やんちゃ娘が言う。
「大好き、大好きって、うざったい?」
う~ん、どうだろう。ちょっと考えた。
毎日毎日、やんちゃ娘とナムリソタは「お母さん大好き~」と言う。
おはようやいただきますと同じように、当たり前に、日常的に言う。
うれしいなと思うときもあれば、ただ反射的に「ありがと」と返すときもあり、時にはうざったいと正直思わないでもない。
欧米では、夫婦でも親子でも「愛してるよ」と毎日言うそうですよね。よく聞く事です。日本人は、テレやだから、もう小学校の高学年くらいになると、普通親にも言わなくなる。(たぶん)
と言うことは、やんちゃ娘とナムリソタは、飛びぬけて素直なのか、それとも幼いということか。
私も、旦那に「愛してる」とか「好きよ」と面と向かっていったことは、多分ない。
恥ずかしいし、「愛している」のかどうかと考えると、う~ん、と考えざるを得ないから、取ってつけたように言うのも、やっぱり恥ずかしいのかな。
ただ、もし旦那がいなければ、私はやっぱり辛いと思うし、寂しいんだと思う。
昔、子ども5人を連れて、女川原発を見学しに行ったことがある。
会社の労組の主催行事で、団体バスでちゃんとお世話してくれる人もいたんだが、私は胃が痛くなった。
旦那が居なくて、子どもたちを連れて外出するということが初めてだったし、そのとき、いかに心身ともに旦那に寄りかかって、当てにして生きているのだと実感した。
だから、感謝はしている。ありがたいと思う。
ろくに家事もせず、ただ送り迎えだけしている私を、こうして家にいさせてくれるのだから、こんにゃろと思っているときでも、「お疲れ様」「ありがとう」「いただきます」と口にするよう心がけている。
お互い人間ですから、いろいろ不満もあるわけです。
でも、それを言い出したらきりがない。不満が、不満を呼ぶ。
それは、まず脇に置いといて、とりあえず「大好きだよ」と言葉にすることが、そういう感情を育てていくのかもしれない。
言葉にすることが、大事。
声、仏事をなすとも言いますしね。思っているだけで、分かれ、というのは傲慢なのかもしれない。
やんちゃ娘だってナムリソタだって、私のことを不満に思うことはいろいろあるんだろうと思う。
太ってかっこ悪いし、他のお母さんみたいに綺麗にしてないし、勉強しろとうるさいし。自分は寝ているくせに、片付けろというし…。
そんなこんなもひっくるめて、「お母さん、大好き」と言ってくれるのだから、私も文句ばっかり言ってないで「大好きだよ~」の気持ちを育てていかなくちゃいけないのだな、と思ったのでした。
言葉とは 思いを育て 人さえも
動かす力 あるのだと知る
「きくち体操」の菊池先生も、自分の体に、「大丈夫?最後の日まで頑張ってね」って、よく見て、感じて、言葉をかけること、思いをかけることが大事って言ってますものね。
「大好き、大好きって、うざったい?」
う~ん、どうだろう。ちょっと考えた。
毎日毎日、やんちゃ娘とナムリソタは「お母さん大好き~」と言う。
おはようやいただきますと同じように、当たり前に、日常的に言う。
うれしいなと思うときもあれば、ただ反射的に「ありがと」と返すときもあり、時にはうざったいと正直思わないでもない。
欧米では、夫婦でも親子でも「愛してるよ」と毎日言うそうですよね。よく聞く事です。日本人は、テレやだから、もう小学校の高学年くらいになると、普通親にも言わなくなる。(たぶん)
と言うことは、やんちゃ娘とナムリソタは、飛びぬけて素直なのか、それとも幼いということか。
私も、旦那に「愛してる」とか「好きよ」と面と向かっていったことは、多分ない。
恥ずかしいし、「愛している」のかどうかと考えると、う~ん、と考えざるを得ないから、取ってつけたように言うのも、やっぱり恥ずかしいのかな。
ただ、もし旦那がいなければ、私はやっぱり辛いと思うし、寂しいんだと思う。
昔、子ども5人を連れて、女川原発を見学しに行ったことがある。
会社の労組の主催行事で、団体バスでちゃんとお世話してくれる人もいたんだが、私は胃が痛くなった。
旦那が居なくて、子どもたちを連れて外出するということが初めてだったし、そのとき、いかに心身ともに旦那に寄りかかって、当てにして生きているのだと実感した。
だから、感謝はしている。ありがたいと思う。
ろくに家事もせず、ただ送り迎えだけしている私を、こうして家にいさせてくれるのだから、こんにゃろと思っているときでも、「お疲れ様」「ありがとう」「いただきます」と口にするよう心がけている。
お互い人間ですから、いろいろ不満もあるわけです。
でも、それを言い出したらきりがない。不満が、不満を呼ぶ。
それは、まず脇に置いといて、とりあえず「大好きだよ」と言葉にすることが、そういう感情を育てていくのかもしれない。
言葉にすることが、大事。
声、仏事をなすとも言いますしね。思っているだけで、分かれ、というのは傲慢なのかもしれない。
やんちゃ娘だってナムリソタだって、私のことを不満に思うことはいろいろあるんだろうと思う。
太ってかっこ悪いし、他のお母さんみたいに綺麗にしてないし、勉強しろとうるさいし。自分は寝ているくせに、片付けろというし…。
そんなこんなもひっくるめて、「お母さん、大好き」と言ってくれるのだから、私も文句ばっかり言ってないで「大好きだよ~」の気持ちを育てていかなくちゃいけないのだな、と思ったのでした。
言葉とは 思いを育て 人さえも
動かす力 あるのだと知る
「きくち体操」の菊池先生も、自分の体に、「大丈夫?最後の日まで頑張ってね」って、よく見て、感じて、言葉をかけること、思いをかけることが大事って言ってますものね。