麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★友がみな われよりえらく 見ゆる日よ・・・・・・

2012年04月21日 | 店声仁語

こんなメールをもらいました。

 突然のメールで失礼いたします。私は長野県松本市在住のA.Sと申します。このメール@はあなたのホームページ「麻布十番未知案内」で拝見しました。
もし、あなたが昭和30年頃麻布十番の「山本洋品店」の跡取りで、昭和32年に港区立城南中学校卒業でしたら、私の名前にご記憶ありませんか?同級生であったはずの者です。今から55年も昔の話です。 当時私は、麻布森元町(現東麻布)に住んでおりました。中学校から高校にかけて囲碁に熱中し、おたくの斜め向かいにあった「守屋写真館」に隣接の碁会所によく通っていました。その後、昭和41年に埼玉県に移住しました。
 今日、サントリー美術館の雪舟展を見ようとパソコンを開けているうちに、ふと十番が懐かしくなり、地図をみておりましたところ「ローリエヤマモト」が目にとまり、メールした次第です。「豆源」なども健在で、昔の十番稲荷神社や一本松大黒様の縁日を思いだしました。
 そんなわけで、ふとメールしてしまいましたが、「赤い靴はいた女の子」の像がお近くにあるとか、たしか鳥居坂教会にあずけられ、渡米のはずのところが、十番近くで亡くなったと聞いております。横浜駅構内でもその像を見たことがあります。赤い靴で思い出しますのは、中学入学の年に、内村鑑三の孫娘で津田塾大出たての内村智子先生が赤い靴をはいて教壇に立たれたのをなぜか鮮明に思い出します。
 私は現在信州大学人文学部を定年退職し、悠々自適といったところです。とりとめなくメールいたしまして失礼いたしました。末筆ながらご健勝を祈ります。

 55年も前の中学時代の同期生からのメールでした。A.S君 覚えていました。当時の城南中学校は一クラス55名、一学年9クラス500名のマンモス学校でした。A.S君は一年生の時のクラスメート、卒業時はクラスが違っていましたので、その後の進路は知りませんでした。55年ぶりのメールにReメールすると、翌日電話がかかってきました。
「ほぼ 初めましてですね」ではじまった会話でしたが、旧知の友のように長話をしてしまいました。上京の際の再会を約束して電話を切りましたが、このサイトがつないでくれた思い出を懐かしくうれしく思った一日でした。信州大学を定年退職後も名誉教授として、また趣味の囲碁もトップ棋士として活躍しているというA.S君、いやA.S先生、啄木の歌を思い出していました。
  「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」
  「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ パソコン見つめ ひとり微笑む」

 守屋写真館も、その隣りにあった碁会所も今はありません。十番稲荷神社の縁日は、9日19日29日に、大黒様の縁日は5日15日25日に行われにぎわったものですが、いつの頃からかなくなってしまいました。「東麻布」の町名も以前は「麻布森本町」「麻布北新門前町」「麻布飯倉町」「麻布狸穴町」「麻布永坂町」等々でした。そうそう、山本洋品店はメンズショップ ローリエヤマモトになり、昨年創業100年の幕をおろしてしまいました。

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