、
みんなと仲良く暮らしてる
デイサービスで琉歌(沖縄の叙情的歌謡。八・八・八・六の形式)を始めた。
何度か賞をもらった
ウレシイ。  

✨ 漢字の勉強したから、
聖教新聞も読める
読んだら、
デイサービスでみんなに見せる。
友達が
「信心のおかげで100歳になったんだね」と
「南無妙法蓮華経したら幸せになるよ」と
教えています。
集落のみんなが健康で、
繁盛して、
幸せになってほしい。
それが私の願い。  

✨ この信心はすごい
御書に
「しばらくの苦こそ候とも、
ついにはたのしかるべし」
(新1901・全1565)。
私は勝った。
絶対負けてない。
勝ったんだよー。   

✨ まさしく不軽菩薩のような人
石を投げられても愚痴はない。
我慢しよう、
今に見ておれ、
頑張るんだ、
生きていくんだ
もろもろを込めた「私は勝った」

✨ はるさんは3年前に脳梗塞に
「絶対に死なん。
死んではいけない。
100歳まで生きてみせる」と
そして100歳。
これからが人生だと、
わが身にムチを打とうとする。

 若い頃からあれだけ苦労してきたのに、
百寿の頂に立てたのに、
それでも題目の質量は落とさない。
「この信心、
頑張らんでどうします?」  

✨ 師匠と握った手と手の約束
感動というより、
打ちのめされた。  
はるさんはユーモアの人でもある。
デイサービスでみんなに
「聖教新聞の取材がある」とは言わず、
「南無妙法蓮華経の彼氏が来る」と
ルンルンに答えたらしい。
今度、はるさんと手をつないで行こう。
「どうも、彼氏です」と


名字の言 正義に殉じた先人の精神は後世に大きな価値を残す  抜粋

2022-11-18 12:55:06 | 聖教新聞を読む

✨ 米国の哲学者デューイ1919年来日教育実態を見聞し国家を近隣諸国への軍事的拡張に駆り立てるような日本の学校教育の風潮を嘆いた✨ デューイは教育を、極端なナショナリズム戦争をもたらす要因を克服する手段の一つと考えていた。日本政府からの叙勲の打診に拒否して抗議の姿勢を示した✨ 初代会長の牧口先生デューイの教育思想を敬愛「子どもの幸福」を第一義とする教育を掲げた。治安維持法違反の容疑による先生の検挙理由の一つが教育勅語から「忠誠心」を説く一節を削除するよう主張したこと✨ ラリー・ヒックマン博士デューイ研究の第一人者「牧口初代会長のように道徳的勇気に生き、正義に殉じた先人の精神ほど、後世の人々の人生に大きな価値を刻み、影響を残していくものはありません」✨ 創価学会は、牧口先生の『創価教育学体系』発刊の日を創立記念日に定めた。我らの信仰が全人格を薫育し、もって社会を良化する「人間のための宗教」であることを示している。身命を賭して、大道を開いた三代会長に続く誓いを新たにしたい。


〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉     テーマ:生死と向き合う  抜粋

2022-11-15 06:45:29 | 聖教新聞を読む
🌸 御文
妙とは蘇生の義なり。
蘇生と申すは、
よみがえる義なり
(法華経題目抄、新541・全947)

🌼 通解

妙とは蘇生の意味である。
蘇生とは、
よみがえるということである。

🌟 生きる意味を見いだす
家族を失う悲哀の淵で

✨ 平尾純子さん(67)
結婚7年目の1992年(平成4年)秋、
妊娠が分かった。
喜びもつかの間、
翌年の出産の日、
子どもは産声を上げなかった。
夫の手を握り、
一晩中、泣いた。
✨ 流産を繰り返して、
ようやく授かった子だった
30歳で結婚。
夫の失業も
夫婦で祈りを合わせて乗り越え、
夫は再就職を果たした。
妊娠が判明したのは、
そうした時だった。
✨ 出産前の検査で、
医師から
「胎児の肺に水がたまっている」と言われた
頭の中が真っ白になった。
大学病院で出産。
生まれたばかりのわが子は、
顔を見ることもできず、
数時間後、亡くなった
✨ あの時のつらさは、
どう表現したらいいのか…
一緒に泣いてくれる夫の存在が、
心の支えになった。
✨ 2年後、
いくらか心の穏やかさを取り戻した頃
夫が出張先のホテルで急に倒れ
救急車で運ばれた
と、同僚からの電話
すぐに行ける距離ではない。
平尾さんは御本尊の前に座り、
懸命に祈った。
✨ 数十分後、再び電話が。
夫の搬送先の病院から
「ご主人はたった今、
お亡くなりになりました」
あまりに突然の出来事。
受話器を握り、
立ち尽くした。
子どもに続き、
支えだった夫まで……。
絶望の底に突き落とされたようだった
✨ 無言で帰宅した夫
自らが生きる意味すら
失われたように思えた。
葬儀から程なく
婦人部(当時)の先輩が
「御宝前に」
きれいな白百合を持ってきてくれた。
何げない温かさが心に染みて、
せきを切ったように涙があふれた。
✨ そんなに泣いていたら、
ご主人が悲しむわよ。
あなたが広布に生きる姿が、
ご主人の成仏の証しになるんだから
✨ “そうだ! 
亡くなった夫のためにも、
広布の使命に生き抜こう”。
心に希望の灯がともった。
平尾さんは、
しんしんと題目を唱え始めた。

✨ その中でひもといた御聖訓
「妙とは蘇生の義なり」
(新541・全947)
自分の命の中に横たわる
悲哀を乗り越えたい
縮こまった自らの生命を、
蘇生させたい。
境涯を開きたい。
祈りの時を重ねる中で、
本当に少しずつ、
力が湧くのを感じた
✨ 夫が霊山に旅立ってから5年後。
池田先生に手紙を書いた。
広布に生き抜く誓いを、
師匠に届けたかった。
すぐに先生から激励が届いた。
“こんな私のことまで、
励ましてくださるなんて”。
感謝と報恩の思いが込み上げた時、
命を覆っていたものが、
すっと消えていった。
心が定まった。
✨ 婦人部の中心者として広布に駆け、
悩む友に寄り添い続けた
いつしか、自身が“励ます側”の生き方を貫けるように。
信心のおかげで、
思いもよらない境涯を開けた
✨ 絶望の淵に沈んでいた時は、
宿命を使命に変えることなど、
想像もできなかった
信心に徹し抜いた先に、
『私だからこそ励ませる人がいる』
という使命を見いだすことができた
夫も短い生涯だったが、
“共に広布の使命を果たしている”と
命の底から確信できた
✨ 同じ悩みを抱える友に、
自らの体験を通して励まし、
“蘇生”の軌道に導いていく―
学会員として生きる中で、
自らの人生が“蘇生”していることを、
強く実感できるまでになっていた。
広布に尽くすことが、
「生きる意味」になった
夫・正一さんと朗らかに前を向く
✨ 11年前、
新しい人生への転機を迎える。
宿命を使命に変えて
広布に戦ってきた人との出会い。
現在の夫・正一さん
✨ 悲哀に屈せず、
信心根本に師弟の道を
真っすぐ歩んできた人。
亡くした家族の分まで、
人生の総仕上げを一緒にと
共戦の歩みを重ねる。
✨ 私の半生は、波乱の連続
信心を貫いてきたからこそ、
苦悩の日々を越えて、
心から感謝できる境涯を開くことができた
日蓮大聖人が示された
「よみがえる義なり」(新541・全947)
✨ 絶望の淵に立たされても、
そこから再び、
勇気と希望を力強く湧かせ、
わが人生を大いに輝かせる―
平尾さんの歩んできた日々には、
“負けない”哲学の真髄が光っていた。
✨ 池田先生は語っている。 「南無妙法蓮華経と唱え、
地涌の菩薩の満々たる生命が、
仏の大生命が涌現する。
いかなる苦難、
困難の障壁も乗り越える
智慧が、
勇気が、
力が、
希望が、
歓喜が、
わが生命にみなぎる。
そして、
『宿命』の嵐を
敢然と勝ち越えることで、
仏法の正義と
偉大なる功力を証明し、
広宣流布を進めていくことができるのである。
いな、そのためにこそ、
勇んで苦悩を担ってきたのだ。
つまり、
『宿命』と『使命』とは
表裏であり、
『宿命』は、そのまま、
その人固有の尊き『使命』となる。
ならば、
広布に生き抜く時、
転換できぬ『宿命』など絶対にない」
(池田大作先生の指導選集〈上〉
『幸福への指針』)
✨ 一生涯、広布に尽くし抜き、
幸せになった姿で、
仏法の偉大さを証明する人生を送りたい。
そう決意しています。
縁した全ての方々への、
恩返しになると信じて
[教学コンパス]

新型コロナ対策のため、
社会のあらゆる分野で
リモート中心の環境が継続してきた。
感染防止だけを考えれば
「人と会わないこと」
以上の対策はない。
他方、社会生活を営む私たちは、
人と会う機会を完全に絶つわけにもいかない。
コロナ禍の中で向き合ってきた葛藤
平尾さんが悲哀の淵で支えとしたのは、
励ましに訪れた先輩同志のぬくもり
真心で支えてくれる同志と、
時と場を共有する経験が、
命を奮い立たせる縁になった。
直接、膝を突き合わせて語らうことで、
リモートでは得がたい、
五体で感じる歓喜が生まれる。

リモート環境で心震える感動が共有できないわけではない。
しかしそれは、
直接、相手と結んだ
「信頼の絆」という土台があってこそ。
仏の尊称(十号)の一つは「如来」。
如如として来る―
まさに「今この瞬間」の眼前に現れる、
生命の躍動を示している
躍動する「今この瞬間」の生命と生命の出会いによってこそ、
胸を打つドラマは紡がれる