下関の『源平荘』で一夜を明かすと、今度は下関探訪です。
ここは古くは源平の合戦『壇ノ浦の戦い』の舞台です。
近年では日本の歴史を変えた明治維新の長州物語の地です。
朝から海鮮丼も まるで竜宮城の赤間神宮 みもすそ川公園
宇佐神宮 別府8湯『海浜砂湯』 海辺が砂湯
東九州道を別府に向かっているとき『宇佐』インターの文字が見えた際、昨年
『宇佐神宮』の鳥居前まで行った事を思い出しました。
喪中の最中で 「神社に詣でるには憚(はばか)れる」と遠慮しました。しかし今回
神宮内に入ってみると、仏様と神様が最初に出会った場所だとの案内がありました。
ならば、昨年鳥居をくぐっても良かったのでは??
由緒ある神宮に詣でた後、神宮横の『から揚げ店』での熱々のから揚げは格別
でした。8つ買って1つは家人が食べ、私は4つまで食べたが後は入りませんでした。
(杉乃井ホテルでのバイキングの準備でセーブしていたのかも・・・)
別府8湯の内、通るたびに入って残りは3湯となっていました。
午後の4時前でチェックインには早いので、3湯の内の『亀川温泉=海浜砂湯』に
入れるのではと寄ってみました。
「今日の受付は済みました。明日は6時半から受け付けます」 しかし、砂湯に
入れるのは午前8時過ぎだとか。
指宿の砂湯を想像していたのに、何とこじんまりしたエリアでした。落胆して8湯の
クリアーはあきらめて『別府7湯』で完了とする事にしました。
昨日は、長年通過していた街に暫し留まって新たな発見も有りました。
ホテルでの夕食(右)と朝食 鷲羽山から 関門海峡
関門海峡を望む公園 河豚のフルコース コース メニュー
60年も前から行かなければならないと思っていた『鷲羽山』。
60年前は辺鄙な山であった様な気がします。しかし 現在は展望台まで車で行け、
開通した『瀬戸大橋』を上から眺められるという時代になりました。
倉敷から鷲羽山を見て、それから下関へ走っては400kmは走る事になりそう。
しかし、鷲羽山を見逃すと金輪際見る事が出来ない気がしたので、無理して400km
走りました。
広島で降りての『広島焼き』、宮島で降りての『牡蠣のコース』とも我慢して 一路
下関へ走りました。
下関に着いたのは午後の4時過ぎでした。
旅館に聞くと『火の山ロープウェイ』は午後の5時までだとか。行けても帰りは歩きとか。
車の道も有ると言う事で、急な上りを走りました。
間もなく沈む太陽が眩しく、関門海峡を赤く照らしていました。
夕食は久しぶりに味わう『河豚のフルコース』です。鍋はコロナの影響か一人鍋でした。
今日も8時を過ぎると 「もう ダメ!」 熟睡コースに入りました。
大阪を午前5時過ぎ出て、岡山城到着は10時前でした。
いつも通過するだけの街だったので、今回はゆっくり探索するつもりで入りました。
岡山城の雄姿 後楽園 倉敷の古い街並み
大原美術館 星野仙一記念館 クラボー跡のホテル
岡山城に後楽園にとゆっくり目で回りました。確か『宮本武蔵』幽閉の城か
と思っていましたが『姫路城』の思い違いでした。
隣の広大な『後楽園』も含めて2時間余りも費やしていました。
昼食は『倉敷美観地区』の中の和食の店でサラーッと済まし、夕食に期待する
準備をしていました。
同じ地区内の『大原美術館』及び『星野仙一記念館』をじっくり見て、良い時間を
過ごす事が出来ました。
星野仙一(敬称略)と言えば、田淵幸一・山本浩二・富田勝の法政三羽烏と肩を
並べて1968年のドラフトで話題に上がった一人です。
1946年生まれの私と同学年で彼らの動静は気になったものでした。星野・富田
両氏は早すぎる先立ちに心を痛めたものでした。
早い出発での230km走行。おまけに12.500歩の行軍でもうクタクタ。
早いホテルへの『倉敷アイビスクエアー』入室後、風呂と食事を早々と済ませ
私は8時には高いびきだったそうです。(家人曰く)