文化放送が
55年間過ごした四谷から浜松町に移転して
一週間がたとうとしています。
あの社屋と別れるのは
悲しかったけど
もうひとつ
別れがありました。
そうじのおばちゃん、
OさんとKさん。
ずっとずっと励ましてくれてました。
いくらここが好きでも
いつ、この局を離れることになっても
おかしくないフリーの僕には
毎朝、本番前に
「聴いてるからね、本当に楽しみにしてるのよ」って
その言葉がどんなに励みになったか
わかりません。
自信がなくなりそうなときには
そっと、おばちゃんが
掃除している姿を見て
安心してから
スタジオに入ったことも。
中継に出る前なんて
今だからいうけど
缶コーヒーをそっと渡してくださって、
「がんばってね」って。
中継車の窓は
スモークガラスで、
中からは見えても
外からは車内は見えないのに
見えてるはず無いのに
社屋のかげから
まるで「ぐりとぐら」みたいに手を振ってくれて。
いかん。
書いていて
涙がでてきた。
ちゃんと
ありがとうを言いました。
ずっと
聴いていてくれるって。
文化放送のみなさん、
ずっと聴いていてくれるって。
55年間過ごした四谷から浜松町に移転して
一週間がたとうとしています。
あの社屋と別れるのは
悲しかったけど
もうひとつ
別れがありました。
そうじのおばちゃん、
OさんとKさん。
ずっとずっと励ましてくれてました。
いくらここが好きでも
いつ、この局を離れることになっても
おかしくないフリーの僕には
毎朝、本番前に
「聴いてるからね、本当に楽しみにしてるのよ」って
その言葉がどんなに励みになったか
わかりません。
自信がなくなりそうなときには
そっと、おばちゃんが
掃除している姿を見て
安心してから
スタジオに入ったことも。
中継に出る前なんて
今だからいうけど
缶コーヒーをそっと渡してくださって、
「がんばってね」って。
中継車の窓は
スモークガラスで、
中からは見えても
外からは車内は見えないのに
見えてるはず無いのに
社屋のかげから
まるで「ぐりとぐら」みたいに手を振ってくれて。
いかん。
書いていて
涙がでてきた。
ちゃんと
ありがとうを言いました。
ずっと
聴いていてくれるって。
文化放送のみなさん、
ずっと聴いていてくれるって。