「惚けたようね」彼女が囁いた。
暫く利用しなかったが、何度か入ったことのある喫茶店。息子と母親とで経営していると聞いたことがある。あの頃、母親は元気で客の接待をしていた。
母親が四人連れの客に近づいた。テーブルを叩く。息子が厨房から出てくる。
「こっちで待っていて。お客さんだからね」
と、カウンター前に連れ戻す。
言葉にならない声を上げる。息子は客達の反応を気にするように店内を見渡した。
母親が常連客らしい男のテーブルに近づく。
「ママさん、あっちへ行こうか」
立ち上がった男客が両手を出した。その手を払い、男客の足をトレーニングパンツの裾をたくし上げ、キックする。
チラリと母親がこちらを見た。笑っているような口元。目の光は澄んでいた。
「あっちに行こうか」
もう一度男客が言って、母親の背に手を回した。それを拒むように声を上げた。
「すみません」息子がカウンター内で謝る。
「いいよ。大丈夫だよ」
と、言ったのは、後から入店して、ランチを注文した二人連れの男客。
俺と彼女は黙って下を向いた。
「あのお母さんにとっては、カウンター前は自分の居場所だったのよね」
帰りの車内で彼女が言う。
「こんな田舎だからね。売り上げも少ないだろうし。預けるっていっても……」
俺は心の中で、あの喫茶店のリホーム図面を描いては消した。
著書「夢幻」収録済みの「イワタロコ」シリーズです。
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