『夢をかなえるサッカーノート』 中村俊輔著(文藝春秋)
体の弱い子どもだった。
アレルギー性鼻炎のせいで、年中鼻をたらして風邪をひいていた。
学校もよく休んだ。
小太りだったから、足が遅かった。
そのくせ負けず嫌いで、運動会のリレーの選手に選ばれないのが悔しかった。
母親は器用で何でもできる人なのに、私は不器用で図工と家庭科が苦手だった。
裁縫のときは、ボタン付けができずに難渋した。
写生会は、一年中で一番嫌いな行事だった。いくら頑張っても絵は仕上がらなかった。
音楽は好きだったけど、ピアノを習いたくても慣わしてもらえなかったし、残念ながら音痴だった。
だけど、算数だけは、人に負けたくなかった。
九九も頑張って覚えた。
文章題も得意だったし、円の面積の計算は誰よりも早かった。
なぜ早かったかって?
それは、答えを覚えていたから。
何回も問題を解くうちに、答えを覚えてしまったのだ。
たとえば、半径8cmの円の面積は、8×8×3.14=200.96 これだけは今でも覚えている。
中学へ入ると、いかに美しく簡単に問題を解くかに関心を持つようになった。
綺麗に計算できたときの快感が、たまらないのだ。
高校受験前の秋期講習で、すばらしい数学の先生に出会った。
その先生の教えるとおりに勉強すると、面白いように数学の力が伸びた。
男の先生だったけれど、指が細長くて手の綺麗な先生だった。
私は、数学の先生になりたいと思った。
あの先生のように、生徒の力を伸ばして、数学の面白さを教えてあげられる先生になりたかった。
でも、あっさりとその夢は崩れた。
高校に入って、数Ⅰで挫折したのだ。
関数とグラフの関係がどうしても飲み込めなかった。
夢を諦めかけたとき、またいい先生との出会いがあった。
数ⅡBの先生は、とてもわかりやすく、私の成績はぐんぐん伸びた。
また、数学が私の得意科目になった。
「Sさん、数Ⅲもやるんでしょ。」先生は私にそういった。
先生が教えてくれるなら、絶対できる。
私はそう思って、数Ⅲを選択した。
ところが、担当は違う先生だった。
数Ⅲはとてつもなく難しく、当然理系に進む人ばかりが選択していて、わたしはまたおちこぼれた。
それでも、最後まで意地を張り通し、一番前の真ん中の席で、ちんぷんかんぷんの授業を受け続けた。
私は夢破れ、公務員になった。
そして結婚し、専業主婦になった。
それでも、まだ諦め切れない私は、放送大学に席を置いている。
学習塾の助手のアルバイトを少しして、子どものころの夢をかすかにかなえたときもあった。
今は、うつ病で学習意欲も萎えているが、いつか元気になったら、また数学の勉強をして、子どもたちに教えられる日が来る、そう信じていたい。
皆さんの子供の頃の夢を教えてください。【by文藝春秋・Number】 ←参加中
僕も元気になったら、何か学びたいなあ。。。
GINさんも病気と戦っていらっしゃるんですね。
戦友といっていいですか。
お互いに、病気に負けないようにしましょう。
といっている私が、最近ちょっとへこんでいるんですけどね。
だからこそ、夢は捨てないでいたいと思うんです。