『軍属ラジオ』の取材は半年前には難航していた。コロナ禍で高齢の取材対象には思うように会えず日米の公的施設も閉鎖、さらに緊急事態宣言で外での取材もままならなくなっていった。
そんなとき、連絡を取り合っていた米国立公文書館のキャロルさんからメールが届いた。
『ノリカズ、あなた方の探している音声資料には、コロナの影響で私たち職員でさえもアクセスできない状況にある。しかし、おそらくあなたが興味を持ちそうな音源があったから送るよ。1945年8月14日の降伏放送だ』
ありがたいと思ったが、少し落胆した。
『降伏放送』とはおそらく『玉音放送』のことだろう。
それならフルバージョンが文化放送にはある。ただ『玉音放送を探して』という特番(15日午前11時放送)も制作中だし、アメリカで保存されていたならバージョン違いの可能性もある。スタッフや上司とも相談して失礼ながら一応頂くことにした。本当はもっと欲しい音が他にもあった。
公文書館から届いた音声を再生すると、まず英語が流れた。ん?これは?
さらに多言語で同内容がながれ、日本語に切り替わる。
なにこれ‥‥。
文化放送「軍属ラジオ」(15日土夕6時)では極めて貴重な音源を放送する。
日本人が終戦を知ったのは、玉音放送を聴いた時だと思っているかたが多い。
しかし、実際にはその3時間ほど前に日本語で降伏の手続きが進んでいることや、間もなく玉音放送で語られることが日本語で放送されていた。
放送したのは『VOA』。プロパガンダ放送を行なってきた国営の国際放送Voice of Americaだ。
文化放送は、その実音を取材を通じてアメリカの国立公文書館から入手、15日の特番でオンエアする。
1945年8月10日、
日本は昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言の受諾を決定、8月14日の2度目の御聖断で、日本はポツダム宣言の受諾を最終決定する。
日本からポツダム宣言受諾の通告を受けたアメリカのトルーマン大統領は、日本時間の8月15日午前7時から日本の降伏を発表。
一方、Voice of America は英語、日本語や各国の言葉で事実関係を放送、昭和天皇が降伏メッセージを発する玉音放送を正午から放送すると伝えた。
我々文化放送の軍属ラジオ取材班は、この放送の実際の音声をフルで入手した。
残念ながら声の主であるアナウンサーが誰かは突き止められなかったが、日本にプロパガンダ放送を通じて国体を護持した上での無条件降伏を呼びかけたエリス-ザカライアス 大佐の声に酷似しているがどうだろう。
今回、取材するなかで、日本の防遏放送(ジャミング)が及ばなかったアメリカのプロパガンダ放送を耳にし、それによって終戦を知った日本人も一定数いたことがわかっており、それを裏付けた形だ。
日米のラジオを通じたプロパガンダ合戦では、
日本が虚偽の内容や、故郷に残してきた恋人が別の男に奪われるぞといった脅し、ノイズによる防遏放送をしたのに対し、アメリカは防遏放送は行わず、敗色濃厚の事実を直接国民に伝える手法をとった。その象徴的な放送とも言える。
一方、番組ではサイパンから日本に向けて放送されたプロパガンダ放送の台本を早稲田大学名誉教授の山本武利さんから貸与され、それをもとに当時の番組を再現する。
サイパンからの番組はブラックラジオと呼ばれる発信元を明らかにしないプロパガンダラジオで、日本の有志により作られたラジオ局から放送しているという架空の設定でオンエアされたものだ。
しかし実際にはアメリカが制作プロダクションまで立ち上げて制作していた。
さらにこれに、太平洋放送研究会理事の川崎隆章さんのアドバイスや、元共同通信の柿沼英晴さんの証言、冷戦時代に各国から実際に放送された音源を参考に再現した防遏放送=ジャミングをぶつける。
取材のきっかけは去年文化放送報道スポーツセンターが制作した『戦争はあった』の中で、吉田涙子記者が取材した隠蔽放送局だった。
埼玉県川口市にある文化放送の送信所の地下には、今もアメリカのプロパガンダ放送を防遏するための隠蔽放送局が埋まっている。
当時は日本放送協会の所有であり、当時の技術者の証言で存在が判明し、発掘調査も行われた。
番組ではNHK OBで発掘にも立ち会った柿沼久さんに現場までご同行いただき、詳細についてインタビューさせていただいた。
心に直接届くラジオは災害時には命を守り、
平時には孤独を癒す。
しかし、それだけに
心を直撃する兵器として使われた時代があった。
民間放送は戦後に生まれたが
ラジオ局で働くものとして
直視し、心に刻みたい。