先日友人から聞いた話。(といっても話を聞いてからもう半月近くたってしまったが…、記事にするタイミングを失ってしまって。)
友人の娘さんが出た剣道の試合でのこと、相手が反則業を使ってこちらが打ち込めないようにされてしまい、しかも審判がなかなか反則を取ってくれずに、けっきょく時間切れで逃げ切られる形で負けてしまったと言う。
剣道もいろいろ派閥のようなものがあるらしく、いわゆる「勝つ剣道」を重視する方と「負けない剣道(防御する剣道」を重視する派があるらしい。
いずれにせよ、その友人が憤慨しているのは、子供達の『健全育成』を謳いながら、反則技まで使って勝とうとする剣道を小中学生に教え込むのはいかがなものかということなのである。
私は剣道のことは門外漢でまったく分からないのだが、剣道や柔道などのいわゆる日本の武道というのは、武士道精神を教えるものではないのだろうか。
新渡戸稲造はその著書『武士道』の中で、「名誉ー命以上に大切な価値」と言っているし、また「恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌」とも言っている。
確かに、剣道もスポーツのひとつである以上、勝敗は重要であろう。
今回の試合も、かなりレベルの高い試合で、2位までに入れば県大会出場がかかっていた大会らしく、残念ながら友人の娘さんは3位で上に進めなかった。
大人であれば、多少の駆け引きや汚い業を使っても勝負にこだわると言うことがあるのはやむをえないのかもしれない。
世の中正義だけが通るわけではないこと、理不尽なこともいくらでもあること、そんなことは大人になればいくらでもいずれ知るようになる。
建前であっても『健全育成』を謳っている以上、潔い勝負をすること、礼節を重んじること、日本人としての心を培う指導をしていただきたいものである。
誰が見ていなくても、自分にとって恥ずかしくない行為であったかどうか、自分を省みられる子供達を育てていただきたい、と指導者の方たちにはおねがいしたい。
回りに迷惑ばかりかけ、失礼ばかりしている私が言うべきことではないのは重々承知なのだが、つい余計なことを…。
明日はいよいよ中総体の剣道の試合がある。
勝ち上がっていけばいずれ同じ相手と当たることになる可能性がある。
今度こそ、勝っても負けても、お互い実力を出し切って、「ありがとうございました」と気持ちよく終われる試合であってほしいと祈るばかりである。
友人の娘さんが出た剣道の試合でのこと、相手が反則業を使ってこちらが打ち込めないようにされてしまい、しかも審判がなかなか反則を取ってくれずに、けっきょく時間切れで逃げ切られる形で負けてしまったと言う。
剣道もいろいろ派閥のようなものがあるらしく、いわゆる「勝つ剣道」を重視する方と「負けない剣道(防御する剣道」を重視する派があるらしい。
いずれにせよ、その友人が憤慨しているのは、子供達の『健全育成』を謳いながら、反則技まで使って勝とうとする剣道を小中学生に教え込むのはいかがなものかということなのである。
私は剣道のことは門外漢でまったく分からないのだが、剣道や柔道などのいわゆる日本の武道というのは、武士道精神を教えるものではないのだろうか。
新渡戸稲造はその著書『武士道』の中で、「名誉ー命以上に大切な価値」と言っているし、また「恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌」とも言っている。
確かに、剣道もスポーツのひとつである以上、勝敗は重要であろう。
今回の試合も、かなりレベルの高い試合で、2位までに入れば県大会出場がかかっていた大会らしく、残念ながら友人の娘さんは3位で上に進めなかった。
大人であれば、多少の駆け引きや汚い業を使っても勝負にこだわると言うことがあるのはやむをえないのかもしれない。
世の中正義だけが通るわけではないこと、理不尽なこともいくらでもあること、そんなことは大人になればいくらでもいずれ知るようになる。
建前であっても『健全育成』を謳っている以上、潔い勝負をすること、礼節を重んじること、日本人としての心を培う指導をしていただきたいものである。
誰が見ていなくても、自分にとって恥ずかしくない行為であったかどうか、自分を省みられる子供達を育てていただきたい、と指導者の方たちにはおねがいしたい。
回りに迷惑ばかりかけ、失礼ばかりしている私が言うべきことではないのは重々承知なのだが、つい余計なことを…。
明日はいよいよ中総体の剣道の試合がある。
勝ち上がっていけばいずれ同じ相手と当たることになる可能性がある。
今度こそ、勝っても負けても、お互い実力を出し切って、「ありがとうございました」と気持ちよく終われる試合であってほしいと祈るばかりである。