石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

愛の歌を聴きながら。

2008-01-28 | Weblog
2008年1月27日
神奈川県民ホール。
STARDUST REVUE LIVE TOUR "31"

このツアーを見るのは
去年10月の東京厚生年金会館以来。

あれから3ヶ月、
きょうは僕の地元、横浜でのライブ。

ネタバレになるからあんまり詳しくは書かないけど
厚生年金とは違う選曲があったり
要さんのMCや、超絶的なギターソロだって、
全く同じじゃない。

でも、何が一番違うって
お客さんの反応。

ツアーの最初の頃ってのは
お客さん皆にとって新鮮で
何が起きるのかドキドキ感に満ちてる。

で、数ヶ月が経過し
変わってくるものがある。

もちろんツアーを追いかけている人もいるから
「ほうらね、きたきたーっ!」的な反応が出てくることもあるけど、

それはさておき・・・

おそらく

「お客さんがニュー・アルバムを聴きこんできている」ことが大きい。

今回のツアーは
去年9月にリリースされたオリジナルニューアルバム
「31」をひっさげて(←う~ん、常套句)のもの。

このアルバムは
バンド結成25周年を迎えて、
「これから、また歩き出すぜ!」という
決意表明に満ちたものだった。

前にも書いたけど、
この「31」の歌詞には「ある特徴」がある。

これまでの自分や、
過去の自分をクールに見つめ、

その上で、
その自分を卑下するでもなく
かといって虚勢をはるのでもなく

これまでの自分を、
「きちんと肯定する」言葉が目立つ。

アルバムが発売されて日がたつにつれ
これらの曲はファンの皆の生活の中に定着していく。

例えば、
憂鬱な満員電車の中や渋滞の車の中、
病気の治療中、勉強中、子育て中、介護中・・・

みんなの応援歌になっていく。

そんな日常の中で、
何ヶ月も前からライブを楽しみにし、

スターダストレビューが
目の前で演奏して歌ってくれれば

観客の反応も、
ツアー当初とは自ずと変わってくるだろう。

「あたし、僕、がんばってるよー!」と。


要さんは言う。


「今の時代って
1メートル跳べって言われて
でも、80センチしか飛べなければ
切り捨てられてしまう。

でも、
僕達は
80センチ跳べたことを
ちゃんと喜びたいんだ。」



おそらく
そのメッセージは伝わってる。

ライブ本編が終わって
アンコールの手拍子が始まったとき、
会場の前のほうで奇跡がおきた。

スタレビが25周年にあたり
ファンへの感謝をこめて、一緒に歌おうと作った
「愛の歌」という曲がある。

アルバム「31」に収録された「愛の歌」には
25周年感謝祭の時の
1万5000人にのぼる観客のコーラスが収録され、
ファンとメンバーとの、絆を象徴している。

このコーラスが
きょう、

アンコールを待つ間
自然に沸き起こったのだ。


「La、La、La、歌おう、愛の歌。
喜び、悲しみ、君と分け合って・・・」

何度も、何度も。

前の方の席から2階席に向かって、
波紋のように歌声は広がっていく。


アンコールで出てきた要さんは
「舞台の裏で、めちゃめちゃ感動したよ」と
照れくさそうに言った。


そして
ライブ終了後。

着替えを終えた要さんと話したとき
この時の気持ちを聞いた。

石森:「厚生年金の時には、無かったことですよね」

要さん:
「うん、九州あたりから唄ってくれるようになったんだ。
誰かが促してくれているんだろうけど、嬉しいよ。すごく感動したね」

嬉しそうに、
そして誇らしげに笑ってた。

・・・この歌作ってよかったね。

アンコールで
要さんが尊敬する有名アーティストと共作した
ファンへの感謝を込めた歌が歌われた。


「歌は思い出になり
思い出は歌になった」


ギター一本での引き語りが胸に迫る。



「そこには、いつも君たちがいた」


歌っていた要さんのサングラスの下から
涙が溢れた。



観客にも、ライブ中
何度も「ありがとう」と呼びかける要さんは

「ありがとう、と言った回数で
もしかしたら人の幸せは決まるのかも」と言う。

ファンだって、きっと声には出さずとも
楽しい時間をくれたことに感謝しているだろう。

ツアーは4月まで続く。



日本中で「ありがとう」が交わされ、






もっともっと
「幸せ」は育っていく。



「宇宙」と「お茶の間」が出てくる映画!?

2008-01-25 | Weblog
いろんな仕事してっけどさ。
きょう、ちょっと感動したことがあった。

2000年・・・つまり随分昔なのだが
ある「ドラマ」に出演させていただいた。

それは
「茄子田家の親子でスタディ」
http://sc-smn.jst.go.jp/8/bangumi.asp?i_series_code=N017322&i_renban_code=003


どうだ!
知らないだろ。

スカパー(サイエンスチャンネル)で放送されたシリーズで
白石まるみさんらと共演させていただいた
「こども向け科学番組」なのだ。

東京の下町。

ちょっと懐かしいお茶の間のある家に
両親と、中学生の姉、
そして小学生の弟の4人家族が暮らしているのだが

そのお茶の間から
なぜか宇宙の神秘に迫っていく物語(笑)

なんと製作は「宇宙開発事業団」(!)


僕の役は
お茶の間においてあるテレビの中から
出し抜けに語り掛けてくるかと思えば

テレビから
勝手にお茶の間に出てきて
いっつも会話に参加したり、
時にはクイズを出したりする
へんてこりんなキャスター役だった。(いっつもこんな【笑】)


でね?きょう初めて知ったのさ。

このドラマ、
実はスカパーで放送されただけではなく

少なくとも平成18年まで
全国の「科学館」などの公共施設や、学校などで
「映画」として上映されてきた、ってことを!!


例えば、
板橋区立教育科学舘や
富山市科学文化センターのシアター・・・

シアターだけじゃないぞ。

福岡市や大阪府守口市の「プラネタリウム」でも
上映されていた。
(でっけえ映像だろうなあ)

ちなみに福岡市のプラネタリウムの同時上映は
あの、全米が泣いた!といわれる不朽の名作、

そう!




「金太郎」である。




ほかにも
もっともっとあっちこちで
上映されてきた。

・・・ある意味、全国ロードショー(笑)

いや、何が嬉しいってね?
自分の家でスカパーを見てもらうのも嬉しいけど

全国のいろんな町の子供達が、
夏休みや冬休みなんかに家族や友達とお出かけしてさ、

スクリーンの中の僕らの演技で
きゃっきゃ、きゃっきゃ笑い、

「宇宙の面白さ」に興奮してくれていたんだ、
・・・と思うとね?

すっごく幸せな気持ちになった。


ちなみにJAXAでは
現在でも教育機関等に
この番組ソフトを無料で貸し出している。

ガッコの先生方、公共施設の担当者のかた、お勧めよん?
http://www.jaxa.jp/pr/video/other.html

大阪北区扇町の
「科学体験館サイエンスサテライト」(扇町キッズパーク)などでは
個人的に借りてみることもできる・・・そうな。(自分で知らなかった)
http://satellite.gr.jp/map/map.html




・・・ところで
NASAが発表した
最新の「火星の写真」に写ってた「人影」は
誰なんだ?


おーい!あなた!

見切れてますよ。
監督に怒られますよー!



時間旅行

2008-01-24 | Weblog
グーグル・アースで
自分の住所を入力してみたことある?

最初、地球の写真だったのが
だんだんズームアップしていくと
ウチの屋根が!

庭先に置いてある車まではっきり見えて
驚いたものだ。

最近はもっぱら、
旅行気分で各地の名所などを巡ってみたりする。

名所名所にクリックできるポイントがあり、
ユーザーから投稿された「風景写真」が出てくるのだが
なかなかこれが見事な画像なのだ。

・・・で、ある時
不意に思いついた。

子供のころ住んでいたあの村は

そして僕が子供の頃を過ごした家は、
今、どうなっているんだろう。

僕が子供のころを過ごしたのは
浜名郡可美村。

もっとも今は
浜松市に合併されてしまってるけど。

グリンピースのように
屋根も壁も緑色の
小さな戸建の借家だった。

・・・二間で小さいけれど
両親や妹たちや猫と過ごした
幸せな家だった。

サンタさんだって来たんだぜ。

隣には

いちご畑と
みかん畑と
梅林があって、

道路なんかも
そのまんま遊び場で、

ひとしくんや
ひさしくんや
ゆーこちゃんや・・・

みんなと
日が暮れるまで遊んだのだ。

鈴木自動車の寮が
黄昏の中で
モアイ像のようなシルエットを見せてくれた。

方角を覚えたのは「西」が最初だった。
「空がオレンジ色になるほうが西」と覚えたからな。




でも、僕が上京したあと
両親は群馬に移り住み、

もう僕の家は
ソコにはない。

別に観光地でもないから
行く機会も、あてもない。

いつしか
僕の中で故郷は
水彩画のようになり

現実感が薄れて
絵本の1ページのような感覚に
なってしまった。




僕はドキドキしながら
グーグル・アースの検索窓に
懐かしい住所を入力した。

地球の画像が近づいてくる・・・
あ、遠州灘だ。浜名湖だ!

更にズームアップされていく。

僕は息を呑んだ。

残念ながら
グリンピースの家は無い。

滑り台とブランコだけの遊園地も
何かの公共施設になっている。


まあ、
これは仕方が無い。



でも!

僕らがチョークで落書きした道も

大好きな猫のレオと走り回った「いちご畑」も

ひとしくんの家も

みんなみんな
あの頃のままじゃないか!

すこし見える範囲を拡大してみたが

近所の友達の家も、通学路も
黄昏の中に「ぬっ」と並んだあの寮も

みんなみんな
そこにある。

通学路をマウスでたどって
小学校に「登校」してみた。

あの頃は当たり前だった潮風が
不意に吹きぬけた気がした。

中学校まで「登校」したら
放課後の香りがした。



「あの風景が変わらずにいてくれた」
という喜びはもちろんなんだけど・・・

水彩画のような記憶だったのに
急に、鮮明にピントが合い

「思えば遠くへきたもんだ(海援隊?)と
思ってきいたけど

実は、

あのころの自分から
そう離れてもいないんじゃないか」と、

「拍子抜け」にも似た
不思議な気持ちがした。
(このへんは伝えるのが難しい)

東京に出て、暮らしていると
自分が故郷を忘れていく気がする。


でも、


たまに故郷近くの駅に立つと

「故郷のほうが自分を忘れてしまった」気がして

胸が苦しくなる感覚を
覚えたりもする。

奇跡的に残ってた
僕の愛した風景。


そういえば
僕の好きな作家が書いてた。

「その町を好きだったかどうかは
結局、その町の人を好きになれたかどうかだ」


ああ、
幼い日の僕は、幸せだったんだなと
家族や友達の顔が浮かんだ。


「グーグル・アース」↓
ここクリックするとグーグルアースに飛べます。


ずっと唄ってよ。

2008-01-18 | Weblog
SHIMEさんのライブに行ってきた。

渋谷の「7TH FLOOR」には初めていったが
マーキーとはまた違う世界観があり
これはこれでリラックスして楽しめる空間だった。

SHIMEさんは
FMで僕がやってたラジオに何度も来てくださり

エンディングテーマに楽曲提供までして頂いて、
一緒に歌ってレコーディングもした。

伝説のCD「ラムネ色の空」 がそれ。
持ってるあなたは貴重な存在(笑)


・・・そんなわけで
SHIMEさんのスタジオ・ライブは見ているのだけど
東京のライブハウスでは初めて。

SHIMEさんの歌は
僕らが憧れたアメリカの、
「いい香り」がする。

スモーキーなボーカルと
至極のメロディ。

ギターが
ギターであることを
喜んでいるみたいに鳴ってた。

胸の中を乾いた風が吹き抜けて
心の湿り気を吹き飛ばしてくれるみたいだ。

音楽は世界中にあふれてるけど
ほんのいくつか
「本物」ってのが確かに存在してる。

それに一度でも出会うか出会わないかじゃ
人生、大違いなんだ。

SHIMEさんは
いろいろなかたとライブをしているのだが
今回はパーカッションの永原元さんと一緒。

先月出会ったばかりだというのが嘘のように
新しいなにかが生まれていた。

ライブ後、
久しぶりに僕の姿を見たSHIMEさんは
「雰囲気が変わったね」と笑った。

報道の仕事のあとに行ったから
トレンチコートに、スーツだったからね。

あの頃の僕は
髪を伸ばして、
スカジャンかMA-1だったもの。

でも、
あの頃より、
魂には磨きがかかってるつもりさ。

あれから随分と時が流れて
それぞれを取り巻く環境もかわったけど

SHIMEさんの歌だって
輝きを増してた。


ずっと
唄ってよ。






神様が微笑む島。

2008-01-09 | Weblog
先日、江ノ島に行ってきた。

日曜日に入っていた仕事が
先方の都合で延期になり、

まる一日、小田急線の某駅前で
やることが無くなってしまったのだ。

そこはそれ、
気持ちの切り替えが早い僕ちんは
せっかくだから片瀬江ノ島駅まで行って、
そのまま江ノ島の反対側まで
歩こうと思ったのだ。

いつものドライブコースだから
島の入り口付近まではよく行くのだが
島の反対側まで歩くのは1年に1度ぐらい。

画期的な乗り物「江ノ島エスカー」は使わずに歩くのだが、
起伏が激しいので
帰りはヘトヘトになってしまうからだ。

駅を出て、島へ続く橋を渡る。
昭和の香りがぷんぷんする「みやげ物屋」を横目に
参道を登る。

辺津宮につくと、
境内には「茅の輪くぐり」が用意されていた。

茅でできた大きなわっかの中を
一礼し、左回り、右回り、左回りの順で
八の字を描くように3回くぐり抜けて参拝するのだ。

こうすると
災厄や罪が払われるという。
厄年だからちょうどいいや。

みんな茅の輪の前で順番を待ってるのだが、
スーツ姿は僕だけだった。

スーツのまま
輪のまわりをぐるぐる回った。
かっこいいだろ。

今回はじめて
奉安殿に入ってみることにした。

ここには
日本三大弁財天のひとつとして有名な妙音弁財天と
八臂弁財天が並んで安置されている。

妙音弁財天は真っ白い肌で
女性の美しさが表現され琵琶をかかえている。
「音楽・芸術」の神さまだ。
なんだか演奏が聞こえてきそうなきがする。

一方、八臂弁財天は、八本の手に武器を手にしている、
鎌倉時代に源頼朝が作らせた「勝負の神さま」だ。

こうしたことから
よく、芸術、芸能関係のかたが
参拝されるという。

僕も手を合わせてきた。
何を祈ったかというと・・・教えない(笑)

江ノ島の弁天様といえば
こんな話が伝わっている。

鎌倉には昔、
五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていた。

そこへ弁財天が天から舞い降りたという。
このときに「江ノ島」が出現する。

すると五頭龍は自分を諭す弁天様に恋をし、
なんと結婚を申し込む。

すると
弁天さまは
悪行をやめることを条件に龍と結婚するのだ。

それからの五頭龍は
人が変わったようだった。

人じゃないけど。

人々をあらゆる災厄から救い
感謝されるようになった。

しかし、人のために尽くした龍は
やがて力を失い

これからは「山」に姿を変えて人々を守ると、
眠りにつくのだ。

龍は「龍口山」になり、
この龍を祭るのが
陸側にある「龍口明神社」

僕はよく、
この神社の横から始まる
ロング&ワインディングロードを車で走って
鎌倉山を越えて大船方面に抜ける。


僕は、江ノ島に来るたび
桑田佳祐さん(KUWATA BAND)の
「メリークリスマス・イン・サマー」の歌詞にある
「振り返れば、雲の上に
神様が微笑むこの街」というフレーズを勝手に思い出す。

年が変わってからはまだ行ってないから
近々行けたらいいな。

なんだか
故郷の海を思い出すんだ。

たぶんあそこにも
「神様」がいた気がする。


いけいけプロレスラー!

2008-01-05 | Weblog
今回はゲームつき!
遊び方は「HELP」をクリック!


プロレス行ったの。

新日本プロレスの
「レッスルキングダムⅡ」

文化放送の「懸賞伝説」(火曜の深夜1時、聴いてちょ)に
プロレスラーの永田裕志さんがゲストで出られたのをきっかけに
招待していただいていたのさ。

青山ディレクター、色々ありがとう。
きっと彼女できるよ。

仕事終わりで行っても
後半の7試合を楽しめた。

東京ドームについたら
座席の両側は
いつもの文化放送の若手スタッフ。

僕はK-1やボクシングを見に行く時は
ひとりでじっくり見たい派なんだけど
プロレスは皆でわいわい見たほうが
楽しいね。

凶器の金のバケツを頭に落とせば
「ドリフかよ!」

両選手ともダウンして、リングで動かなければ
「岩盤浴かよ!」

・・・突っ込みながらケタケタ笑ってても
素晴らしい技の応酬には拍手を惜しまないぞ。

野暮なことは言わず、
子供のように楽しむのがベストなのさ。

藤波、長州、蝶野、ライガー、AKIRAが
往年の技で若手ヒール軍団と戦う、いぶし銀のカードにシビレ、

7年ぶりのグレート・ムタの登場に萌え、
タイガー・マスクの軽快さに酔い、
子供のころ見たスタイナー・ブラザーズに涙ちょちょぎれた。

永田選手とカート・アングルの試合は「これぞプロレス!」
実に見ごたえがあった。

メインはIWGPヘビー級選手権、
中邑真輔VS棚橋弘至。

若手の両選手は、
エゲツナイほど「生き残ろう」とする闘志がむき出しで
スピーディーな展開。
プロレスの未来を感じさせた。

ああ、
年末からずうっと休みがなかったから
よい気分転換になったぞ。
あしたからまた
がんばりやま。

関係者のみなさん、
ありがとでした。

「君住む街へ」

2008-01-05 | Weblog
いつも聴いていた歌が
また違う輝きを見せることがあるね。

スターダストレビューの根本要さんと
シング・ライク・トーキングの佐藤竹善さんが
オフコースの歌「君住む街へ」を
カバーしている。

この歌、前から知っていたけど

メロディーの美しさや
歌詞に込められたメッセージを
再認識した。

最近、
よく聴いてるのさ。
元気が出てくる。

カバーバージョンって
へんてこりんなアレンジにしたり
歌詞まで変えちゃったりして

「それをやっちゃあおしまいよ」
・・・って楽曲も少なくないけど、

時々、
奇跡の化学反応で
歌そのものの魅力を
再認識させることがある。

それはたぶん
音楽性の高いアーティストが
オリジナルへの「敬意」を持ってカバーするから。

※ちなみにスターダストレビューの
キャッチフレーズ?は
「高い音楽性と低い腰」である。

この2人の組み合わせもいい!

要さんは
過去にも、いろんなアーティストと共演しているけど
「自分の色」のまんま
美しく共鳴しあってる。
これって、なかなかできることじゃない。

共演者も歌いやすい、っていうか
気持ちよく歌えるはず。

僕も、ラジオ番組で
いろんな人と共演してきた。
もう数え切れないぐらい。

そういう場合、
やっぱり
「互いに共鳴しあっているかどうか」を
気遣うようにしている。

よく、相手を立てようとして
「ごきげんとり」みたいになってるDJがいるけど

・・・聴いてて不快でしょ?
それじゃだめなんだと思う。

自分は自分のしゃべりをしていくことで
相手にも気持ちよくノッてもらう、つまり
ジャズ・セッションみたいな感じ。

きっと音楽とも似てるんだ。

あるアーティストに
「なんだかとっても安心して楽しくしゃべれました」と
言ってもらったことがあったけど最高の褒め言葉だった。

いつもそんな風にできるわけじゃないけど
でも、そーゆーのを目指していきたい。



ところで
要さんはライブ後にも関わらず
カラオケにいくこともあるそうだ。

(歌でお金をもらってんのに
お金払って歌いにいってる・・・笑)

いつか一緒に行って
聴いてみたいなあ。
どんな歌、歌うのだろう。

あけましておめでとうございます。

2008-01-01 | Weblog
あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。

年を重ねる事の喜びは
「出会いが増える喜び」なのではないかと思います。

もちろん、
振り返ってみれば
よい思い出ばかりではありません。
悔やまれることだってあります。
忘れたいことも正直、あります。

でも、

これまでの人生の中で
無駄な出会いなどひとつもありませんでした。

どんな出会いであろうと
その、ひとつひとつが
今の自分をつくりあげてくれたのだと思っています。

今、僕は
優しい人々に支えられてここにいられることを
奇跡のように感じています。

そしていつか
未来のどこかででも、
そんな風に思える自分でいたいと思います。

2008年、
あなたにも
素敵な出会いがありますように。

石森則和