石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

不思議なサーファー。

2007-05-31 | Weblog
由比ガ浜で沖を眺めていたら
「変なもの」を見た。

普通、サーフィンをする時には
パドリングっていって
ボードの上に腹ばいになり
両腕で水をかきながら沖へでていく。
で、沖で波を待ち、
いい波がきたらボードの上に乗っていく。

・・・のだが。

サーフボードの上に人が「直立したまま」
長い「オール」を1本持って、
その「オール」で水をかきながら
「すすすー」と沖へ出て行く。

なんだありゃ?
海辺育ちの僕も初めてみたじょ?

「波に乗るとき、
あの長いオールはどないすんねん?」
と「渡辺徹さんばりのニセ関西弁」で思っていると

ちょと離れたところに
もう一人「直立、オール持ちサーファー」がいて
互いに左から右へ、右から左へ行きかっている。
いっこうに「波に乗る様子」はない。

ぷぷ。おもしろーい。




そこで家へ帰って調べてみたら
どうやら
「スタンドアップパドルサーフィン」というものらしい。

波がなくても楽しめ、全身運動なので
体がひきしまるとか?
なんだか見た目がユニークだけど、
これから流行するかも?
気持ちよさそうだぜ・・・。ここをクリック。

RONDINO!RONDINO!

2007-05-31 | Weblog
鎌倉には「RONDINO」という名前の店が2軒ある。

一件は「TAVERNA RONDINO」
海沿いの134号線、稲村ガ崎、
鮮やかなレモン色の壁が目を惹く。

ローマとベネチアに姉妹店を持ち
新鮮な魚介類を楽しませてくれる
本格的なイタリア料理のお店だ。
1980年に出来た店で、このシーズンは観光客で賑わう。

もう一件は・・・
「CAFÉ  RONDINO」ここは趣がかなり違う。
鎌倉駅の西口を出てすぐ。
小ぢんまりとした可愛らしい店である。
創業、1967年とある。僕の生まれた翌年だ。

実は、この店には以前から入りたかった、
でもなかなか入らずにいたのは、
「CAFÉ  RONDINO」は、地元のかた
それもオープン以来通う「鎌倉っ子」の多い店だから。
なんだか「聖域」に踏み込むような気がして。

でも、入ってみた!
マスターは注文が入ってから
1杯づつサイフォンでコーヒーを入れている。

イタリアのバールに魅せられたマスターが作るのは、
「イタリアンコーヒー」

今でこそ増えたが、
創業当時は珍しかったのではないだろうか。
なのにブレンドは330円と手ごろだ。

小さなテーブルの上には銀の砂糖つぼがひとつ。
スティックシュガーなんかではない。

メニューを見ると、
※スパゲティ
※トマトとツナのスパゲティ
※カレースパゲティ

・・・ん?一番上の
「スパゲティ」って何だ?
しんぷるぷるぷる、ぷるっぷる。

もう期待たっぷりである。

なぜなら僕は
「国際ナポリたん同盟」の総裁だからさ。

(ちなみに政治ジャーナリストの
K谷K一さんは「幹事長」を申し出てくださったが
総裁権限で「かんじちゃう」に任命する)



だって、僕の子供の頃に「スパゲティ」って言ったら
あの「ケチャップあえ、赤うどん」だったろう?

きっとそうだ。
もう今ではあまり出会えなくなった
あの「赤いお友達」なのに違いない。

大体、スタバなどの
キャッシュオンデリバリーのカフェが増えて
「純喫茶」自体少なくなってる。
久しぶりに、懐かしの「ナポリたん」に会えるのか?

・・・ん?さらにびっくり!?
これ、コーヒー(他にも選べる)付で650円だ。

え?だってここ、コーヒー単品で330円だろ!?
お得にもほどがあるじぇ(テンション上がってる)

でもきょうは暑いからアイスコーヒー(ありゃ)
するとお姉さんが
「あまみのあるものと、ないものがありますが」

いいっ!
ガムシロとか言わないんだ。
あまみだよ?あ・ま・み。

もうあれだよ?
今、「あまみ」と言ったら
「RONDINOのアイスコーヒー」か
「くろうさぎ」だね。(←意味不明。)

店内には「カンツォーネ」ではなく、
「古いハワイアン(かな?)」が控えめに流れる。
音質的には「FEN」っぽい。

「おまちどうさまです」

ほら!先にアイス・コーヒー来るんだもん。
意表をつくね、しかもデカい。

しばらくしてタバスコと粉チーズが置かれる!
期待は高まるばかりなり。
「スパゲティでーす」

キタ━―━―━―(゜∀゜)━―━―━―!!

やったーあ!

麺が太いよおっ!こんなに太いのおっ!

そして真っ赤よ、真っ赤!
真っ赤!真っ赤!
わっしょい!わっしょい!
わっしょい!わっしょい!

まーさーにー


「シャア専用っ!」(←意味不明)



ふと見ると、斜め前のおじさんやおばさんも
スパゲティに大量の粉チーズと
タバスコをかけていて、
こっちまでツンとくる。

へい!
それがこ店の流儀なのかい?

厳密にいうとこれ、
ケチャップというより
「濃い目のミートソース」を絡めているらしい。

だから焦げ目のついたウィンナーや
たまねぎはないが、
これでよしっ!許すっ!(←何様?)

アルデンテとか関係ねーって感じの
「にっぽんの すぱげてー」だぜ、べいべ。

ああ、おいしかった。

なんか本当に 
60から70年代に迷い込んだみたいだった。
「750ライダー」の世界だね?
知ってる?「750ライダー」


口のまわり真っ赤だよ。
「間違った泥棒ヒゲ」だよ。
三波伸介さんも「びっくりしたなあもう」だよ。

レジにいってびっくり。

アンティークショップにあるような
でっかい「レジスター」!
ボタンを「がちゃがちゃ」押すやつだ!

伝票を出してみると、さっきのお姉さんが


レジスターの横に置いた
「電卓」で計算してました。

おしいっ!

(でもお金はレジスターに入ってた)

またいこうーっと。





BASS OF LOVE

2007-05-26 | Weblog
※スターダストレビュー、6時間ライブについては
5月20日分のブログを見てね。
・・では、本題。



僕がピアノの次に始めた楽器はコントラバスだった。
バイオリンの仲間で、いちばんでっかいやつな。

どっかにも書いたけど
小学校5年生の時の担任
「丸山先生」に薦められたからだ。
そんでバスケと陸上をやめた。

それから高校まで、ずっとコントラバス。

高校の音楽の単位は
このコントラバスのソロ演奏でいただきまんもす。
実家には、今も自分のコントラバスが置いてある。

「ダブルベース」ともいうけど
これはドイツ語と英語の違いだけなのさ。
ブラスにいたときには
「弦バス」とも言われた。

ちなみにジャズになると
「ウッドベース」と言ったりもする
・・・「昔の名前で出ています」みたいになってきた。

ことほど左様に様々なジャンルで活躍する楽器であり、
僕にとっては
それぞれのジャンルに「ベースの かみさま」がいた。

クラッシック界においては「Gary Karr」
超絶的で美しい演奏。
「Gary Karr」公式サイトはここをクリック!(音がでるよ)

そもそも少年時代の僕はコントラバスが
「ソロ」として活躍できるなんて思ってもみなかった。

どこのオーケストラにも属さなかった
初のソロ・コントラバス奏者だ。

一方、ジャズ界における僕の憧れは「Ron Carter」

「Gary Karr」とは違い、
ハイ・ポジションの音程はあやしいけれど
「自分の音、スタイル」を持っていて、酔わせてくれる。

このまま、ずっと聴いていたくなるのだ。

ベースへの寄り添い方がかっこいい。
「Ron Carter」公式ページ(音がでますって)

ただ、2人とも自分にはあまりにカリスマすぎて
少年の僕には、あまりも遠い存在だった。
ひょっとすると
「本当はいない、伝説の存在」にすら思えるような。



でも、大人になって、
コントラバスから離れてしまうと
いつのまにか聴かなくなっていた。

なんだか
親友だったはずの友達と疎遠になっていくようで
後ろめたさまで感じたけど。


それなのに
何故、今頃
そんなことを急に思い出したのかというと



仕事帰りに、電車に乗っていたら、
ドアの上の液晶モニターでロンが演奏していたから。



ああ、まだやってたんだ。
(※Gary Karrのほうは2001年に引退した)


この小さなモニターにはスピーカーがついていないが、
彼の指の動きで
マジで音が聞こえてきたような気がした。
そして、その若々しさに驚いた。


よく見ると、この電車の中は
「ロン」のポスターでいっぱいだった。

いわゆるADトレインってやつだ。
コンビニなどで売っている
「タリーズコーヒー」(伊藤園)の宣伝だった。

満員電車の中は
ため息で満たされていくけれど。

でも。

誰も気付かないだろうけど、
みんの頭上で、奇跡は奏でられていく。

僕は彼の、音のないプレイを楽しみながら

幸せな気持ちで
横浜の自宅をめざしたんだ。

出会いに恵まれて。

2007-05-23 | Weblog
※注「スターダストレビュー6時間ライブ」についてのブログは、
前回と、前々回をごらんあそばせ。

・・・では、まいる。


ニュースパレードの月曜日に
キャスターで政治ジャーナリストの
角谷浩一さんが、この月曜日に復帰した。

本番後、
2人で一緒に飲んだ。
もちろん身体を気遣いながらだが
楽しいひとときだった。

角谷さんが元気になったので
以下のことを書こうと思う。

3週間ほど前、
街頭インタビューをしている最中にビル火災に遭遇、
そのまま現場から中継したあと
現場の声を録音したテープを届けるために浜松町に向かった。

編集が終わり、
デスクと一緒に会社を出たところで
驚くような一言を告げられた。

「病気療養中の角谷さんのピンチヒッターを」

一瞬、耳を疑ったが
「お願いします」と答えた。

ニュースパレードとは
1959年以来、放送されている全国ネットのニュース番組。

このアンカーマンをつとめることは
責任も重いが、大変価値のあることだ。
例え、ピンチヒッターであっても。

ただ、
僕にいつも声をかけてくださる角谷さんのことが心配。
僕のいないところでも、
いつも僕のことを気遣ってくださっていたと聞いている。
「あいつを生かしてやってくれ」とおっしゃってくださったと。

だから。

本来なら
以前からずっと僕を応援してくださっている皆さんに、
こうしたブログなどを通じて
きちんと出演することを伝えるべきだったのかも知れないが、
角谷さんが元気に復帰するまでは控えることにした。

水臭いようでしたら、ごめんなさい。
いつか、僕の実力で何かの番組を担当した時には、
まっさきに伝えます。



さて、
今回、僕を指名していただいた皆さんには感謝してもしきれない。

もしかしたら
「なぜ、あいつが?」
と思われたかたもいらっしゃったかも知れない。

でもマイクの前に座らせて頂いた以上
リスナーの皆さんにきちんと向かい合い
現場の記者の皆さんと
リスナーの皆さんとをつなぐ使命を果たすことだけを考えた。

これまでの15年間、
ニュースだって何本読んだかわからないし
ワイド番組もこなしてきた。

でも、今回は試行錯誤の連続だった。
いろんなアドバイスを頂き、
全部やろうと思ったら迷った(笑)

「アナウンサー読みでなく、記者的に自然に」
「でも抑揚は抑えて、淡々と」
「それでいてリズム感は損なわないで、尚且つ、ゆっくり」

あー、新人研修のころを思い出した。(苦笑い)

結局、最後の週に、いつものとーり自然体でやったのが
いちばんしっくりきた。

・・・しゃべりは奥が深いぜ。
でも、とてもよい勉強になった。


「まだまだ改善の余地はあるなー、 来週がんばろ」
・・・と思っていたら
角谷さんの体調がよくなり
予定を早めて、この月曜日から復帰されることになった。


そして月曜日、
僕は「レポーターとして」
スタジオに入った。

角谷さんの笑顔を前に、
一緒に番組ができることを
やっぱり心から嬉しく思った。


スタジオでひとりで準備をしていたら、
そのわずかな時間にミキサーさんが来て、
Uさんのことを、僕に話してくださった。

Uさんは、かつて報道で泊まりデスクを担当され
僕は同じ曜日の泊まりアナウンサーだった。

立場もキャリアも違うけれど「ともに戦った感」がある。
現在は異動になり、技術部門にいらっしゃる。

ミキサーさんは言う。

「Uさんね、
ニュースパレードで
石森さんの声が聴こえてくるのを、いつも楽しみにされてて
時間になると
スピーカーのボリューム上げて聴いてるんですよ。

きっときょうも聴いていますよー」






あのー、

本番前に
泣かさんといてください。

(それでなくても最近涙もろいんだから)


本当によい経験をさせていただいたと思う。

いろんなかたから励ましもいただいた。
元キャスターで前警視庁キャップのK笠さんが
声をかけにきてくださったのも嬉しかった。

いつも励ましてくださるN須さんは
メールで感想を送ってくださり
番組の録音をCDに焼いてくださった。

ほかにも
ほかにも。


みなさん、本当にありがとうございました。









一生忘れません。

スターダストレビュー、6時間ライブを終えて。

2007-05-20 | Weblog
それは宝石のような時間だった。

ボーカル&ギターの要さんが、
アンコール終わりには
いつもはずして、おどけてみせるサングラスを
きょうは最後までかけていた。
そのわけは・・・・。

「スターダスト・レビュー
25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き」が
幕を開けたのは、午後1時。
しかし、11時半の会場前から、
さいたまスーパーアリーナには長蛇の列ができていた。

メンバーがみな、埼玉出身のスタレビは
25周年の記念イベントに故郷を選んだのだ。

デビュー曲ながら今も人気の「シュガーはお年頃」で始まったステージ。
6時間というとえらい長丁場のような感じがするが
お客さんにとってはあっという間だった。

途中歌詞を間違えるハプニングが3~4回あってやり直したけど
やり直した分だけ「増量」した感じ?
歌詞を間違えずに歌えたら100万円、というコーナー(?)で
間違えずに歌いきったとき
観客から大きな拍手が沸き起こったが、
・・・よく考えたら自分の歌じゃ。

その時、お客さんだけに見えるように歌詞のテロップが流れたのだが
改めて文字にして見ると、素敵な歌詞だなあと再確認した。
・・・そのあとまた間違えてたけど。

途中、著名人からのメッセージビデオが度々上映され
そのリクエストに答えながらの演奏も。

スタレビがいかに多くのジャンルの人々と交流があり
慕われているかを裏付けるものだった。
そうした人々の気持ちは、僕もよくわかる。
だってスタレビの皆さんは、若手で(?)無名な僕にでも
楽しく大切に接してくださるからね。


途中、ゲストが登場。
1人目のゲストは笑福亭 笑瓶さん。
以前のライブにもゲスト出演されたが
カラオケ仲間だそうだ。

で、2人目のゲストの時間。
・・・誰だろう。
みんなの予想は「お笑い系?」

「ゲストは、小田和正さん!」
まじで?という空気に変わり
小田さんがにこやかに現れると大歓声。

「木蘭の涙」を2人でしっとりと歌い上げたあとは
スタレビがバックをつとめ「オダレビ」として
「ラブストーリーは突然に」
「YES NO」を演奏。

小田さんはステージを走り回るほどノリノリだった。

何年か前に小田さんのステージも見たが、
いっちゃなんだけど、自分のステージ以上に楽しそう。
「YES NO」も自身のステージでは
アレンジをシャッフル風に変えて歌っていたりするから
オフコースに近いきょうのアレンジは
その世代のファンには胸が熱くなっただろう。

そのあとはスタレビの名曲「今夜だけきっと」も共演。
好きなアーティスト同士が
一緒に楽しそうに演奏していて、その場所に自分もいる。
皆、その幸せをかみ締めていたに違いない。


「オダレビ」は以前にも共演していたが
今夜は少し違った。

小田さんとのリハ予定日は
ちゃんと用意されていたのに
その数日前のリハに、小田さん
姿を見せたのだそうだ。

そしてせっかくだから新曲をやろう
・・・と歌詞を持参だったそうな。

それはとてもシンプルだけど
「音楽」や「ファン」への
「感謝の気持ち」がつづられた言葉だった。

この曲を一緒に歌い終えた直後、
要さんは後ろを向き、サングラスを持ち上げて目をぬぐった。

正面の大型モニターは
要さんを気遣うように、その背中をいったん隠した。

25年間の想いと自分たちを支えてくれた人々への想いが
小田さんと作り上げた歌を歌ったことで胸にせまったのだろう。

いつも僕らを笑わせ、元気づけてくれる要さんの涙に
会場の拍手は暖かかった。

僕も涙がこぼれたが、この時は暗闇なので、そっと隠せた。
しかし。

アンコールで盛り上がったとき。
ステージにキーボードが運び込まれた。

「小田さんまた出るのかな?」と皆が思ったところで
呼び込まれたのは

なんと初代キーボーディストの三谷泰弘さん!

続いて2代目キーボーディストで
僕の「友人」ってことでお世話になってる
光田健一さんも呼び込まれた。

現在のキーボーディストの添田啓二さんとあわせて
3人のキーボーディストが顔をそろえた。

これにホーンセクションと
アコギやコーラスの岡崎昌幸さんを合わせ
スターダストレビューにこれまでに在籍&サポートした
ほぼ全員のスーパースタレビが登場したことになる。

これには昔からのファンは驚いた!

ボーカルの要さんは
コンサートパンフやMCの中で
2人のキーボーディストが去った寂しさを語っていたが
一方で、前回の「25周年ツアーHOT MENU」の時には
2人が不在ながら
「2人も大切なスタレビのメンバーです拍手を」とMCで語っていた。

僕はその時、演奏終了後にバックステージに現れた光田さんと
現メンバーが、かたく握手を交わしている姿を見ている。

三谷さんの曲のあと
光田さんがリードボーカルをとり
スタレビの演奏で要さんと一緒に歌ったが、
これはスタレビ時代にはなかったことだ。

僕は光田さんがソロになってからのコンサートにも
何度もおじゃましているが
スタレビからの
一人のアーティストとしての光田さんへのリスペクトと
エールのようにも思えた。

光田さんのボーカルは要さんとは、また別の彩りで
今夜も、その超絶的なピアノは
心を直接、弾かれているようだった。

全員での演奏を終え
それまで踊りながら全力で歌っていた三谷さんの感情がくずれ
しきりに涙をぬぐい、みんなに肩をだかれた。
アマチュア時代から一緒だったメンバーにしかわからない
いろんな想いがあっただろう。

要さんもアンコールを終え、声を詰まらせた。
あの、話好きの要さんが
もう言うことはない、と感無量の様子だった。

昔から応援し、そうした経緯をしっていた僕も
涙がとまらなかった、
隠そうと思ったが、まわりも泣いてたから
いいやってことにした。


そして要さんは
サングラスをはずすことなく
ステージから手を振ったのである。

さて。
ライブが終わったあと、要さんに
「いろんなバンド見てきたけど
脱退したメンバーを温かく迎えて
ライブをするバンド見たことない」というと、

「そうか?そうかもなあ(笑)
うちはいつでも迎えるんだ、大事な仲間だから」とちょっと照れ笑い。
「バンドがこうして集まれるのは要さんだからかも」
・・・というとまた笑っていらしゃった。

要さんは
「ラジオもテレビもいいけれど
こうして皆が足を運んでくれるライブが一番伝わると思うんだ」という。

そして
「25年こうしてやってこれて
メンバーにも感謝し、スタッフにも感謝し、
ファンにもありがとうを言いたいけれど
それを結びつけてくれていたのはやっぱり音楽なんだ。

音楽に関わる仕事をしているみんなには
もっともっと音楽の素晴らしさ、楽しさを伝えてほしい」と言う。

前回のツアーの時にも
「若手がもっと音楽を続けられる環境を作ってほしい」と話されていたが
スターダストレビューは自らの25年にわたる経験を背景に
日本の音楽界全体のことまで強い想いを持っている。

要さんはステージ後も
「やあ、恥ずかしいとこ見せちゃって」とおっしゃってたが
ちっとも恥ずかしくない!

だって、

自分のやってきた仕事や
仕事で関わってきた人、
自分のためにアドバイスしてくれた先輩、
そして
お客さんがたに対して、

「感謝と幸せ」を感じて涙を流すことができる人が
どれくらいいると思う?

僕はちょっと
わかる気がするんだ。





※7月25日にはニューシングル「愛の歌」が発売になる。
これはシンプルだけれど力強いゴスペル調の歌だが
きょうの観客1万5000人がバックコーラスをつとめる。(僕も歌いました)
「公式HP」http://www.s-d-r.jp/

※ 光田健一さんのニューシングル「カゼカオル」も発売中。
今聴いているんだけど、すんばらすぃーです!
まだ光田作品を聴いたことないかたは一度聴いてみて。
6月2日には東京キネマ倶楽部でライブがあります。
こちらも詳しくはHPで。http://www.kenichi-m.com/

スターダストレビュー6時間ライブを前に。

2007-05-14 | Weblog
ってタイトルだけど
写真は石森がベースやってるバンドの練習風景。
椅子が足りない・・・の図。



スターダストレビューの
Kマネージャーさんからのメールに
「さいたま物産展の準備で忙しい」とあった。

・・・うーむ。
ロックバンドの事務所からのメールとは思えん(笑)

大変なんだなあ。
何を売っているんだろう。
「五家棒」あるかな(←好き)

え?何って、
今週の土曜日に迫った
「スターダストレビュー25周年」の
「おやつつき6時間ライブ」の話。



メンバーは埼玉出身だから
「さいたま物産展」も併催なのさ。

今日、テレビでスタレビの特集をしてたけど
ボーカルの根本要さんは
いつもの長い髪を切って気合が入っていたぞ。

今回のイベントは
いわばファンへの感謝を込めたものだ。

これは
ポールマッカートニーのライブに行ったときにも
思ったことなのだが(毎回行ってる)
日常の中で
自分の人生を、自分なりに戦ってきて
どんなに歳を重ねてしまったとしても

今もそのアーティストを追いかけることまではできなくても
「時折、自分がある時期に愛したアーティストに会いに行く」って
素敵なことだと思う。


人生の一瞬に
「そのアーティストに励まされたり」
「夢中になっって追いかけたり」
「誰かと一緒に楽しんだり」した
「本当の自分」に会いに行くことでもあるから。

あー、もう随分
ライブになんて行ってないなあ、なんてかた。

恥ずかしがらずに
もう一度、熱い想いを抱きしめてみてはどうかなあ。

きっと
きのうとは違う明日に会えると思うよ。


※「スターダスト・レビュー
25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き」は
即日完売したものの
追加席も発売の模様。
詳しくはオフィシャルHP。




うー、WANTED!?

2007-05-10 | Weblog
吉田照美のソコダイジナトコ
(文化放送月~金、朝6時~8時半)
水曜日の冒頭「朝いち情報デリバリー」で
ちゃべらせていただいてますが、

照美さんが僕を紹介するときに
ほぼ毎週おっしゃるのが、
「目が鋭い男、石森・・・」

「サスペンス映画でキーマンになるタイプ」
・・・てのもあった。どういう意味じゃ。

そんなに眼光鋭いかなあ?(笑)
ティッシュなら2枚ほど貫通します。(うそ)

照美さんは油絵の名人で
冗談抜きで本当に絵がお上手なのですが、

アシスタントの
枦山 なんとか美さん(←※わざと)たらもう。
地獄絵図のような似顔絵を描きます。
子供ならトラウマになるでしょう。

そこで僕も書いていただきました。
それが上の写真です。

案外似ていることに
傷つきました・・・。

指名手配に使えそうですが
もし本当に使われたら
すぐ自首するでしょう。

「俺はそんな顔じゃねえっ!」て。

参考HP↓
http://www.joqr.co.jp/blog/soko2/

月明かりの遊園地

2007-05-03 | Weblog
昨夜の月は淡く
由比ガ浜の波にほろほろと
光の道を泳がせていた。

今夜、浜松町で見上げた月は
何かの間違いのように真っ赤だった。

その後、横浜に着いて
缶コーヒー片手に
地下鉄の階段を上がったら
金メダルみたいな月だった。

さて。
きょう、TVのニュース番組で
各局が中国の
「ディズニーランドにそっくりだけど
どこかおかしい遊園地」を伝えていた。

青いタクアンみたいな頭のドラえもん、
・・・雑なキティ、
ミッキーじゃない「耳の大きなネコ」

「握手してください」と頼む子供に
優しく丁寧に、
「わざわざ頭を脱いで」握手する、
「なんかバックスバニーみたいなやつ」には爆笑した。
まあ、
「知的所有権」をあからさまに侵害しておいて
悪びれる様子もないわけだから
全然笑い事じゃないんだけど。

ぷっ。

でも懐かしい気持ちにもなった。
何も知らない現地のお客さんの楽しそうなこと!
昔の日本人みたい。
あの笑顔は本物のディズニーにも負けないかも。

・・・実は
ああいう遊園地は日本にもあった。

僕の家の近くには、かつて
「横浜ドリームランド」という遊園地があった。

僕の生まれる2年前
海外旅行さえ珍しく、
まさか日本にあのディズニーができるなんて
夢にも思わなかったころ、
ここは
日本人が憧れた「ディズニーランド」を目指して作られた。

だから
「アフリカの旅」(のちに「ジャングル探検隊」に改称)
「大海賊」など、今から思えば
「あ!」というアトラクションが!(元ネタわかる?)
パレードもあったんだよ。

まさに日本のディズニーランド
・・・イジワルに言えば
「ディズニーランドのかわり」だったが
ドリームランドはドリームランドで
変則的な動きの観覧車や
回転コースターなどオリジナル遊具も人気を集めた。

しかし本物のディズニーランドが日本にでき
横浜には「みなとみらい」もできて
2002年に業績悪化のために閉園した。

閉園を惜しんで久しぶりに僕も足を運んだら
たくさんの人でにぎわっていた。
パレードのマーチングバンドのお姉さんは泣いていた。
ハマの人々の心に残る遊園地だったのだ。

回転する遊具にあわせて歌でお客さんを盛り上げる
「ヘイヘイおじさん」も、まだ大人気だった。
あんなおじさんはディズニーにもいないだろ。

あの夜も
月がスポットライトみたいに
観覧車を見下ろしてた。


覚えてる人いるかなあ、
テレビでやってたCMでは
緑のかわいいイモ虫形の
ウォータースライダーみたいなのが
水しぶきをあげ、
たくさんの笑顔と歓声を乗せて
疾走していったんだ。

そして
「夏もやっぱり!
横浜、ドリームランドっ!」って

楽しく元気なナレーションが入る!



あの声、





僕でした。