あれから地震がおきるたび想うのは、
そのときの被災したかたがたの気持ち。
避難所では
余震のたび子供の泣き声がしていた。
幼い子を連れたお母さんは
ほかの人に迷惑がかかるからと
停電で少し隙間の開いた自動ドアの近くで
毛布に包まっていた。
仮設のおばあちゃんは
『皆でいるときはいいが、
部屋で独りになると
怖さと悲しさが打ち寄せる』と言った。
僕らといるときには
わいわい冗談を言っていた
おばあさんたちは
夕方になると
集会所に寄付された花束から
一輪ずつ花を抜いて
持ち帰っていた。
帰らぬ家族のために。
『検証』や『批判』も
とても大事。
様々な
避難ガイドラインの見直しも
検討されている。
ただ、
それ以前に
まだ終わっていないのだから
全ては
被災した方々の今の気持ちを
慮ることから始めなければいけない。
しかも
勝手な思い込みじゃなくて
きちんと話を聴いて。
科学的根拠無しに
がれきの受け入れを拒否する問題や
福島の子ども達に対する差別問題。
つくづくこの国には
「絆」という文字が
そぐわないと思う。
3.11
様々な報道がなされるだろうが、
配慮を欠くものがないか
少し心配している。
あれから1年と騒ぎ立てても
被災地では「節目」など関係なく
きょうも
あのおばあさんたちは
いつものように
一輪の花を持ち帰る。
そのときの被災したかたがたの気持ち。
避難所では
余震のたび子供の泣き声がしていた。
幼い子を連れたお母さんは
ほかの人に迷惑がかかるからと
停電で少し隙間の開いた自動ドアの近くで
毛布に包まっていた。
仮設のおばあちゃんは
『皆でいるときはいいが、
部屋で独りになると
怖さと悲しさが打ち寄せる』と言った。
僕らといるときには
わいわい冗談を言っていた
おばあさんたちは
夕方になると
集会所に寄付された花束から
一輪ずつ花を抜いて
持ち帰っていた。
帰らぬ家族のために。
『検証』や『批判』も
とても大事。
様々な
避難ガイドラインの見直しも
検討されている。
ただ、
それ以前に
まだ終わっていないのだから
全ては
被災した方々の今の気持ちを
慮ることから始めなければいけない。
しかも
勝手な思い込みじゃなくて
きちんと話を聴いて。
科学的根拠無しに
がれきの受け入れを拒否する問題や
福島の子ども達に対する差別問題。
つくづくこの国には
「絆」という文字が
そぐわないと思う。
3.11
様々な報道がなされるだろうが、
配慮を欠くものがないか
少し心配している。
あれから1年と騒ぎ立てても
被災地では「節目」など関係なく
きょうも
あのおばあさんたちは
いつものように
一輪の花を持ち帰る。
一輪の花…
その言葉には、すご~く!重い念いが…【《悲しみ》と《日本人が昔から持ち合わす鎮魂の気持ち》】が、入り混じって…
また、涙腺が緩んで…偲び泣きになってまいました。
《泣くの辞めた》ハズなのに、2011年3月11日を境に涙腺が緩んで…
涙を流すようになりました。
〔一輪の花〕って言葉は、重いなぁ~。
僕、カーネーションを母の日に買う事が出来なかった7歳の時、白黄色の薔薇の花が咲く家の人から薔薇1輪を貰い…母の日のプレゼントとしてあげたから、母親が約1年間の病気治療の末に亡くなった原因やと…
ずっと、思っていました。いまも…
でも、《1輪の花》って…
故人を偲び・故人の冥福を祈る事の出来る力を秘めているモノなんですね。
春は、別れと出会いの季節やけど
3月11日が過ぎて…
母の血と同じ血が流れている親族に33年目の春が、また来ます。
毎年、父親に仏壇に花をあげる事を頼んでいたけど、今年は…僕の実家の方角に向けて《1輪の花》を手向けます。
感動したり、改めて教えてもらったりで有意義な時間をすごせました。
今日のゴールデン・ラジオ大竹さん冒頭でいきなりキャバクラ話し。
大竹さんの粋な計らいなのでしょうか?!
ちょいワル親父の普通の言葉が胸に突き刺さり泣けました。
被災地の友人が一番望む事は『普通に接する』事だと。
震災番組を姿勢正して力んで聴くのも自由だと思う。
が、エセヒューマニズムの押し売りも被災地の友人は嫌がっていた。
(被災地の友人はリスナーで石森さんのファンだよ)
石巻にある大きな看板「がんばろう!石巻」を個人で作った方の話しを聞いた。
復興ではなく『福光』の言葉に胸が熱くなった。
この欄のコメントも重たいものばかりで吐き気すらした。
本当のエールは今日より明日の希望を贈る事。
あなたの側に私がいると励ましを贈る事。