読んでみると、NPO法人みやぎ・せんだい中途失聴者難聴者協会というところで出した本でした。
人生の途中で、ある日突然音を失った人、聞こえづらくなってしまった人が日ごろどんな想いで生活しているのか、それを短い文章で綴ったものでした。
世の中にはいろいろな難病や障害を持つ方がいて、それぞれ大変な思いをされているのでしょうが、人とのコミュニケーションが思うように取れないということがどんなに辛いことかということを、改めて思い知らされました。
耳が不自由というと、すぐに連想するのが手話だと思います。
聞こえなくても手話という手段があるじゃないと思ってしまいがちですが、中途失聴者難聴者の方(特に中高年)はなかなか手話を覚えるのが難しいというのが現実のようです。
また、難聴の方も補聴器をつければ聞こえるというわけではなく、音が聞こえても”言葉”が分からない、あるいは補聴器をつけても聞こえるようにはならない難聴もあるということも知りました。
中軽度の難聴の方は話すことができるので、聞こえていると勘違いされたり(健聴者は聞こえない人は話せないと思い込んでいる)、「聞こえないフリをしているんだろう」と誤解されて困ることも多いのだそうです。
中途失聴者難聴者の方にとって、一番手っ取り早くて確実なコミュニケーションの方法は筆談です。
「私は耳が不自由なので書いてください。」と気軽に言える社会になれば障害を持ってしまっても普通に生活できるのだと思いました。
「要約筆記」という手段があることもこの本を読んで思い出しました。
いつかチャレンジできたら…と思います。
人生の途中で、ある日突然音を失った人、聞こえづらくなってしまった人が日ごろどんな想いで生活しているのか、それを短い文章で綴ったものでした。
世の中にはいろいろな難病や障害を持つ方がいて、それぞれ大変な思いをされているのでしょうが、人とのコミュニケーションが思うように取れないということがどんなに辛いことかということを、改めて思い知らされました。
耳が不自由というと、すぐに連想するのが手話だと思います。
聞こえなくても手話という手段があるじゃないと思ってしまいがちですが、中途失聴者難聴者の方(特に中高年)はなかなか手話を覚えるのが難しいというのが現実のようです。
また、難聴の方も補聴器をつければ聞こえるというわけではなく、音が聞こえても”言葉”が分からない、あるいは補聴器をつけても聞こえるようにはならない難聴もあるということも知りました。
中軽度の難聴の方は話すことができるので、聞こえていると勘違いされたり(健聴者は聞こえない人は話せないと思い込んでいる)、「聞こえないフリをしているんだろう」と誤解されて困ることも多いのだそうです。
中途失聴者難聴者の方にとって、一番手っ取り早くて確実なコミュニケーションの方法は筆談です。
「私は耳が不自由なので書いてください。」と気軽に言える社会になれば障害を持ってしまっても普通に生活できるのだと思いました。
「要約筆記」という手段があることもこの本を読んで思い出しました。
いつかチャレンジできたら…と思います。