
観音めぐり
滝の音を聞きながら、三十三番目の観音様に手を合わせ、立ち上がった。
残雪の下り坂は、地獄の囁きのように足裏で喚いた。身を削がれるほどの寒さに、心身の汚れが薄らいだような気になる。
一山を歩き、お婆は疲れていた。
峠の茶屋を後にしたときのことが懐かしく、ふと思い立った旅立ちが、何を意味していたのか、自分でも分からない。ぬるま湯のような毎日に嫌気が差した訳でもなく、かといって、何かを求めたと言うことでもないような気がする。
霊山を見上げると、木立の中に差し込んだ弱々しい陽ざしに解けた雪水が、少しずつ量を増して沢を目指し、やがて滝と一つになって渓谷を下って行った。
しばらくお婆は立ちつくし、眺めていた。滝の音は煩悩を洗い流し、お婆の存在さえもかき消すように尽きることを知らない。
浄土ってこのようなものかも知れないと。お婆は時間の止まった中にいた。
「おひとりですか」
お婆より少し年上に見える老女が笑いかけた。線香と小銭を手にしている。
「三十三の観音様には毎年参るんですよ」
老女は山を見上げて微笑んだ。
「不注意で子供を亡くしたのが、わたしが二十歳の時。それから子供は授かりません。その子があの世でも辛いことが無いようにと。この季節は一番辛い時期。だからこそ来ます」
アカギレの手を擦り合わせると、ブルッと身震いをして、凍てつく道を上って行った。
後ろ姿に充実感があった。
しばらくの間見送っていた。
何かを確かめたくて、お婆は、もう一度山に向かった。

著書「風に乗って」収録済み「おばば」シリーズ25作です。