石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

しゅわっち

2006-05-31 | Weblog
僕はウルトラマンが放送開始された年に生まれた。
(ビートルズが来日した年でもある)
正確にいうと僕の生まれる3ヶ月前に
オンエア・スタートしている。

ありゃりゃ?でも第一回を生で見た気がする。

しかも翌年には
わずか39話で放送が終わっているのだ。
なのにその最終回で
「ウルトラマンが負ける」という衝撃のストーリーに
ショックを受けた気持ちまで鮮明に残っている。

1歳なのに?

後年繰り返された再放送の記憶とごっちゃになっているのか?

その最終回でウルトラマンを倒したのが
「ゼットン」という怪獣であった。

僕はマニアではないのであてずっぽうだが
アルファベットの最後の文字、Zにかけているのだろうか?
(・・・と思ってしらべたら
本当に「Z」と「ん」をくっつけたものだった)


これは最強の怪獣で
ボツになった台本の原稿には投げ飛ばしたウルトラマンの
カラータイマーを叩き壊し、
なんとウルトラマンを無残に殺す設定だったという。
(参考:「帰ってきたウルトラマン」では返り討ちにあっている)


なんでこんな話なのかというと
実は、今
都内に点在する
ナレーションを収録するスタジオには

・・・・怪獣が出没しているのだ。

テレビなどのナレーションを収録するスタジオは
ラジオのそれと違い、
一人が入るといっぱいいっぱいの広さで
目の前にモニターテレビがあるパターンが多い。
モニターを見ながら声を絵に合わせていく。

そのテレビの上や周辺に
誰かが流行のフィギュアを置いておくのだ。
そーゆーのが趣味のスタッフがいる場合もあるし、
ナレーターが喉を潤すペットボトルのオマケだったりするらしい。

多いところではギッシリで
朝の新宿駅のホームのようだ。

アフレコの場合、収録の間に
映像とSEやBGMとの調整や原稿の手直しなどがあり
それが終わるまでじっとナレーターは
スタジオで待っていることがある。

その間、普通、練習したり、しゃべりかたを考えたりしているが
待ち時間が長くなると、それも尽きることがある。

でもガラスの向こうには監督や、エンジニア
スポンサーさんがいらっしゃるし、だらけていられない。
・・・そもそもスタジオは神聖なのだ。



フリーになって間もない頃の
ある日のスタジオ内。
次の指示を待っている間に
ふと見ると誰かと目(?)が合った。

モニターの横に黒っぽい怪獣の人形がある。
背の高さは20センチぐらいあるかなあ。

「あー君の名前はなんだっけっか?」
幼い頃必死で覚えた脳の中の怪獣引き出しをこじあけた。


ええと、ええと、



「ゼットン!」

しばらく見つめ合う
「石森」対「ゼットン」



邂逅。


あの頃は怖かったが
今見ると、なんか
エロカワイイ。

間違えた。

こわかっこいい。

・・・ああ、なんだか触りたい。
君をこの手のひらに包み込みたい(?)

でも遊んでいると思われそう。


ゼットンは言うのだ。
「昔は俺もワルだった」というマスターのような表情で

「よし、ラジオで育ったしゃべりで
テレビでも最高の番組を作ってやれ。
ウルトラマンも倒した

最強の俺が見届けてやるぜ」と。


おう!あたぼうよ!


やがてそのスタジオにいくこともなくなった。


知らなかったのだが、
今放送中のウルトラマンマックス(だっけ?)ってのには
往年の怪獣が出演しているそうで
おもちゃやさんに懐かしい顔ぶれが揃っている。


ゼットンを見つけると
連れて帰りたくなるが
レジに持っていくなんて恥ずかしいし
そもそも持って帰れない。


しかし僕の心の中には
ゼットンがいつもファイティングポーズをとっているのだ。





ウルトラマンには
負けないぜ。











君のハートをキャッチ&リリース。

2006-05-24 | Weblog
えー、恐縮ですが

石森がたっぷりシャベラらせていただいている
DVDが、またまたリリースされます。

いや、別に紹介ってゆーか。
てへへ、その・・・

「メモのご用意を(!)」

今回は「釣り」じゃ!

釣りの世界は深い!
深いといっても「浅い」お話。

敢えて水面のみで魚を狙うってのがあるのな、
「トップウォーター」といいます。

オリジナルのキュートなルアーで
「トップウォーター」にこだわるのが、
フロッグプロダクトの荒井謙太さん。

釣りファンには、
そのユニークさで人気の「トップ屋」荒井さんが
ぶっつけ本番で野池を釣り行脚する
冒険バラエティ(?)DVDが
間もなくリリースされます!
石森も全編、シャベりで盛り上げさせていただいております!

釣りのことあんまりしらないなあ・・・
というかたでも
専門用語はともかく
楽しいと思います。

僕もちょっと
やってみたくなったもん。

野池をガサガサいくだけに
脱力系(失笑系)ハプニングの連続、
そうかと思えば感動的なバウト・シーン
更にそんなのアリ?の特典映像つき!


そのDVDとは!
「TOYS STYLE」
(メーカー:地球丸)

すでに一部ネットでも申し込めるようですが
6月中旬には店頭に並ぶ予定。
ファンのかたは、特に釣り具やさんで
見かけると思います!

(また、地球丸から出版されている月刊誌
「ROD&REEL」最新号=6月号でも
連動企画をやっとります。
これを読んでから視れば
よりテイスティでおま)


※生態系を大切に





もうひとつ、おしらせ。

ソフトながら迫力のボーカルと
超絶的なピアノ!
ほかにイナイよ
こんなアーティスト!

石森おすすめの
光田健一さんのツアー、
♪ピアノうたツアー・06夏
「雲のまにまに」が決定しました!

以前からの仲間・・・同い年ながら
その人柄や才能、努力には頭がさがります。

このブログをご覧のかたなら
ご存知のかたも多いでしょうが、
たまには改めて簡単にプロフィールを。
(参考:ジェントルハーツHP)

86年東京芸術大学作曲科に入学後、
ジャズ・ピアニストとしてセッション活動を始める。
並行して、高野寛、今井美樹を始めとする、
多くのアーティスト・サポートやレコーディングに、
キーボーディスト、コーラス、アレンジャーとして多数参加。

渡辺真知子コンサートの音楽監督を数年間務め、

ご存知
スターダスト・レビューのメンバーに。

その少し前に石森は出会ったのであった。
(僕チンの番組に来てもらってライブしました)

スタレビでは数百回の全国公演を重ね、01年11月脱退。

 02年、石井竜也のArt Performance『Art Nude』に参加。
コンサート・ツアー「ISHYST」、
クラシカル・コンサートツアー「羽音」では
音楽監督・編曲を担当。

近年では、『RAG FAIR』のアルバム、
シングルの数々に編曲・サウンド・プロデュースとして参加。

 小田和正の大ヒット作「たしかなこと」や
アルバム「そうかな」「自己ベスト」などのコーラスに参加してます。


・・・・でもねえ。
なんといっても、
「けんちゃん」の魅力爆発はライブ!

セッションもすんばらしいけど、
ピアノ一台での弾き語りでは
フルオーケストラ以上の感動が!

巷には
いろんな音楽が溢れているけど、
やっぱり時々でいいから
「本物」に触れておくべきだと思います。


今回のツアーでは
7月2日の「横浜赤レンガ倉庫」の回に
石森も久々にお会いしに行こうと思っています。


5月31日には
東京タワーの大展望台で
夜の7時と
8時15分から無料のライブがありますので
そちらから楽しんでもよいかもね、

そしてまた、このツアーに向けて、2006年ニュー・マキシシングル
「光をさがして」リリースが決定!(HPから予約可能)
GHCD-1218・¥1,200-(税込)

こちらも
今、i-podに落として聴いていますが
よろしくてよ。

最後まで読んでくださった方
お疲れ様、

お茶でもどうぞ。

走り続ける。

2006-05-19 | Weblog
きょう、取材を終えてほっと一息していたら
中継車のドライバーの張替さんから内線電話。

「石森さん、この中継車に乗るのは
きょう最後だろ?写真とるかい?」


そう、
あすでこの車は
役目を終える。

僕にとっては
数年間のつきあいだったが
中身の濃い数年だった。


拉致被害者の子供達が
帰ってきたときに
空港から中継をしたのも

イラクで人質になったかたの
ご家族が
不安な夜をすごした施設の駐車場で
共に何度も夜を明かしたのも
この車だった。

前回のワールドカップの時には
ロシアやトルコなど
対戦相手の国々の人々が集まるスポットを
探しまわったりもした。

このほかにも
近年の事件や事故、
災害の現場に飛び出していったこの車は
れっきとした「報道部員のひとり」であった。

一方で
フリーランスの僕にしてみれば
先輩の記者のかたと
普段はしないような話をすることで
その人柄を感じさせていただいたり

張替さんや技術の皆さんと
力をあわせて取材したりと
かけがえのない場を与えてくれた。


僕にしてみれば
まるで戦友のようだった。


僕のその気持ちを知っていて
張替さんは
僕を呼んでくれたのだ。



その心遣いが
本当にうれしかった。



僕の心の中では
ずっと
オレンジの車体は不滅で
いつまでも
走り続けるのだ。





消えた恐竜。

2006-05-16 | Weblog
ある日、自宅近くを車で走っていたら、
道路端の塀に、
さびついた「交通安全」と描かれたブリキの看板を見つけた。

はっとした。
そこにはかわいいイラストとともに
「恐竜パーク」という文字が読み取れたのだ。

かつて女性誌などで頻繁に紹介されたスポットに
「恐竜パーク・横浜」というのがあった。

ちょうどバブルまっただなか、
テーマパークも雨後のたけのこのようにできていた頃だ。
遊ぶところには困らなかった時代。
当時、僕は学生で東京23区内に住んでいたが、
遊ぶ場所は主に横浜だったから
さっそく出かけた。

しかし。
そういったおしゃれなスポットだと思って出かけたら
かなりの「異空間」であった。

横浜の英連邦墓地の近く、
2800平方メートルの起伏にとんだ敷地を歩くと、
木々の間から実物大の恐竜の模型30体が
そこかしこに現れるのだ。

・・・でもね。
ディズニーランドの人形たちのようには一切動かない。

例えばブラキオザウルスは強化プラスチックでできており、
高さ14メートル。全長11メートルの迫力・・・なのだが。
リアルというよりはカラフルかつ、どこかマンガチック。
町の公園にある動物の遊具たちの延長線上だった。

だけどね、上るのも抱きつくのも自由。

なんだか、これはこれでとても幸せな場所かも?と思った。
恐竜もどこか楽しげな表情で、
子どもたちやカップルを
愛しげに見ていた。

中身のない、見栄と悪ふざけの季節の中で出会った
ほっとさせてくれる場所だった。

石森が行った印象では
「山の中にあちこちに置いときましたんで、あとはヨロピク。
好きに楽しんで!」という印象だったが
入園料は800円
(うーむ、これだけなのに高いか?と思いながら)
入り口の小屋のおじさんに払ったら


「おにぎりはいいの?」
・・・と勧められた。(もちろん有料)

おしゃれじゃねえ!
(でも、おにぎりが似合う場所)

・・・でもそのなんというか泥臭さが、ハート直撃?
一日800人の入場者を記録する盛況振りで
家族やカップルの穴場的遊び場だった。

これ、もともと地元の土木会社の社長が
「子供が自然と触れ合える場が少ない」と考えたもので
恐竜たちも自分たちでトラックで運んできた。




・・しかし。


ある時期から幻のようになんの情報もなくなった。
あの巨大な恐竜たちはどこにいったのか?

僕も学校を卒業して
地方のFM局に就職したので知らなかったのだが
「パーク」は煙のように消えてしまった。


まさか捨てられた?
あんな大きなものが?
それも数10頭も?!


なんだか悲しくなって、

あの、みんなの笑顔が浮かんできて、
個人的に調べてみることにした。

でも、なかなか情報がない。


しかし。


2001年
東京アクアラインを渡って反対側の木更津市畔戸に
「恐竜パーク・木更津」が開園しているのを発見した。

・・・これは関係があるのだろうか?

ありました。
やはり経営母体は同じ会社。

しかも。
ここにいる恐竜は55体!倍増している!うひゃあ。

さらに驚くべきことに
ここは有名テレビドラマのロケ地として一日500人が
訪れる人気スポットになり
恐竜くんたちは、まあ、スターに?なっていたのだ。
しぇえええ!


・・・では、ここにいけば恐竜たちに会えるのか?



会えない。



なんとこの「恐竜パーク・木更津」は
おととしに閉演しているのだよ。

運営会社が多数の地権者と結んだ借地契約を
更新しようとしたところ
一部が反対し、営業が続けられなくなったのだ。

・・・ではこの恐竜たちはどうなったのか?

また、悲しい気持ちで調べているうちに
気になる記事が見つかった。



「格安、ティラノサウルス231万円」


はあ!?


閉演の1か月前。
制作費に4000万円かかったブラキオザウルスが495万円などで大安売りされていた。
トータルで2億円かかった恐竜は1割程度で売りにでたのだ。

「大きすぎてどこかにもっていくことができないので
処分をきめた」らしい。

ドラマにつかわれたこともあり、
全国から問い合わせがあったようだが、
みんなバラバラに買われたのか?
売れ残ったのはいなかったのか?



彼らは今、どこにいるのか!?
ふええええ。





ふふふ。
見つけたよ!






今は、北海道にいる。しかも全員!!

リゾート施設運営の会社が
なんと、すべて一括購入してくれた。

札幌市内で運営するスキー場、
テイネオリンピア内の遊園地で
活性化に一役かっている。
HPで写真をみたが

子どもたちの笑顔は
あのころと変わらない。



横浜で生まれて14年。
恐竜たちは
今も子供たちを背中に乗せ
みんなで幸せに暮らしているのだ。

いつか再会したいなあ。
その日をまってるぜ。



ブラキオザウルスのように



クビを長くしてな。

速報!

2006-05-13 | Weblog
宮本正明選手が続々とドラマに出演!
詳しくはこのサイトの左下の
応援ページから!

はっけん!はっけん!

2006-05-13 | Weblog
どうも。

いつも持っているカバンが
すごく重い石森です。

最近、すげえ個人的なことだけど
「発見」が相次ぎましたわ。

発見その1、
僕は最近まで、
ふとしたきっかけで発掘した
中学生のころに買ってもらった時計をしていた。

なんでまた?と思うでしょうが

これはセイコーの「デジボーグ」というモデルで
ごつめのデジタル時計なのだけど
数字以外に小窓がついていて
そこに長針と短針、秒針までもが
「液晶表示」されている
当時としてはかなりエッジの効いた
ロボット風のデザインのもの。

さて、時は流れ
大人になって
OO7展を取材することになったときに
映画を見かえしていたら
ジェームス・ボンドが、
なんとこの時計を
スパイグッズとして使うシーンがでてきた。

かっちょええ。

つーわけで見る人がみれば「おっ」と思うこの時計を
自分の楽しみとしてつけていた。
んがしかし。

中継車の中でふとみたら
表示が一切消えたかと思ったら
でたらめな時間を表示しはじめた。

「僕を時間の国に迷い込んだ
アリスにするつもりかー」


なんてことは全く思わず
時計屋さんで電池交換してもらおうと思ったら
「完全に表示が消えないうちに交換すると
壊れるかも」・・・そうなの?

でもいつまでたっても表示はファンキーなまま消えないので
とうとう先週からベンチ(ひきだし)入りになりました。




そこでひっぱりだしてきたのが
ずいぶん前にもらったダイバーズウォッチ。

説明書も何もないが
これ、よく見るとデザインかっちょいい。
でも見事に止まっている。

でもちょっと振ってみたら、ちょちょいと動く。
ありゃ?「自動巻き」?
文字盤には「セイコーのAGS」とある。
しょこで念のためネットで調べると・・・

AGSとは「自動発電装置」(キネティック)の略で、
ゼンマイの時代の
自動巻きというシステムを進化させ、
クオーツの電気を、
歩くときの腕の振りによって
小型モーターで発電したれや!
・・・というもの。

しかも、オール・チタン・ボディの200m防水。

うひゃあ、
なんまんだぶなんまんだぶ。

腕を動かすと、内蔵されたローターが回転、
これを歯車で約100倍に増速。
回転を利用して超小型発電用モーターを高速で回して
大容量コンデンサに充電する。

もしも72時間放置しておくと、
すべての針の動きを止めてスリープモードに入るが、
腕時計を数回振り発電が検知されると、
内蔵ICの時間情報に従って瞬時にすべての針が現在時刻に復帰。

うわーなんだかすごいぞ。
(あまりわかっていない)

・・・しかしほとんど動いていない。
なので腕にはめて踊ってみたが、
案の定「何してんの?」と聞かれ
「う、うん」

正常に動くのはいつの日か。

そこで今、2つ時計をはめている。
無論、腕の振りにより充電するためである。

散々歩いて
ああ、疲れた
そろそろいいだろう?
・・・と時計を見ると
ぶぎゃ!
動いていない!?


なじぇ?



ああっ!左手でカバン持ってた!
(しかも重い)

とほほ。
しかたがないので
右手にカバンを持ち換え家路へ



・・・今度は動いているだろう?


ああっ!



左手がズボンのポッケに!
(あいあむ ばか)







ありゃりゃ、長くなっちゃった。
じゃあ短めにまいる。

(ええっ!?まだ続くの!)
発見その2

お世話になっている文化放送の旧館は元修道院だそうだが
6階まであがれるエレベーターがある。

これニューヨークの古い建物でも見たことがあるロゴで
「オーティス」と書かれている。

おおつ!

エレベータの歴史を紐解とけば、もともとは水力のものが19世紀に誕生。

しかし水力や蒸気機関を用いたエレベーターは、
非常に速度が遅く、安全性にも問題があった。

そこでアメリカのエリシャー・オーティス
(Elisha Graves Otis, 1811-1861)が
1853年のニューヨーク万国博覧会で
落下防止つきで
スピードもコントロールされたエレベーターを
発表したのだ。

でもこれ、「開」ボタンはあるが「閉」ボタンがない。
しかたがないのでこれまでの数年間、
しまるまでじっと待ってていたのだが、

たまたま一緒に乗った警備員さんによって

「もう一度行き先ボタンを押せば閉まる」ことが判明!

感動の嵐であった。


え?いいの。

自分は感動したんだから



おん・ざ・ろーど

2006-05-02 | Weblog
そんなこんなでね、
春からは新番組も2つほど始まり、(TVとラジオで)
CMやDVDの話も頂いて
うまくいったりいかなかったりで
忙しくすごしております。

この世界に入ったのが25歳でいきなりワイド番組を持って
そんでもって14年間やってきたわけですが
ほかの仕事との大きな違いの一つに
年に2回ほど(番組改編期)
まったく仕事仲間の顔ぶれが変わるということであります。
(仕事がなくなる可能性もありスリリングですよ)

別れはさびしくもあり、
でも出会いは宝物で
昔の仲間から声がかかることもあり
離れ離れになっていくことは
ネットワークが広がっていく、ということでもあるのだなあと
しみじみ思います。

おまけに文化放送の皆さんにも引き続き
大切にしていただき「感謝感激雨あれれ?」

で、フル回転でここしばらくやってきたのですが
思いがけず、ここ2、3日
気分転換することができました。

ひとつは
前回も書いたけれど
スターダストレビューのライブに行ったこと。

ネタバレするので詳しくは書きませんが
前代未聞の内容に度肝を抜かれました。
とにかくスタレビのライブに参加したことがないかたは
いってみるべきです。

もうね、25周年ということもあって
老若男女がいっしょに楽しんでいます。
たとえ1曲も知らなくても大丈夫、
ライブの楽しさってなんだか教えてくれますよ。
笑って唄って踊って、感動して最初のデートにもお勧めです。

またまた楽屋でボーカル&ギターの根本要さんと
マネの川本さんとお話しましたが
ライブ直後、要さん、
「ほんとうに素晴らしいお客さんのおかげで
今の僕らがいる!」と感激していました。
川本さんもいつも以上に熱く語り、
もうスタレビのメンバーなんだなあ、と思いました。

まだまだツアーは続きます!HPでチェックです。

それからね、仕事終わりの黄昏に、ふと思いついて
「愛車その2」の、かぷちゃん(初代カプチーノ)で
海と一緒に走りました。
なんだか突き抜けたい気持ちだったので
敢えてひとりで小田原まで、1号線を辿って。
いろいろ熱唱したり、
いつも聞かないステーションのラジオを聴いたりして。

本当は熱海あたりまで飛ばしたかったのですが
(もちろん法定速度です)
遅くなって
おなかがすいたので帰りました。(こどもか?)

僕のかぷちゃんは
かつては、取材で毎日使っており、
しかも山間部も多く、
(なんたって「イニシャルD」の舞台でしたし)
なおかつ週末には、横浜までの往復で
200キロ以上を平気で走っていたので
距離メーターは結局何キロなのかすでに不明。

A級ライセンスを初めて取ったころは
ヒール&トゥやコーナーリングの練習もしたし
かなりハードにつきあってくれました。
でも・・・
都内で仕事をするようになってからは
それほど乗らなくなりました。

なのに今回、一緒に飛ばして
(だから、法定速度だって)
あのころの素の自分を取り戻しました。

おまけに
故障していて
しょんぼりしていた電気系統が
なぜか今回「自然治癒」
生きているみたい。

なんだか「しかっりせい!」と
言ってくれているようで
近々細かく手入れしてあげることにしました。

今度は小田原まででなく

黄昏を追い越すまで
走ろうと思います。