紫陽花記

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(4)タンゴ

2022-08-14 07:12:34 | 江南文学56号(華の三重唱)16作
 徳子が、互いの長い足を絡ませて踊る、ステージ上の男女に溜息をついた。
「ねっ、徳子さん。ご主人の愚痴を言っているより来て良かったでしょ」
 孝江が両手を胸の前で合わせ、目は赤と黒の衣装を着た二人を追う。
「音楽も、すばらしいわね」
 依子は、ステージの左で演奏する四人の男たちも魅惑的だと思った。
 二百人ほどの観客は、一曲終わる毎に大きな拍手を送る。
 ピアノ、バイオリン、ベース、バンドネオンの演奏は、依子も知っている曲が多い。
「なんか、体がムズムズするわ」
 徳子が、上半身を捻るように振った。
「踊りたぁ~い。でしょ? 依子さんも習いなさいよ。足腰にも精神にもいいんだから」
 孝江が足でリズムをとって言う。
「踊れたらどんなに楽しいかしらねぇ」
 依子は、徳子と孝江が羨ましい。二人はソシアルダンスを習っている。
 五十分のショータイムの中間で、『お愛嬌コーナー』があった。三人の男が客席に下り、女性客の手を取ってステージに導いた。若い女性二人と塾年の依子だ。
 手を取られた依子は、自分でも意外なほど冷静であった。ダンスのダの字も知らないのだから、どうせ動くことは出来ないはずだ。
『黒い瞳』の曲に乗って男が手を引く。五十キロの依子は前へ。僅かに押されて後ろへ。二歩進んで四歩後退。左に行って右に回された。音楽はもう聞こえない。リズムは男のいいなり。後の二組も客席も目に入らない。
 思いっきり右足を踏み出した。
「うおうっ」
 男が悲鳴を上げた。



江南文学56号掲載「華の三重唱」シリーズ
初老の孝江と依子と徳子のプチ旅物語です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。



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