石森則和のSEA SIDE RADIO

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D23 Expo Japan!

2013-10-17 | Weblog

ウォルト・ディズニーのファン向け
感謝イベント
「D23 Expo Japan」に行ってきた。

2009年からアメリカで開催されているが、
日本では今回が初めて。
まさに世界中のディズニーファンが楽しみにしているイベントなのだ。

貴重なディズニーにまつわる物品のオークション、
来日したディズニーの幹部やクリエイターらによるプレゼンテーションや
ここでしか見られないショー、
本邦初公開となる特別映像も楽しむことができる。

ちなみにD23の「23」とは
若き日のウォルトがハリウッドに足を踏み入れた年
1923年に因む。

・・・ただし、このイベント。
希望者が殺到するためチケットの購入は抽選となる。

運よくチケットに当選し、
妻とともに会場となる浦安の東京ディズニーリゾートを訪れた。




今回来てよかったと思うのは、まず
まだ日本で公開されていない
「ミッキーマウス!」の最新作二本を見られたこと。

ミッキーは1928年11月18日に短編アニメーション映画「蒸気船ウィリー」でスクリーンデビューしたが
実際にはそれ以前に完成していた初の映像作品
「プレーン・クレイジー」に出演していた。

初期の作品でミッキーは、
決して優等生ではなく、ズッコケでバイオレンスだったが
保護者の批判や検閲官の厳しい目があり、徐々に模範生になっていった。

実は意外なことに出演回数はドナルドダックのほうが多く

1995年の『ミッキーのアルバイトは危機一髪』
(原題:Runaway Brain Mickey、おすすめ作品)以来
作品が途絶えていた。

しかし、このほど、
最新作が放映されることになったのだ。

最新作でのミッキーは、
初期のやんちゃキャラ、ズッコケキャラに戻った上、
絵柄がクラシック・・・というか、
かなりオシャレな味付けとなってる。

内容は・・・教えたいけど教えなーい。
スピード感とセンスは秀逸、
大人が見ても・・・というか
大人が見たほうが楽しいかもと思えた。




東京ディズニーリゾートの30年を振り返る展示では
歴代のショーの衣装や、貴重な建設風景やエピソード
懐かしいお土産なども堪能した。
「あー、これ持ってた!」とかね。


今回の物販では
ミッキーよりも前に誕生しながら
権利の問題などでウォルトの手から奪われ、
近年やっと、ディズニーに帰ってきた
「しあわせうさぎのオズワルド」グッズも充実。


オズワルドはウォルトが生きている間には戻ることができなかったが、
長い長い時間をかけて遠回りしながら
彼の夢を叶えたのである。

僕はこの悲劇に見舞われながらも
屈託なく楽しませてくれるオズワルドが好きで
誕生日プレゼントとして
妻からD23で先行発売された腕時計を贈ってもらった。


ミッキーが「復活」したように
オズワルドにもいつか、スクリーンに帰ってきてほしい。

最期にウォルトの言葉を。

「私は偶然を否定する。
誰だって自分の才能を見つけ出し、心から信じていれば
自分の運命を決めることができる」

ウォルト・ディズニー


あるエコノミストの言葉。

2013-10-11 | Weblog
アメリカの「債務不履行」=デフォルトの危機について
専門家を探してインタビュー取材をした。

アメリカでは国の借金の上限が決められており
17日までになんとか上限を引き上げないと「債務不履行」になる。
すると世界経済の危機に陥るのだが野党共和党は強硬姿勢を崩さない。
実はアメリカのメディアを中心に
意図して危機感を煽る報道があり心配はしていた。

なにが問題で
現実的に見て
見通しはどうで

ならば
どうすべきか。

何事もナメるのではなく
「正しく怖がる」ことは
大切なこと。

きょう取材した某社のチーフエコノミストは、そのあたりをわかり易く話して下さった。

このエコノミストは
「ショウアップされ
都合良く切り取られるテレビ取材」が苦手で
活字メディアにしか出ない主義。

でも今回
取材を通じて、
また、取材の前後で
良く話しあい信頼関係を深めたら
要請があれば
またラジオには出てくれると応じて下さった。

レコーダーのスイッチを切ったあとで彼は言う。

〜〜〜
アメリカでは
子や孫の代までお金に困らないよう
国が借金をしすぎないように「債務の上限」を国民自身がきめたのです。

何度も上限を引き上げてはいますが、それでも
「無制限な借金の歯止め」の効果はあるのです。

つまり国民の目が厳しい。
それが共和党が最後には折れる理由です。


翻って日本では
消費税増税が決まったとたんチャンスとばかりに
各省庁は予算を要求してきます。

国民が我慢しようとしているのにです。

なのに
優しい日本人は

「どうせそんなもんだ」と悲しく諦める。
我慢する。

私の母も
我慢が美徳と考え
苦しさを口に出さなかったため

病が手遅れになって
亡くなってしまいました。

我慢、諦めは決して美しいことではないと

経済についてコメントする我々は
常に呼び掛けなくてはいけないのだと思います。

〜〜〜
優しい笑顔のエコノミストを前に僕は唇を噛む。

マイクをしまう前にそれ言ってよ〜(;_;)


FAKE DOGEZAR

2013-10-09 | Weblog
国会議事堂で明日の取材の予習をしていたのだが
後ろのテレビでやっている
「土下座」についての報道特集が興味深くて。

「土下座」がニュースに登場するようになったのは
公共放送では薬害エイズ事件からなのか。
意外に最近。

それからは色々なニュースで色々な人が
頭を床に擦り付けてる。
なぜだろう。いつも後味が悪い。

専門家は「謝罪というより懲罰の意味が強い」と語った。
ならばそこに真心はないぢゃん。

番組では某社の謝罪会見マニュアルも紹介されていた。
様々な記者への「サービス」が記されていた。
模擬会見までして研究してる企業もあった。
その労力、ミスをおかさないために使えばいいのにと
思わず別の記者と苦笑い。
そんなんで懐柔される人がいるとは
思わないんだけど。

記者が求めるのは
そーゆーホスピタリティじゃなくて
事件の背景と核心に迫る言葉。責任の所在と補償。
そのホスピタリティは全て被害者のために使って欲しい。

ジャーナリストの中には
何が偉いのか怒号を発して追及する輩がいるが、
逆効果。相手が口を閉ざしちゃう。


記者になんか、頭さげなくていい。
償う相手はカメラやマイクの向こうで
苦しみに耐えているんさね。(´・_・`)