石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

僕の好きな「せんせい」

2007-01-27 | Weblog
また、「せんせい」と船に乗った。

東京湾は、珍しく穏やかで
山手線並みの頻度で
旅客機が着陸していく。

2年も前に医療関係の取材で知り合った「せんせい」は
もうじき75歳になる。

「おれはな、医者を引退したら漁師になるんだ」
「またまたあ」

事故現場で生と死を見つめてきた「せんせい」は
沖を見て言う。

「医者の世界は合法的詐欺ばっかりだぜ」

そう言いながら
船の上で、小鍋に醤油をたたえ、
ザラメを袋から直接入れた。

「せんせい」は料理が好きだが、時々失敗する。
前に「俺が釣ってきた鰯で、つみれ汁作ってやる」
と言ったのはいいが、小麦粉と片栗粉を間違えて
ぐずぐずの「わからん汁」になっちまった。
(美味だけど)
薬でそれをやらんでくれよ。

「俺はもう疲れたよ。
3000万円のレントゲンなんか使わず、
250万円のレントゲンを使ってきたからな。
何が違うと思う?医者が放射線を浴びる量さ、
おかげでタマがふにゃふにゃになっちまった」

「せんせい」は時々品が無い。
でも絶対に嘘は言わない。
患者から金儲けをしようとしない。

「せんせい」は「穴子」をどっさり鍋に入れた。
「食うだろ?ラーメン」
2つの「カップめん」にお湯を注ぎ、
スープや「かやく」まで入れてくれた。

「穴子食えよ。もっと食えよ」
「沢山食ったよ、せんせいの分がなくなっちゃうよ?」
「いいって言ってんだろ、
おめえが全部食っていいんだよ」
怒ったように言ったが、楽しそうだ。

「おらあ、糖尿病だからよ。いいんだよ」
・・・医者のくせにタバコもそんなに吸って!

「そうだ、ラーメンに穴子入れてみろよ。きっとうめえぞ」
「うめえ!」
だろ?そうだろ?と破顔一笑!

・・・なあ「せんせい」
なんでそんなに愚痴りながらも
危険な事故現場に飛び出していくんだ?
きょうも道具を手入れしてんじゃねえか。

「なりたくても医者になれなかったやつあ、
たくさんいるんだ。俺は運よくなれた」
「そこに死にそうな人がいて
もし俺が逃げたらな?

俺が死んでも死にきれねえやな」

桟橋に「せんせい」立ち上がる。

「バス停までの道わかるだろ?
それとも病院によるか?」
「いいや、船から、そのまま帰るわ」

せんせい、
「とても医者の手じゃないやな」という
大きな手を振って見送ってくれた。



あんな美味いカップラーメン
ほかでは食えないぜ。

ありがとう。





※「せんせい」の声は
2月7日(水)朝7:20(予定)
文化放送「特集プラス」で聞けます。

氷室京介さん、男だぜ!

2007-01-23 | Weblog
僕はBOφWY世代で、
DJになってからも
お皿をまわす(古!)ことが多かった。
僕のいたFM局があるところの出身だしね。

でも
「氷室京介さんがポッドキャストを始めた」
・・・と聴いたときには
「ファンをターゲットにしたプロモだろうな」と、
ノーチェックだった。

しかし、ふと思い立って実際に聴いてみると・・・

なんと、音楽の話もせず
「いじめ」をテーマにリスナーと氷室さんが
熱く語り合っている!?

しかも更新が予想外に早い!
(最初、義家先生のポッドキャストと間違えたかと思った)

でね?ちゃんと聴いてみると、
まず最初のほうの回で
「いじめた経験」を素直に話した上で
実際にいじめにあったという話に
「自分が変われよ!」みたいなことを言っている。

・・・しかし、これは
いじめや、それに起因する「うつ」のことを
少しでも知っていれば出ないはずの発言だ。

氷室さんが悪いと言っているのではない。
世間の無理解から「よく語られるいいかた」ではある。

はらはらしながら聴いていると
案の上、次回までの間に抗議を含め多くのメールが届く。
そこには「いじめ経験者」や「カウンセラー」からの
丁寧な「説明」も書かれていたようだ。

いじめの現実や「病気になってしまうケース」に
ショックを受けた氷室さんは
メッセージをくれた「いじめられた子」のことを思い
急遽「番外編」の番組をUPした!

どうやらこの番組、
LAの自宅で、スポンサーもなしに
自分でやっているようなのだ、


「普通のラジオと違い
人を介さず、リアルタイムで届く書き込みを
そのまま読んでいる。
君に伝えたいことがあれば
一週間なんて待つ必要ないと思う」とし、

そして最新の番組で
「僕が間違っていた」と誠実に認め
賛否両方のメールを
ほぼノーカットで紹介した。

「教えてくれてありがとう。
この番組は意味があった」と
心をこめてしゃべる氷室さんに
僕も素直に感動した。

「プロモだろ?」
・・・なんて変な思い込みをしていた僕のほうが
汚れていたよ。

やっぱ
ラジオって、僕らの知らない
その人の真の部分を引き出すね。

氷室さんの曲、
改めて聴いてみようと思う。

ブラックペッパーのたっぷり効いた誰かが作った「なべやきうどん」

2007-01-21 | Weblog
家にあったテープの山の中から、
FM当時の番組を録音したテープを
10本ぐらい探し出した。

しかし、もはやカセットは一般的に使われていないし、
音も劣化しそうなので、
いったんMDに保存することにした。

午後ワイドの「直球ラジオどまんなか!」
石森バージョンの最終回
(この番組の、平常バーョンの同録テープ探してます・・・・)
しかないと思っていたが

「ビートルズスペシャル、まっしゅるーむがヤアヤアヤア!」
(DJありドラマあり、取材ありの
ビートルズ・バラエティが数時間)

「矢沢永吉2時間インタビュー」(濃い!)

「ドン・グルーシン(ジャズピアニスト)の公開放送」(おされ!)

「崎谷健次郎さんと音楽や恋をディープに語っている編集前テープ」
「GTトリッパー」(まじめ!)
「車をドリフトさせながらの公開放送」(暴れん坊!)etc.etc・・・

うーん、いろいろ思うところあるわ。
へったくそだなあ、ってのもあれば
このしゃべり方は、この頃のほうがうまいなとか。

内容忘れているから、
自分の言ってることに爆笑したり
・・・ばかである。

その中で今、ダビングしながら聴いているのは
「根本要のあたためてください」

要さんと石森の公開番組だが、
2人とも、ばかなことばっか言っている。(涙笑)
前にもちょっと書いたが、

特にスポンサーであるコンビニからの生CMでは、
要さん、新製品のなべやきうどんを
「猫舌だから熱くて食べられねえ」とか
わがままいうのは序の口で

「新発売のぷりんまん」に
「うえええ?」と悲鳴をあげ
「ぷりんは冷やして食え!」とか言ったくせに
自らお客さんのところに行って(!)
ちぎって食べさせ
(たぶん自分で食べたくないから)

「ぷりんは、やっぱり冷たいほうがいいです」と言った女性に
「ああ人選を間違えたっ!」だって。

やりたいほうだいである。

「石森くんも食え」
「(もぐもぐ)」
「どうだ?」
「おーいしー」
「だから、局アナはきらいだーっ(泣)」

値段を聞かれ
「50円ですけど」と答えたスポンサーに

「ああ、50円ならいいや」

・・・としらっと答える要さん。

僕が「事故報告書」?いや
「始末書」ってどう書くんだっけ?と考えていたとき
現場にいたスポンサーの皆さんは


爆笑していた。(僕も、笑っているわ)
・・・ほっ。

でも、ふざけているばかりの番組じゃない。
熱く音楽を語り、スタレビを語った。

キーボードの三谷さんが抜けたあとの4人時代を経て
新たにキーボードに光田健一さんを迎えたことについて

石森が「また5人に戻りますね」と言うと
(もともと光田さんも石森と知り合い)

「いや、戻るって感じ・・・じゃないんだ。

光田は三谷(前のキーボードさん)の「かわり」じゃない。
三谷は三谷のキーボードだし、光田は光田のキーボードなんだ。

新しく光田のキーボードがはいることで
新しいスターダストレビューになるんだ。

テクニカルなところでは
文句なしに入ってもらいたかったが
お互いやりたいことに違いがあるかもしれないと
3年間の「恋愛期間」を置いていた。

これからはお互い気遣いながら
でも遠慮なくやってくさ。
いい相棒ができたと思うよ。」と
熱く語っている。

ちょっと
「ぷりん」の残る口で。

今また別の道を歩いている光田さんとスタレビだけれど
お互いのやりかたを尊重した結果だったのだろう。



実は当日、
ちょっとのどを痛めていらっしゃったようだが
リスナーやお客さんのために
名曲「ジャスミン」をアコギで歌ってくださった。

要さんは
スタレビにビッグヒットは無い、と謙遜する。
(そんなことないだろと思うが)
そのかわり
「ファンそれぞれにナンバー1の曲がある」という。

こんな幸せなことって無いじゃないか。
つまり、そういうファンには
ヒットチャートとは無関係に
その曲に「出会う機会」があったんだ。


僕らは少年時代、ラジオから
まだ知らない世界を
ちょっと背伸びしながら教えてもらった。

ヘビーローテーションで楽曲をまわし
「流行」を作っていくのも悪くないが

DJは
音楽にせよ、アーティストにせよ
「こんなの知ってるかい?本物ってあるんだぜ?」と

「季節」や、「世の中」や、
「リスナーが今、聴いている状況」を意識しながら
本当によいと信じたものを紹介し「出会い」を提供するのが
本来の姿だと思う。

・・・じゃなきゃ、
DJなんて誰でもいいことに
なっちゃうべ?

また、
熱っつい番組やりたいなあ。






○○が、らいばる。

2007-01-12 | Weblog
頂いた年賀状を整理しているうちに心を動かされた。

まず、リスナーのみなさん。

僕の出ている番組ではメッセージを募集していないが
それを承知で励ましてくださるかたがただ。
皆、自分の生活を頑張るなかで聞いてくださり
何かを受け止めてくださる。

リスナー以外では・・・

「奇人」として「恐れられて」いるが
本当は礼儀正しくストイックな
総合格闘技の選手からも届いた。
このかたは忌中はがきを含め、
決して年賀状を欠かさない。

少年による暴力事件で片方の光を失いながら、
ほかの犯罪被害者を支援し生き抜こうとしている男性。
文化放送の「事件ファイル」の取材で出会い、
逆に励まされている。長いおつきあいだ。

それから・・・

子育てを終えたお母さん方に声をかけて
孤独に育児をする新米ママさんを
助ける会社をたちあげた主婦がいる。

時を経て、今や
息子さんを亡くした痛みに耐え、
実家に帰れない若い夫婦が「帰れる家」を
つくろうとしている保育園長だ。

そして、文化放送でチャンスをくださり
いつも励ましてくださるかたがた。

きのうも、現場で
「くそっ!もっと、伝わりやすくできたんじゃないのか!」
・・・って思ったところで
スタジオや報道部から「いいレポートだった」と
言っていただいた。
せめてその評価に見合う自分になりたい。
叱られるより、心が引き締まった。

いろいろ困っても、
助け舟を出してくださるかたもいる。


前にいたFM局の先輩や後輩たちからも届いた。
わがまま言って出てきたのになぜこんなに優しいんだろう?
僕がお世話になった指導役のアナウンサーは
今、営業の一線でがんばっていらっしゃる。ただただ頭が下がる。
僕にとっては今でも尊敬できる先輩だ。

・・・とても書ききれないが尊敬できるかたがたばかり。

なぜなら、皆、自分の人生において、どんなに傷ついても
どんなに不本意な場所にいても
ファイティングポーズの手を下ろさないからだ。

僕はどうだ?甘ったれていないか?
これでいいや、なんて一度でも思っていないか?
皆がこんなに励ましてくれるだけの価値はあるか?

僕は今、これだけのチャンスをもらって幸せだと思う。
でも、まだ自分の番組も持っていないし
本来の自分であるバラエティや音楽の分野も
あきらめてはいない。
こいつは「この分野向きだから」と
本当は決め付けられたくない。
そのためには、自分を磨かなきゃと思う。
(事務所的にもよろぴくね)

昔ならどんなにファイティングポーズを決めても
相手がリングに上ってきちゃくれなかった。
でも、今なら戦える。


以前、矢沢永吉さんに
「やざわさん、ライバルっているんですか?」と聞いたら
にやっと笑って、

「きのうまでの俺」

・・・とお答えになった。
それ、もらった!
「僕はさっきまでの僕」にします。

そこんとこ
よろぴく。

While My Guitar Gently Weeps

2007-01-06 | Weblog
1963年11月4日、
ロンドンのプリンス・オブ・ウェールズ・シアター,
貴族と一般の人が同席したエリザベス女王主催のコンサート。

ここでジョン・レノンが、言った有名な言葉知ってる?

「安い席の人は手拍子をしてください、
高い席の人は宝石をジャラジャラならしてくーださーい!」
そしてTWIST AND SHOUTへ。

労働者階級出身の彼なりの皮肉だが
本当にジャラジャラ・・・・
高貴なかたには皮肉は通じなかったようだ。


・・・それから40年近くたった
2002年6月3日におこなわれた
エリザベス女王の戴冠50周年を祝うコンサート。

そのときのビデオを、
一緒にクィーンのミュージカルを見に行ったことをきっかけに
ある放送局のかたにお借りすることができた。

「ミュージカルの出演者が、
クイーンのオリジナルメンバーのブライアン・メイと
ロジャーテイラーと共演しているから貸してあげるよ」

「へへえ、じゃあ見てみます」

・・・・ということだったのだが。
今見たら
これ、すごいビデオだった。

ブライアン・メイがバッキンガム宮殿の屋上で、
いきなり「God save the Queen」を弾き始める。
そのあとはクイーンのヒット曲オンパレード!

でも、かえって
フレディ・マーキュリーの不在が強調されたようで
少しさびしくなった。

問題はそのあとだ。

そのあとに出てきたのは
アメリカ代表の「ブライアン・ウィルソン」
・・・ビーチボーイズの元リーダー。

ただ、その明るいサウンドとはうらはらに
最初、ネクタイをしめたスーツ姿のおじいさんが、
キーボードの前に、よい姿勢での座ったまま
サーフ・ナンバーを歌う姿に以前の姿との違いを感じた。

「?」って思っていたが、
彼が来日公演をしたころ、
自分の番組であるエピソードを紹介したことを思い出した。

~彼は1966年ごろから病気になり、
自宅に引き篭って酒やドラッグ・過食におぼれる毎日だった。
ミュージックシーンから消えたのだ。

しかし、まわりの助けもあって80年代後半に復帰した~

ビデオに収録されたライブは2002年、
ワールドツアーのころだから、
久々に彼の姿を見たファンには、
感激もひとしおだったろう。

途中、エリック・クラプトンが呼び込まれ、
「Good Vibrations」を一緒に歌っているとき、
初めて笑顔がこぼれ、胸に迫るものがあった。


とまあ、このように
クラプトンをはじめ、出演者は夢のような顔ぶれ。
エルトンジョン、ロッドスチュワート、ジョーコッカー・・・
すげえなあ、日本でこんなにあつまるイベントはないなあ、


そして・・・「ポールマッカートニー」
「BLACK BIRD」をアコギで歌った後
突如、ビートルズのプロデューサーだった
ジョージマーティンがMCとしてステージ脇に現れる。

そしてポールに向かって、はにかんだように




「よう、どっかで見た顔だな」


そのあと少し微笑んで
「亡くなったビートルズのギタリスト、
ジョージ・ハリスンの歌を、
ジョージの親友2人が歌います」と紹介する。

すると、
ポールがピアノの前に座り、
クラプトンがギターを持ってマイクの前に立った。

・・・ビートルズのWhile My Guitar Gently Weepsという
ジョージ・ハリスンが作曲した名曲は
エリック・クラプトンがリードギターをつとめている。

2人はギタリスト同士尊敬しあう、親友中の親友だが
クラプトンはジョージの妻パティに思いを寄せるようになり
なんとその後、結局、パティと結婚してしまう。

・・・それでも友情は壊れなかった。

クラプトンの名曲「いとしのレイラ」は
まだジョージの妻だったパティに捧げられたものだ。

スポットライトの中で
2人の「親友」は何を演奏するのだろう?

なんつって、もう、わかっていた。



高まる鼓動のようなリズムで、
ポールのピアノのイントロが始まった。

そしてギターソロ・・・
1968年と同じ、クラプトンの手によって紡ぎだされていく。
もしかしたらホワイトアルバム以来の競演かもしれない
クラプトンの指の腹のやわらかさまで伝わる
泣きのギターだ。

While My Guitar Gently Weeps・・・
僕のギターが優しくに泣いてる間に・・・

「全てが変わってしまった。
僕らは間違いから
多くを知ることができるはずなのに・・・
僕のギターは 優しく泣いて、調べをたどっていく」(要訳)

鳥肌が立った・・・
もうジョンも、ジョージもいない。
そして、画面を見て気がついた。
僕はポールの来日コンサートには
すべて行っているのだが、
ポールが弾いているピアノは、
今は亡き、ポールの奥さんのリンダさんが
ステージで弾いていたものだ。

4人が来日したときに泊まったホテルも
去年、幕を下ろした。

全ては変わっていく。

それでも音楽は面影を運んでくる。
・・・なんて悲しく、暖かいギターだろう。


演奏が終わったあと
クラプトンが
見たことないような笑顔を見せた。
若いころには見せなかった表情だ。
あの笑顔には、どんな想いがあったのかな?


女王が登場したところで、
「ヘイジュード」

出演者全員が声を合わせる。
ヘビメタ界のゴッドファーザー
オジー・オズボーン(太りすぎ)が
一生懸命歌っているのが、なんかかわいらしい。

そして会場全体で「All You Need Is Love」
ブアイアン・メイもギターを演奏している。
どう弾いたって、クイーンの音だ(笑)
まさに夢の競演!

なんかすごいもの見た。
よかった、
同じ時代に生きていて。

バードランドに帰りたい④

2007-01-05 | Weblog
正月2日。
文化放送の泊まり勤務のため
浜松町で降りたところで携帯電話が鳴った。
・・・見覚えのない番号?
なにか事件発生か?!と思って出てみると
「高校時代の先輩の原田です」

おおっ!

・・・そうなのだ。
この日記を以前からごらんのかたはご存知のように
3月の原田先輩の結婚式をきっかけに
高校のときに先輩がたと組んでいたバンドを
20数年ぶりに再結成しよう・・・という話があるのだ。

高校時代のそのバンドだが、
ウェザーリポート」という、もうなんていうか
伝説のフュージョンバンドの曲を中心にやっており
オーケストラで小学生からコントラバスをやっていた僕は
カリスマで、天才で、ちょっとアレな
「ジャコ=パストリアス」というベーシストの
コピーを強いられていたのだ。
・・・筆舌につくしがたいほど難しいのだよ。
ちょっと聴いてみ?↓

★その中の一曲がこれじゃ!★


市民会館などで
メンバーを変えつつ3年ほど演奏したが
我ながら、よくやったなあと思う。

原田先輩のメールでの呼びかけを期に
20年以上ぶりに、家の奥から
フェンダーのフレットレス・ジャズベースを発掘し、
弦を買ってきて磨き上げるも
以来、悪戦苦闘の毎日が始まったのである。
(ちなみに上の写真のベースギターである)

ここ最近、先輩から連絡がなかったのだが
・・・まだ「生きて」いたのだ!この話!

しかし、問題は「練習ができるかどうか?」なのだ。

今回集まるのはオリジナルメンバー。
ピアノ&キーボードの原田先輩は
こちらの某有名出版社勤務・埼玉在住なので
横浜在住の僕としては、お会いしやすいが、
ドラムの田中先輩は今や京都の国立大の教授。
遠い上に、超多忙。
サックスの、りょーすけ先輩も
超有名な楽器メーカーにお勤めで超多忙、
かつ某地方にいらっしゃる。

これまでメールのやりとりだけで
「各自練習しとけや」ということになっていたのだが
田中先輩と、りょーすけ先輩のメールを拝見する限り
実現はおろか、集まることさえ
難しそうだなあ
・・・・という雰囲気だったのだ。

ところが、電話の原田先輩はハイテンションで
「ちょっと電話かわるぞ」と楽しそうだ。

「電話かわるって誰に?」
「田中です、元気?」
「はあ!?なぜそこに!?」
「ちょっとまってて」
「はあ・・」
「りょーすけです。練習やってんのか?」
「うひゃあ、りょーすけさんまで!?」

そう。皆、正月に里帰りし
僕以外のメンバーが一緒に飲んでいるという。
そしてなんと、
その場で急転直下!練習日と練習場所が決まった!
練習は、なんと一日のみ!
だいじょうぶなのか!?


ところで
僕は同窓会に出たことが
(卒業してまもなくの)1回しか無い。

「まだ一人前でもないのに、
夢にもまだたどり着いていないのに
振り返ってなんかいられるか!」と意地をはってきた。

だから今回、
昔の仲間に会うということは
自分にかけた呪いのような「壁」に
自ら穴をあけることだ。
自分の中で
何かが変わる気がする。

それにしても
本当に「まともな演奏ができるのか」!?

また新たな動きがあり次第
お伝えするっす。



黒光りする相棒に捧ぐ。

2007-01-05 | Weblog
マイクが壊れた。
記者会見などで登場する、あの黒字に白く社名が書かれたマイクだ。

きのうの取材で、突然
スターどっきり㊙報告における
寝起きどっきりの「おはよーございます」のように
何をしゃべっっても「ささやき声」として録音されてしまう。
いやーんである。
(本番では中継車に積んであった別のマイクを使った)

このマイクとのつきあいは、かれこれ8年にもなる。
出会いは小西克哉さんの番組のレポーターになったころだ。
これは「木曜事件ファイル」というコーナーで
事件や、注目の出来事の現場から、
早朝、当事者をその場に呼ぶなどして
なんと「生」で伝えていた。
(ちなみに一回目は
「雨」(!)降る中での東海村の原発事故レポ。
もっとも遠いのは京都で
幼い子供が少年に殺され、その少年が自殺した現場だった。)
事前に収録した声を使う場合もあったので
マイクはこのころからフル稼働していたのだ。

それから報道部に泊まりこむ仕事や
ほかの番組もあったので、24時間持ち歩いている。
北朝鮮の船が出国するまで「ほぼ野宿」の新潟港で、
潮風の中、活躍したり
わーっと報道陣が殺到する現場で
ガツンガツン、カメラがあたる中で差し出したりと
思えば可哀想なぐらい酷使されてきた。

テレビではわからないが
よく見ると満身創痍である。

黒光りするコルトのようなそのマイクは
戦場で戦った戦友のようなものだから
このまま廃棄になったら悲しいなあとへこんでいた。
さまざまなニュースや人に出会ってきたマイクだが、
何より「僕の歴史」にもつきあってくれた相棒なのだ。

現場に同行してくださった技術のコマエさんに相談したら、
「一応、技術部に持っていてみたら?」とおっしゃるので
一縷の望みを持ちつつ技術部に向かった。
(普段、技術部にいかないから何階に入ってるのかわからず、
迷子の子猫ちゃんである。にゃんにゃんにゃにゃーん)

技術部の扉を開くと、仏様のようなお顔の
ワナタベさんがいらして早速見ていただいたが
何をどう説明していいかわからない。
すると、たまたまいらした
コマエさんが説明してくださったにゃん。

手馴れたもので、2人でマイクのふたをあけ
(開くんだ、これ!?)
中を見たら
「ああ、線が切れてますね。
しかもマイクの断面がおしつぶされたように
歪んでいます」
「先生(誰?)治りますでしょうか?」
するとにっこり笑って
「治りますよ」

ああ、ここにドクターコトーがいらした。
(ドラマ見たことないけど)
なむなむー。

あらゆる番組の本番で、ミキサー卓を操作し、
過酷な現場で機材をセッティングし
マスターと呼ばれる場所で
番組が送出されるための
一切の仕事をするのが技術の仕事だが、
こうした機材も直してしまうのだ。

技術さんって、つっごい。
前にいた放送局でも、現場の技術さんが僕を
ラジオマンに育ててくれたといっても過言ではない。
今でも個人的におつきあいがあるが
それは互いの「信頼」が結びつけたものにほかならない。
DJの中には自分だけで番組の人気を支えていると
思っている人もいて、
それは「逆QUE」(DJ本人がスタジオからサブに出す合図)の
出し方に現れていたりするのだが、
BIGな人ほど、スタッフを大事にするものだ。
CUEは合図であって、命令ではない。

今年も自動車協議のA級ライセンスを更新したが
ラジオ番組は、ちょっとカーレースに似ている。
高額な資金がいるので
スポンサーも営業担当者も勝利に賭ける。
プロフェッショナルな開発者が
細部にいたるまでマシンを作り上げる。
現場では監督(ディレクター、PD)のもと
メカニック(技術さん)がいて
レースの行く末と、ドライバー(DJ)の命までも預かっている。
絶対的な信頼のもとアクセルを踏み込めるのは
優秀なメカニックがいるからこそなのだ。
(それができなければドライバーは挿げ替えられるか、死んでしまう)


話がそれたが、そーゆーわけで
マイクさんは入院である。
もっと新しいスペアをお借りしているのだが


戻ってきたら
またあのマイクを使うつもりだ。


「夢」はどこだ!?

2007-01-05 | Weblog
メジャーへいった松坂は
「夢」という言葉は好きではないと語った。
「叶わないのが夢だから・・・」として
「目標」
という言葉に置き換えた。

渋谷でおきた殺人事件の動機は
「あなたは夢がない」といわれたことだったという。

どちらも間違いだと思う。

夢は 何かを一生懸命やり続けたり
大切なものができたときに
あとからついてくることが多い。
更には、夢の形は一定ではなく、刻々と姿を変えていく。
ただし、時にそれを
「夢を失くした」と勘違いしてしまうことがある。
野球選手の夢が叶わず野球漫画家として成功したあの人のように
ドラマーでは大成しなかったが人気DJになったあの人のように
何かに取り組んでいるうちに
自分の使命や、新たなやりがいを見つけたりする。
この点が「目標」とは似て非なる所以である。

僕らタレントやフリーの出演者は
それこそ夢にすがるように生きているが
仲間は何人もがやめていった。

家族をもったがために、子供がうまれたがために
「夢を諦めた」と自嘲する友がいる。
でも「家族のために生きる」というのも立派な夢だ。
諦めたなんて言い方は、
家族の「せい」にしているようですっきりしない。
どうか胸を張ってほしい。

夢はその姿を変えても、
自分のもとから去っていったわけではない。
これを「夢質量保存の法則」という。
学校のテストにはでない。
(自分で考えたからだよーん)
しかも更にこの先、夢はかたちを変え、
場合によっちゃあ、またもとの姿になったり
いつのまにか叶う寸前の所に立っているかもしれない。

・・・えー。以上のことからですねえ、
おわかりになりまするように
10代20代で
自分の夢なんか 見定めることなんて
そう簡単にはできません。

なのに「若者は夢をみなきゃいけない」なんて強迫観念を、
えらそーに大人やメディアは押し付けてくる。

そりゃあ夢は持ったほうがいいが、その前に
「現実の世界に生きている実感」や
「今、自分がこういう行動をしたら
誰が傷ついて、誰が喜ぶのか」ということを
きちんと感じられるようになったほうがいい。

あとなあ、自分にも言い聞かせていることだけど
夢には甘美な響きがあるが、見るなら「覚悟」がいる。
見るのは簡単だが、「叶う」と信じ続けることのほうがやっかいだ。
実は夢を持った時点で、9割がた叶っているんじゃないかと思う。
だから自分を疑っている暇があったら、
一歩でも踏み出すことだと思う。

あと、こんなこと書いてる暇があったら
さっさと風呂に入ることだと思う。


お風呂は左腕から洗います。
おちまい。

東京タワー~ボクとお地蔵さんと時々・・・

2007-01-02 | Weblog
健康のために浜松町近辺を散歩をすることに。

さて、どこにいこう。
振り返れば「東京タワー」
・・・ああ、中学生の頃
オーケストラの全国大会に出場が決まり、
上京したときに行ったなあ・・・と思い、
歩いてみることに。
(東京や横浜に長く住んでいても
プライベートでは
なかなかいかないものなのだよ。
数年前に文化放送のレポートで
初日の出を見に行ったり
外階段を駆け上がったりしましたが・・・)

増上寺の境内の脇を、歩いていくと
境内に、息を呑むほど沢山のお地蔵さんたち。
よく見ると、絵本にでてくるような可愛いお顔で
それぞれが赤い風車を手にしている。

幼くして亡くなられたお子さんか、
生まれてこられなかった赤ちゃんなのかな?と思ったが
そうではなく、「千躰子育地蔵尊」といって
こどもの無事な成長を祈って奉納されたものなのだそうだ。

最近、親による虐待や
家庭内での悲惨な事件を取材してきたが
お地蔵さんの手でくるくる回る「親子愛」を見て
「生まれたときにはみんないっしょなのにな」と
複雑な気持ちにもなったのさ。

さて、
東京タワーに着き、2階にあがる。
おしゃれなカフェや、マックや
お菓子の売り場があり、さすがに
昔見た「土産売り場」とは随分様子が違うなあ・・・
と思ったら、


奥にありました。
まるで隔離されるように
カオスな「みやげ屋さん」エリアが。
スマップの歌にもある「努力」や「根性」の盾。

でも・・・今見ると
なんと200円~400円台なのね。
きっと修学旅行の子供のお財布に合わせたんだろうな。
まあ、こういう「文字」を見てわきあがる「根性」ってのも
所詮アレだけど。
「譲れないもの」や「守るべきもの」を持ったときに
自然についてくるのが
「根性」であり「努力」であり「愛情」なのだと、
これを買った修学旅行生もいつか気付くのかなあ。

おお!中学生時代に買った
東京タワーのミニチュアもありました。
こちらも数百円。安っ!安めぐみ!(?)

懐かしいなあ・・・と思いつつよく見ると
それぞれ若干形が違う。
さきっちょの展望台の上に
円筒形の部分があるものとないものがある。

実は、本物を毎日見ながら
「あんなふうになってたっけなあ?」と思っていたのだが
あの「筒」は「デジタル放送用のアンテナ」であり
後からついたもの。

筒がついているミニチュアは新しく
ついてないのは昔ながらのモノでした。
なんかついてないほうに希少価値を感じる。

下に下りたらマスコットのゆるきゃら
「のっぽん」がお出迎え。
・・・・なかなか楽しい(?)冒険でした。

21世紀になっても受け継がれる、このシュールぶり。
案外、このカオス感が東京の素顔なのかもしれましぇん。


横浜から、あけましておめでとうございます。

2007-01-01 | Weblog
あけましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。
去年は
たーくさんの大切な出会いがあり、
たーくさんの新たな経験をさせて頂き、
淋しい別れが、ちょっとありました。

僕は10代の頃、
大人になり、自立するにしたがって
人は孤独になるのだと思っていました。

・・・でも、それは大きな間違い。

なんとか自分の足で踏み出そうとするたびに
いかに多くの人達が
自分を支えてくださるのかを
知る事ができました。

もう、疎遠になってしまったと思っていた人達とも
実はずっとつながっていた・・・という出来事も続き、
「一人で生きてきた」なんて思い上がってはいけないと
つくづく思い知らされました。

なんて幸せなことだろう。

今年も、
嬉しい出来事にはいちいち喜び、
悲しいことや悔しいことには
いちいちクヨクヨしながら(笑)
悔いなく生きようと思います。

そして、初心を忘れず
「もう、楽しいからこれでいいや」なんて
間違っても思わずに
DJとしての夢に
一歩でも近づいていけたらと思います。


皆様にも
たくさんの幸せが訪れますように。