石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

朝の光が溢れていたんだ。

2008-05-24 | Weblog
きょう、中継車が
懐かしい四谷を通った。

この町には55年間
文化放送の社屋が建っていた。

昭和26年に建てられたこの社屋は、
キリスト教の聖パウロ修道会を母体としていたことから
正面に大きなステンドグラス風の意匠があって

よく見ると
いくつもの十字架が施されてた。
(上の画像参照)

僕はここで仕事ができるのが嬉しくて
ラジオの歴史が染み付いた社屋を
(社員でもなかったのに)愛してた。

ずっとここで
ラジオに関わっていられますように

文化放送が
リスナーとともに
幸せなラジオ局でありますように、と

キリスト教徒でもないのに(笑)
この十字架に祈ってた。


でね?
泊まり勤務明けに
社内からこのステンドグラスを見ると

朝の光が差し込んで
とっても綺麗だったんだ。

まるで
「願いは叶うよ」って
言ってるみたいだった。


だから
老朽化で取り壊されると聞いたときには
とても悲しかった。

でもね?
ちょっとだけ救いだったのは

にあのステンドグラス風の装飾を保存しておいて
跡地にできるマンション(注:1)の外壁に採用する
・・・という計画になっていたこと。

「また、会えるんだ」
そう思ってた。




ところが。

実はこの計画は
断念された。

50年以上経過しているため
劣化が激しかったんだって。

ただ、

そのかわり、
エントランス前に「文化放送発祥の地」を記した
ガラスのモニュメントを設置し、

ロビーの一角に記念品を展示するスペースが
設けられたんだって。

ステンドグラスの件は残念だったけど
この社屋が
みんなにとっても大切だったんだなあ
・・・ということが嬉しかった。

いつか見にいこうっと。


新社屋も
実は好き。


ちょっと遅い「ありがとう」

2008-05-24 | Weblog
3月まで属していた事務所の
マネージャーに聞いたんだ。

フリーだったころ
お世話になったディレクターさんや
クライアントさんから

所属していた事務所に
今でも
仕事の依頼を頂いているという。

・・・皆さん
ありがとうございます。

そして
ご希望に添えなくてすみません。

これからは
僕の原点である、このラジオの現場で
精一杯がんばってみようと思います。

お会いしてお礼を言う機会もないまま
事務所を去ってしまったけれど、

僕は幸せに過ごしています。

皆さんと一緒に過ごした日々は
何より僕の財産と自信になりました。

お互いをプロとして尊重しあうこと、

人と人との信頼が
如何に大切かを
身にしみて感じる日々でした。

この
なんの約束もない「世界」で、
「また、石森と仕事をしてみよう」と
思ってくださったことを、
誇りに思っています。


皆さんのことは忘れません。
どうかお元気で。

げふにゅる。

2008-05-24 | Weblog
具合が悪かったんで(今は復活した)
薬を飲むために
会社の自販機で飲みものを買うことにした。

ふらふら歩いていって
すぐ飲み干せる小さい缶の飲み物を選んで
テキトーにボタンを押したら







・・・ファンタ?


あったか?こんなん?

でもまあいいや!ってんで
一気に飲んだら・・・




「炭酸入り飲むゼリー」でした。

薬飲めねえ。

げふにゅる。

思いがけない結末。

2008-05-18 | Weblog
羽田空港で取材したときのこと。

出発ロビーのベンチに
幸せそうな5人家族が座ってた。

中学生ぐらいの娘さんはマイクを持った僕に気づき、
読んでいた本を置いて微笑んだ。

皆、顔を見合わせて照れくさそうだが
会釈をしてくださった。

真ん中の
ふくよかなおばあさんに
マイクを向けた。


ご旅行ですか?


「パパ(息子)が九州に単身赴任してててね。
たまには家族でパパの単身赴任先に行って
一緒に温泉を巡るの」


いちばん端に座ってたメガネのパパが
にっこり微笑む。


パパにマイクを向けた。
「いやあ、お父さん、うれしいですねえ」







・・・ママでした。




パパはまだ九州だってさ。がーん。
(どうやってフォローしたか忘れた)


終わらない歌を歌おう。

2008-05-18 | Weblog
前の会社で同期だった記者が
上京してきた。

全国の報道関係者が集まる会議があったからで

『夕方会えるか?』って
メールしてきたんだ。

彼には
『文化放送の後輩記者が
日航機墜落現場を取材したとき』や
『僕が
群馬県知事選挙を
ニュースパレード用に取材したとき』など
今でも個人的に
協力してもらってる。

会社の下の
コーヒーショップで

思い出を話すつもりが
ついつい「報道論(?)」に。

今、彼は迷いながらも
報道記者として
より高みを目指そうとしていた。

でも僕は
明確な答えを出すことが
できなかった。


僕は
『日々取材しつづけ
現場で起きてることを
伝えられる喜びが
僕らの糧だ』
と言ったけど

彼は
『その先』を探してた。

僕の同期は4人いたが
記者としての採用は
僕ら2人きり。

もっとも僕は
「アナウンサー兼 記者」
・・・だったけどね。


通勤客で
ごった返す改札で

『石森を励ましに来たのに
こんな話で、ごめんな』
と手を振ったけど



君はまだ
戦い続けてるんだな。

なに言ってんだ。
これ以上の
励ましがあるか。


『石森』って呼び捨てが
懐かしかった。


あの頃の僕は
DJでもあり
よく
こんなことを言ってた。

『自分を変えてくれる歌と

自分を
変わらずにいさせてくれる
歌がある』

今夜君に

どんな曲を
贈ればいい?

歓迎会。

2008-05-04 | Weblog
※スターダストレビュー
ツアー「31」ファイナルについては
前回の記事をどうぞ。

このGW、
皆さんはどのように過ごしてますか~?
羽田に取材に行ったら
ちょっとだけ旅行気分を味わえました。

そうそう、
屋久島の焼酎や
指宿の可愛いストラップを贈ってくださった
リスナーのあっこちゃん、さんきゅーです。



では、本題。

この4月から
文化放送に所属となり、
先日、皆さんが歓迎会を開いてくださった。

僕はこういう場に慣れていないので
照れてばかりだったが

皆さんが忙しいのは仲間として十分承知しているので
参加してくださったことが、ありがたくて。

見回すと
先輩に後輩、
中継でいつも一緒の
ドライバーさんに、技術さん・・・

僕の大好きな人ばかりで
それが幸せできょろきょろしてたら
すっかり酔っ払ってしまった。

うい~。

酒が進めば、皆それぞれに
あちこちで仕事の話や
冗談を言い始めるのだけど
それをニコニコ見てるのも幸せだった。

あいさつで
感謝のことばを喋ろうとしたら
想いがあふれて
気の利いたことも言えず

もう長いやら、ぐちゃぐちゃやら。
目から鼻水が出るわ・・・。(断じて鼻水である)



たくさんたくさん
褒めていただいたけれど

僕は自分の「まだまだ」な点も知っているし
なにより褒めてくださった皆さんが
僕が憧れたり、尊敬するかたがたばかり。

かえって
身の引き締まる思いがした。

経験を積むほどに
自分に足りない部分も見えてくるんだ。
放送後には
「ひとり反省会」をする僕がいる。

でも、どっちに向かって走り出せばいいのかは
知ってる。

ラジオの現場には
ほーんとに笑っちゃうぐらい
様々な人々がいる。

それなのに想いはひとつで、
それは、すっごくシンプルな情熱だ。

だからラジオは
裏切らない。



最後になりましたが
参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
この場を設けて、準備をしてくださった大先輩に感謝です。