紫陽花記

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『歩数計』短編小説

2022-01-01 15:27:36 | 小説
歩数計

                
「いやぁ~まったく、ウチの社長には叶わないよ。営業中どれだけ働いたかを見るために歩数計を着けろってさ」
 ダンス友の井坂さんちの息子、満君が言った。
「え? 歩数計?」
「うん。お客とどれだけ踊ったかを歩数で割り出すつもりらしい」
 私は「なるほどねぇ」と言って爆笑してしまった。
「そっちがそっちなら、こっちもこっちで知恵を絞るしかない。ま、出来るだけ頑張るけどね」
 満君は大学生。アルバイトでダンスホールのアテンダントをし始めた。大学ではソシアルダンスサークルに所属していて、競技会へ出場する資金とプロの指導を受ける資金を稼ぐためのアルバイト。私は、少しでもその役に立ちたいと、週一程度「ダンスホール・ジャイブ」に通っている。井坂さんは、流石に息子の客になるのは嫌だと言って来ない。満君がちょっと不満顔をしながら、腰につけた歩数計を私に見せた。
「あはははは。どう知恵を絞るつもりなの」
「考えはあるんだ。社長の気づかない方法」
「ふぅ~ん。おもしろいわぁ」
 満君がしたり顔で頷いた。
 
 満君が勤務するダンスホールの開店時間は正午。開店と同時に女性客が次々と入る。私も良い席を確保するため、早めにいつも入店する。ビルの四階にあるホールは略真四角。それほど広い空間ではない。入口から左側に食器棚などの備わったカウンターがあって、バーテンダーが一人詰めている。そこからL字に客席が壁際に沿って設えていて、一方の壁面は全面鏡張り。一方は通りに面した窓。四階なので中の様子は外からは見えない。そして残りの一方にはトイレや更衣室、ダンスウエア展示コーナーなどが設けられている。
 
 正午きっかりにドアを開けると、ダンス曲が程よい音量で流れていた。私は、右から二卓目の椅子に腰を下ろした。数人いるダンサーが右側から順番に、また左側から順番に女性客に手を差し伸べる。満君も先輩ダンサーに習って女性客の手を取った。男性客も数人いた。ウエートレス兼ダンサーの女性目当てに来店するらしい。どのダンサーも、お客様の大切な時間をより楽しんでもらおうと、ダンスの相手をするという仕事を惜しむことなどないほどに、お客様のレベルに合わせてリードしているように見えた。
私は、ダンサーたちの腰を見た。皆同じ形の歩数計を着けている。踊れば一歩ずつ確実に数字が増えていくはずだ。音楽に疎い私なので、スタンダードA級選手のT氏に聞いたことがある。
「キツネの歩きというスローフォックストロットは、SQQで3歩。1分間に29小節116拍。チャチャは、234&1で5歩。1分間に31小節124拍。昔はスロー30小節、チャチャ33小節でした。ルンバの1拍休みも特徴ありますよね。ルンバ、チャチャの拍子が取れない人の多いこと。日本人は1234を1と3で取りますが、外国人は2と4で取りますよ」とのことだった。そのような説明も疎い私の頭には入って来ないし、ましてや、体が言うことを聞いてくれない。そんなことを考えているうちに私の番になった。満君が意味ありげに含み笑いをした。私はちらりと歩数計に目を移した。

 客が次々と入ってくる。十あるテーブルが略空きが無くなった。四人掛けだから四十人近い客。殆どが現役引退したような年頃と見える。男性はダークなスラックスに襟付きのシャツ。女性は皆華やかな衣装を着ている。とても外を歩けるような身なりではない。私も、満君に少しでも近づきたいと、目いっぱいの化粧をし、なるべく可愛く見える衣装を着ている。
「ね、いつもこんなに混むの?」
「うん。僕がいる土曜日はいつもこうだけど、他の曜日はどうか分からない」
「そっかぁ。きっと、若い子がいるわよ、という噂で、みんな満君に踊ってもらいたくてくるんじゃあない」
「そうかな」
 きっと、そうに決まっている。熟練したダンサーに踊ってもらうのは勿論夢心地だが、若い子には元気がもらえるもの。私もこの頃は腰の痛いことも無くなったし、背筋も伸びた気がする。

 曲は、スダンダード曲のワルツ・タンゴ・スローフォックストロットが流れ、そしてラテン曲のルンバ、チャチャチャやジルバが流れる。客の大半が高齢者ということもあって、皆がスタンダードとルンバなどを踊りたがる。早い曲に乗れないからか、それとも心臓や足腰に負担がかかるからか? チャチャチャやジルバは敬遠される。そのラテンのチャチャチャやジルバ曲の時は、踊りたがらないのを見越して、ダンサーたちの細やかな休憩タイムとなる。私は、もしかして不整脈の心臓が突然止まるかもしれないなんて頭を掠めるが、それも寿命なのかもと覚悟して、毎回踊っている。だから、なんでもござれの状態だ。
「オカのおばさん、ジルバの曲だけど踊る?」
 二度目の満君と踊る番になった。満君は、絶えず腰を左右に振っている。踊ろうよ。という意思表示なのかと思ったが、これが歩数を稼ぐ奥の手らしい。満君が私の苗字の半分を通称として使っていることを知っていて、私を「オカのおばさん」と呼ぶ。私は満君に手を取られて踊りだした。何といっても若い子のエネルギッシュな踊りは、おばさん世代には憧れであり、元気の源になる。私は、必死の形相を笑顔で隠し、満君のリードに従った。

 ホールのドアが開き、白髪の男性が入ってきた。ホール全体をぐるりと見廻した。素早く客数を数えている様子。そして、満君や他のダンサーの動きにも目を移していった。男性が二つあるカウンター席の奥側の椅子に腰を下ろした。バーテンダーがすかさず、緑色の飲み物のグラスをその前に提供する。たぶん常連客なのだろう。二言三言バーテンダーと話していたが、一番端に陣取っている女性客に近づいた。「踊っていただけますか」とでも言ったのだろう。女性客が立ち上がり、男性と踊りだした。男性がぎこちないリードを繰り返している。曲が終わると、女性がお礼を言って男性から離れて席に戻った。様子を見ている私と目が合った。両目を瞑ったのを見ると、不満足だったと伝わってきた。
 
「あの男性、よく来るの?」
「あれが社長さん」
「えっ、そうなの、まだあまり踊れないみたいね」
「うん。だけど、来てはお客さんに踊ってもらっているよ」
 満君がワルツのリードをしながら小声で言った。満君は、流石にまだダンス歴は短いが、シッカリとした基礎が出来ているらしく、ベーシックの足型でも十分に楽しめる踊り方をする。私は、今日もぐっすりと眠れそうだと思った。

 私は、社長さんが気になってきた。数種の商売をしているとのこと。その上、ダンスホールを経営し、自分もダンスの世界に踏み込んだこと。歩数計をダンサーに着けさせる抜け目のなさ。ぎこちなさもそうだが、びっしょりと汗をかいてリードしている真剣そのものの表情。情熱と言うか、幾つになっても忘れてはいけないモノを見たような気がした。
 また社長さんが先ほどの女性客に近づいた。女性客が私の目を見た。私は笑いたいが唇を強く結んで堪えた。女性がゆっくりと立ち上がった。社長さんが嬉しそうに手を取った。あの女性は断ることの出来ない優しい人らしい。きっと、社長さんも優しい人に勇気を貰いながら、ダンスが上達していくことだろう。

 社長さんがまた同じ女性にお相手を申し込んだ様子。だが、女性は立ち上がらない。社長さんは落胆したような表情を浮かべ、フロアーの別の女性客にお願いしようかと客席を見回した。私は、靴紐を直すような仕草をして、下を向いた。
「あの。お願いします」
 顔を上げると社長さんが優しい笑顔を作って手を差し伸べていた。私は一瞬、あの女性を見た。女性が両手を合わせた。やはり優しい女性なのね。分かったわ、では。私は立ち上がり社長さんの前に進んだ。やはり社長さんも歩数計を着けている。ん? 何のために? 従業員管理だけではない目的があるのかな?……。自分の健康管理かもしれない。社長さんは、一生懸命天井を睨み、習ったステップを間違えないようにしようとしている様子。フウフウと息遣いが聞こえてきた。余裕のなさが腕に力を必要以上に込めている。私は少しばかり優越感を味わいながら、まだまだ自分もレッスンを続けなければと思ったりした。

 私はソシアルダンスと歩数計が気になっていた。インターネットで調べてみた。沢山ある記事の中に「社交ダンスではあまり歩数計は役に立たない。 ワルツでは三歩に一歩しか反応しない」と。どこかのダンス教師の談話が載っていた。この記事が本当なら、満君たちの着けている歩数計は正確な歩数が出ないことになる。ダンスを習い始めたころ、同じサークルの男性が、「今日は七○○○歩だったよ」と歩数計を見せてくれたことがある。レッスン時だけの歩数なのか、それとも一日分の歩数なのか定かではない。確かあの時は、一時間の団体レッスンで、後の一時間がフリータイムで踊った記憶だ。喫茶店主として働いていた頃なので、レッスンの翌日は、半日足に疲労感があった。それでも週二回のレッスンを受けたおかげで、現在、こうして健康維持とボケ防止に役立っている。

 私は、今度満君に会ったなら、ダンサーとしての勤務時間内の歩数はどの位なのか聞いてみようと思った。

33 吊り橋

2022-01-01 06:32:19 | 夢幻(イワタロコ)


 一人しか通れない吊り橋が揺れている。
 向こうから七、八歳の男の子を先頭にその親らしい男女が渡ってくる。
 俺は踏み出した足を戻し、揺れるロープから手を放した。後ろにいる彼女が立ちすくんでいる。
 川幅は何メートルも無い。橋下四十メートルくらいを流れている。吊り橋の長さは谷の深さと同じくらいだ。
 三人はなかなか近づかない。
 吊り橋の中程で彼等の口元が綻んだ。目は何を語っているのか分からない。男が手招きをした。

「ね、渡らないで帰りましょうよ」
 彼女は後ずさりをする。
「紅葉が綺麗ですよう」
 男が言い、男の子が谷底を指さした。灰色の岩肌と色づいた木々が、谷底から向かいの山の上まで続いている。
「ここから観るのが一番よ」
 女も誘う。
 彼等は吊り橋の中間で景色を眺めている。
 俺は彼女を振り返った。彼女が頷く。
「お宅達、こちらへ渡るんでしょ」
 三人に聞いた。
「大丈夫、なんとかなるから」
 男が再度手招きをする。

 両側のロープに掴まり少しずつ進む。彼女も続く。息をするのも憚れる。
 橋の中心に近づくと、三人がこちらに歩き出した。
「ど、どうします? 通れませんよ」
 俺は、喉を引きつらせて言う。構わず三人は進み、俺の体に入り抜けて行った。痛みも気持ち悪さも無いが、後ろの彼女が悲鳴を上げた。
 紅葉が野火のようだ。


著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
楽しんで頂けたら嬉しいです。


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お待ちしています。太郎ママ
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今年もよろしくお願いします。
皆様には良い年でありますように・・・・・