石森則和のSEA SIDE RADIO

ラジオマンの
石森則和がお届けするブログです!

白昼夢

2007-07-30 | Weblog
先日、デスクから
「群馬(前橋)からレポートするように」指令が下った。
知事選を受けての取材だ。

先方の記者クラブに
記者会見に特別に参加させてくれるよう
頼もうと電話すると
幹事社はFMぐんま(以下FMG)だった。

僕が8年ほど前まで勤めていた会社である。

僕は大学を卒業し、FMGに入社したが、
そのときの新入社員は5人。
2人は営業で1人が総務。

そして僕がアナウンサーで、記者も兼ねていた。
もうひとりは「純粋な記者」として採用された。

記者としての採用はFMでは珍しく、
この会社でも「初」だった。
新人記者2人は
当然厳しく叩き上げられたのだ。


さて、
前橋には、今も両親が住むが
なかなか正月すら帰れない。

中継車が前橋インターを下り
懐かしい風景が流れていくのを見ていたら
不思議な気持ちになってきた。

会見には結局まにあわなかったが、その代わり
FMGの同期の記者と
飯を食いながら話をすることにした。

んん?
いつもの中継スタッフのHドライバー(60代)と
技術のオータニ君(20代)、僕と同期の記者が
昔よく来た店のテーブルで
一緒に飯を食っているぞ?

なんだ?なんだ?
この「くすぐったいような不思議な気持ち」は。

記者と別れて、午後からは街頭インタビュー。
街の中央にある商店街にいくことにした。
そこで「不思議な気持ち」の正体が見えてきた。

インタビューに答えてくれる人をアーケードで探していたら、
「あ、昔、よくここで街頭インタビューしたわ」
と思い出した。

すると、
なんだか「今がいつなのか」
あやふやになってきた。

群馬時代には
いくつかのワイド番組を持たせていただき
多くのリスナーの皆さんが慕ってくださった。

ただ
全国、世界を相手に挑戦し続けるミュージシャンやDJ
スポーツ選手などとの交流が広がる中、
現状に安住していては
成長できないという恐怖感や焦燥感にかられた。

より多くのリスナーに
全国に通用するプロの一人として
声を届けたかった。

しかし移籍に動くも慰留が激しく、
「こっちに移籍してこい」と言ってくださったキー局にも
TOP自らが上京して阻止するなど
思うように退社できなかった。

結局、フリーランスとしてでもいいから、と
「0」からのスタートを覚悟した。
自分の力で
ラジオに復帰するんだと歯をくいしばっていた。


でも不思議なもので、
そのうち様々な出会いに恵まれるようになる。

そして今は
信じられないぐらい優しい人たちに囲まれて
ここでこうして仕事が出来ている。

でもそれらは・・・。




・・・実は、ぜーんぶ夢だった!

なぜか、そんな風に急に思えてきて
アーケードの真ん中で慄然とした。

でも、 確かに
手に持っているマイクには
「文化放送」と書かれている。

夢じゃない。大丈夫だ。
変な汗が背中をつたう。

僕はその
黒い、いつものマイクを
「ぎゅうっ」と握り締めた。

この「相棒」とは何年間も
いろんな現場で戦ってきたんだ。
その年月は
あの会社で過ごした時間を超えようとしている。
あの頃の僕を知らないリスナーのかたも
沢山、応援してくださっている。

一瞬だけ時の流れで迷子になった自分を
「ばかだなあ」嘲笑し、
ひたいで、そのマイクの冷たい感触を確認した。


取材を終えて帰る前、
Hドライバーが
「せっかく来たから、
ちょっとだけ君の実家に寄ろうよ」という。

かくして、
僕の両親の住む家に。

・・・もちろん両親はびっくりしてた。

なんせ正月だってロクに帰ってないのに
いきなり銀色の中継車が横付けだ。

・・・なんだか
この家で「事件」があったようである。
田舎の近所の目は怖いぞ?

ま、ある意味事件だけど(笑)

母親は「暑かったでしょう?」と気が動転したのか
日本茶の湯飲みに氷をいれようとし
お茶請けにヨーグルトを持ってきた。

僕はHドライバーとオータニ君が
僕の両親と楽しげに話してる様子を
なんだか呆然と見ていた。

そして、こんな風に考えた。

僕はもう「FMG」には
どんな形であれ、戻る気は無かった。

あの街での生活のすべてを断絶し、
退路を断って振り向かないつもりだった。

僕の人生を流れる時間は
あそこで一旦途切れ、

そこから改めて
「今につながる時間」が始まったと信じた。


しかし、それは違ってた。

僕の人生の
様々なポイントで出会ってきた人たちが、

本当だったら
それぞれが顔を合わせることなど
なかったはずの人たちなのに

なぜか一緒に
ピザ(美味、食べ放題)とか頬張って
笑ってる。

ああ、物語は、
ずうっとつながってたんだ。

どうやら僕は、
自分で思っているほど
孤独な旅をしてきたわけじゃなかった。



FMGには結局、近寄らなかったんだ。
別にもう、わだかまりはないし
あそこには感謝すべき先輩方がいらっしゃる。

でも、



振り向くには
まだ
早すぎるぜ。

STAY GOLD!

2007-07-30 | Weblog
あーびっくりした。

パンクラスを背負い、
90年代の格闘技界に一時代を築いた格闘家
船木誠勝選手が、
先日(16日)HERO,S横浜大会のリングで
「現役復帰」を表明した。

それもだな。
2000年5月26日の初対戦で完敗し、
引退のきっかけとなった宿敵
ヒクソン・グレイシーとの再戦を熱望しているという。

しかも今年の大みそかのK-1「Dynamite!!」で
復活するとか。

船木選手の年齢は38歳。
うーむ、きついかなあ?

・・・と思われるかもしれないが
ヒクソンは47歳なのであった。
(すごいなこの人)

2000年5月
ヒクソンのチョークスリーパーに失神して負けた船木選手。

その後は俳優や後輩の指導にあたり
解説者としても活躍していた。

しかし、放送席から桜庭選手らの試合を見ていて
一念発起したようだ。
後輩を指導したのもきっかけだった。

あのままじゃ終われない・・・。

K-1を主催する谷川貞治代表は、
実際にヒクソンに再戦オファーしたことを明かし
「向こうもやる気だった」と証言している。
ネックはファイトマネーになるが・・・。

さて
「このままじゃ終われない」と船木が語る
「問題」の2000年の試合、

「コロシアム2000
船木誠勝VSヒクソン・グレイシー」のDVDでは
僕が「実況?」をやらせていただいている。

なぜ「?」がついているかというと
ヒクソン選手側に重点を置いた実況と
船木選手選手側に重点を置いた実況を
それぞれ解説者を変えておこなっているからだ。

だから実況というより
解説者とともに「分析」しているのに近い。
・・・好評発売中。(あ、宣伝だ)
DVDに興味ある君はここをクリック


なお、船木選手の復活が宣言されたこの大会では
初期のK-1で活躍し、
石森の友人でもある宮本正明選手の同門の
金泰泳選手(正道会館)が田村潔司選手と対戦し
延長の末、3-0の判定勝ちを収めている。

金泰泳選手も一旦は引退し、指導者となっていたが復活、
去年の「K-1ダイナマイト」でも
石澤常光選手を左ハイキックでKOしている。
・・・37歳なのにだ!

ええぞ、ええぞ!

年齢を言い訳にして
自分で「ゴールライン」を引くことはないのだ。

自分で、いつでも引いていいのは
「スタートライン」だけだぜ。


格闘技界の「おっちゃん」よ
どんどん復活して
夢を見せてけれ!

スターダストレビュー!ニューシングル「愛の歌」&ニューアルバム「31」

2007-07-22 | Weblog
はいはいはいはい。
みんな、いい子にしてたかなー?


いよいよ7月25日、スターダストレビューのニューシングル、
「愛の歌」がリリースになります。

そしてそして!
3年ぶりのオリジナルアルバム、
「31」(サーティーワン)も9月5日に
おん・せーる!

・・・てなわけで。

今回は、まず
この「31」について(ネタバレしない程度に)
一足先に語らせていただきやしょう。

あくまで僕の個人的な印象なので、
あしからず。

まず、アルバムの印象ですが
「25年に一度の大感謝祭
6時間ライブ~おやつ付~」を終えるなど
節目を乗り越えたスタレビが、

「さあ、またここから歩き始めるぜ」と
ぐーんと背伸びして、深呼吸し
はるかに続く道の行方をメンバー全員が見つめている感じ。

特に今回は要さんはじめ、
メンバーの皆さんが
「等身大の自分」を表現したナンバーが目立ちます。

「これ、ひょっとして本当の自分たちのことを
正直にさらけだして歌っちゃってない?」というようなね。

また、過去を慈しむような曲もあるけれど
全体として「未来」をモチーフにした曲が多い印象。

実はここしばらく、僕ちん
いろんなことで
めちゃめちゃ忙しかったんだけど
このアルバムを一足先に聴いて心が明るく
スーッとなりました。

もちろん、アレンジなどには
音楽ファンをもうならせる
スタレビならではの「仕掛け」も
いっぱいあって、「おほ!?」と思わせてくれます。
(細かい曲名、タイアップなどはもうちょっと待って)

まず、デビュー以来の持ち味である
JAZZYなナンバー!
柿沼さんの渋いベースにシビレマス。

一転、マービン・ゲイを彷彿させるナンバーは「爽やか!」
音の一粒一粒が輝いている!

そして○曲めに収録されているのが
25日にまもなくシングルとして発売される「愛の歌」
(アルバムはアルバムバージョン)

のっけから
要さんのボーカルに鳥肌が立ちました。

こんなに何年もスタレビの曲を聴いて、
生でも何度も歌っていただいているのにです。

メッセージはいたってシンプル。

「君がいるから嬉しくて・・・」
でもそれはとても大切なこと。

この曲では
大勢のコーラスが聴こえてきます。

それはまるでゴスペルのようですが、
「ゴスペル・クワイヤ」とは違う広がりを見せます。

実は、この大コーラス、
あの25周年記念の6時間ライブで
メンバーとともに1万5000人にのぼる観客が
声と「心」をあわせた歌声。
(僕も歌ってます)


でもね。
1万5000人もいるのに
迫力、とか大騒ぎって感じではないんです。
強いて言えば「共感」が
海のように広がっていく感じ。
(どのように使われているかは、聴いてのお楽しみ)

スターダストレビューを愛する人は
25年の歴史の中のどこかで、そのスタレビに出会い、
ともに成長してきました。

その間にはスタレビにも激震が走ったこともあっただろうし
ファンの人生にもいろんなことがあったはず。

月並みな言い方ですがこの「愛の歌」では
「全員がスターダストレビュー」

さあ、また
それぞれの人生を
自分なりに歩き始めようぜ、と
肩を叩かれているような、そんなアルバムです。

熱烈なスタレビファンでなくても
このアルバムを機会に
「本物の音楽って、こんなに楽しいんだ」
「音楽を楽しむことって、こういうことなんだ」と
思ってくれたらいいなあ。

シングルの「愛の歌」はTECI-122 税込み1200円
カップリングは「煙が身にしみる」(目にしみるではない・・・)
「愛の歌のボーカルレス(コーラスのみ)バージョン」
「愛の歌のライブでの収録の模様」が入ってますぜ。

ニューアルバムの「31」は
でも書いたけど9月5日リリース。
正座して待て!
どんだけ期待しても裏切られないぞ!


ロマンチックが止まらない!~WBC世界フライ級タイトルマッチ!内藤大助選手が新チャンピオンに!

2007-07-22 | Weblog
後楽園ホールについたのは
泊まり勤務あけの午後。

すでにリングの設営が終わっていた。

WBC世界フライ級タイトルマッチ!

17度防衛中のチャンピオン、
タイのポンサクレック選手に
内藤大助選手が3度目の挑戦をした。

1度目は「世界戦上、日本人最短記録」の
34秒KOで敗れ、苦しい日々を送るも、
不屈の闘志でその後は勝ち続ける。

ポンサクレックにチャレンジする2度目のチャンスを得る。

しかしこのときはバッティング(頭があたること)で
右目の上を切ってしまい「負傷判定」で敗れてしまった。

そして今回、「負けたら引退」と3度目に臨んだのだ。

ところが中継を予定していたTV局が降りたことから
資金難のため開催が危ぶまれる。
幸いなことにスポンサーや一般の方からの援助にくわえ
東京ローカルのMXTVが中継を買って出たのだ。
MXTVがボクシングの、
しかも世界タイトルマッチを放送するのは初。

その中継で控え室レポーター、リングサイドレポーター、
そして勝利者インタビュアーをやらせていただいた。
(楽しいけれど忙しい!)

・・・正直にいうと
かなり苦戦が予想された。

内藤選手本人も
「ボクシングセンスではかなわない」などと発言していたし
チャンピオンも
「相手が必死なのはわかっている」と一切手を抜かずに臨む。

野球の試合は数十秒で終わることは無いが
ボクシングではありうる。

だからいろんなケースを想定して番組は作られる。

12回最後までやって判定になるのか?
それ以前に決まるのか?
早く終わったら放送はどうするのか?
どちらが勝つのかでも
その後の放送の展開も細かく変わる。
例えばどちらの控え室でどうインタビューするのか、もだ。

僕は内藤選手に勝ってもらいたかった。
でも、どの資料を見ても新聞を開いても悲観的だ。
1社だけが前向きに書いてあったけど。
放送スタッフも前評判は頭には入れていた。

彼は屈強なコワモテではない。
おとめ座で
生まれかわったら女の子になりたくて
好きなテレビ番組は「田舎にとまろう」
(絶対ラストで泣いてる)
顔もたれ目で愛嬌がある。

根が優しいのだ。
中学のころは「いじめられっこ」だったという。
お金もとらたしヤキも入れられた。
そのころの自分は大嫌いで
人と同じでないと不安だったと。

でも、ボクシングを始めて
初めて「自分」を意識したという。

「人と違う自分が好きになった」とも
あるインタビューに答えている。


それによれば
プロボクサーになって
かつての「いじめっ子」から
チケットをねだられた時、
お金を払わなかった「いじめっこ」に
きちんと催促できたという。

それは強いパンチを手にしたからでなく
自信に裏づけられた「精神力」を手にしたからだ。

さすがに控え室のまわりは緊張感があったが
レポートでもお伝えしたように「悲壮感」がない。
沢山の知人の励ましに内藤選手も笑顔を見せている。

いよいよ試合が始まる。

彼の入場曲は
クィーンの「ウィ・ウィル・ロックユー」でも
「ロッキーのテーマ」でもなく、


CCBの「ロマンチックがとまらない」・・・なぜに?
でも、めちゃめちゃもりあがってる!
大勢の観客や支援者も
この曲で踊っている、今も耳から離れない。

ご両親も奥さんも幼い子供さんもいる。
失礼ながら、収入は少ないという。

でも、年上の奥さんは笑顔で
おおらかに応援してきた。
書き忘れたが内藤選手は
すっげー愛妻家でもある。

・・・ここで負けたら夢が潰える。
何かを変えるんだ!
もう決して若くないけれど
ハングリーな気持ちでここまできた。

何かを変えるんだ・・・。


僕は青コーナーで
内藤陣営のセコンドのすぐ後ろに陣取った。

序盤からすごいスピードでパンチを繰り入れていく内藤選手。
客もセコンドも皆、勝利を望んでいるのは当然だが
そんな皆が驚くほどだ。
セコンドも目を見開いて
「あいつ、きょう速ええな」とつぶやいた。


1R終了のゴング。

同時にセコンドは立ちあがってのガッツポーズ。
もう勝ったみたいな騒ぎだ。
会場全体が震えた。

「足を使って左に回りこめ、
小さく確実に返していけ」
セコンドから指示が飛ぶ。

歓声にかき消されて
声は聴こえなかったが
コーナーに上った
ジムの宮田会長の口が、
「オマエ、スゴイゾ」と動くのが見えた。

2Rめからは会場全体が押せ押せムード。
チャンピオンが追い込まれていく。
パンチが、どんどん大振りになっていくのだ。

試合は終盤にさしかかる。

僕は格闘技が好きで
セコンドからの指示も聞く機会はあるが
コーナーの椅子に座った内藤選手に
宮田会長から「珍しい指示」が飛んだのが
かすかに聞こえた。

「信じろ。いいか?
みんなが、ついてる」

そして最終ラウンド。

ゴングとともに出て行く内藤選手。
そして壮絶な打ち合い。
しかし内藤選手が優勢なのは明らかだった。

宮田会長の目が潤んでいる。

セコンドから声が飛ぶ。
「いいか、内藤!
あと1Rだ、あと1Rで




・・・人生が変わるぞ」


最後のゴング。
勝敗は判定にもちこされた。

両者、レフリーに腕をつかまれる。

それでは判定の結果を申し上げます。
「青。内藤選手!」
最後のほうは
もう歓声で聴こえない。

僕はいそいでリングに駆け上がろうとしたが
ジムの仲間が泣き笑いで殺到しているので
はしごに上れない。

どうにか這い上がって、急いでリングイン。
フロアディレクターから、マイクを渡される。

内藤選手に、チャンピオンベルトが渡される。

「放送席、放送席・・勝利者インタビューです。

新チャンピオンの、誕生でえええええすっ!」
うわあああああああああああ!

内藤選手、切れた唇で
僕の質問に一生懸命答えてくれます。

みんなのおかげで、みんなのおかげで
がんばれました。
苦しかった日々も、みんなが支えてくれました。
・・僕、いじめられっこだったのに
世界チャンピオンになれました。

・・・やばい!
なんか涙がこみあげてきた。




「きっとこれを見て
内藤選手みたいになりたいって思う子もいますよ」

もともと「笑い顔」の内藤選手が
もっと笑顔になった。

ボクシングジムや空手道場が
「いじめられっこ集まれ」などと募集することがあるが
あれは、
「いじめに対し力で防御する、あるいは攻撃する力をつける」
という意味ではない。
「僕は、これならこんな頑張れるんだ!」と自信を取り戻すことと
自分を認めてくれる「学校以外の世界」を持つことに意味がある。
だから、子供自身がそれを実感できるならば
水泳でもいいし、音楽でもいいんだと思う。


さて、実はポンサクレック前チャンピオンは
19度目の防衛戦を9月に、
また20番目の防衛戦を12月に
タイのプミポン国王の前で行うことを決めていた。

つまり内藤戦は「通過点」と見ていたのだ。

しかも、かねてから自分に対して対戦を希望していた
亀田興毅.選手側に試合を要求していたが
条件が折り合わない状態だった。
どちらかというとスポーツ紙も、今回
こういった話題を大きく取り扱っていた。


一方、内藤選手は亀田選手側に対戦を希望しながらも
事実上「無視」状態だった。

こうなると
早ければ年内にも「内藤の初防衛戦」として
内藤VS亀田の試合もないとは言えない。


あるとしたら楽しみだ。
すべてが終わったあと
内藤選手と握手した。

宮田会長は
「もうボクシング、あした
やめてもいいぐらい嬉しい」と笑った。

宮田会長も
ボクシングのダメージで現役を退いたが
強い選手だったと聞いている。
内藤選手にかけた想いが痛いほど伝わった。


今、ボクシングのフライ級は
男のロマンにあふれている。

ロマンチックが止まらない。

そして、光の中へ。

2007-07-10 | Weblog
内藤大助さんというプロボクサーがいる。

日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者まで
のぼりつめた選手だ。
(東洋王者はその後返上)

34戦、30勝、2敗、2分(21KO)
この輝かしい成績の中の
わずか「2敗」

この「2敗」は同一人物に涙を飲んでいる。

WBC世界フライ級チャンピオンのポンサックレック選手。
つまり世界タイトルマッチだ、

2敗のうち1敗めは
2002年4月19日だった。
世界フライ級タイトルマッチ「史上最短」の
1R34秒KO負けを喫してしまう。

しかし彼の凄いところは
復帰戦をKOで飾り、
その後も勝ち続けたことだ。

決して心が折れることはなかった。

2004年10月、
日本王座の初防衛戦を行い、
日本タイトルマッチ「史上最短」となる
1R24秒KO勝ちを収める。

2005年10月、再びチャンスが巡ってくる。
2度目のポンサックレック戦。

このときは慎重な滑り出しながら
チャンピオンを圧倒する攻撃をしていく。

しかし。

姿勢を低くするチャンピオンに
何度もバッティング(頭をぶつけてくること)を受け
出血が止まらず「負傷敗退」を喫する。

「まだやれた」
この悔しい思いは彼を更に強くした。

翌年には
日本・東洋太平洋王座の2冠を達成するのである。

そして
3度目の世界タイトルマッチのチャンスを迎える。

相手はまた
ポンサックレック。



しかし
「意外な問題」が持ち上がるのだ。

地上波放映を決定していたTV局が
都合で放送を取りやめ、
スポンサーが集まらなくなって
開催が危ぶまれていたのだ。

世界戦には4000万円ほどがかかるのだが
このままでは資金が足りない。

その後ドンキホーテ、sankyoなどが名乗りを上げ
一般からもカンパがあった。
しかし現在までに必要な金額にいたっていない。
ジムは借金をしてでも
内藤選手をリングにあげるとしているが・・・





先日、
僕のマネージャーから一本の電話が入る。

「ボクシング詳しい?」

そう。

7月6日になって
TOKYO MX TVが
生放送で地上波での中継放送を行うことを
発表したのである。

なんと異例の
「中継テレビ局決定会見」まで行われた。

MXは、
「東京で開催される世界タイトルマッチが
中継されないのは・・・」 と
急遽、番組編成を都合して
放送を決定したのだ。

7月18日水曜日
試合実現!

午後7時30分から9時まで生放送される。
(地デジでも放送されワンセグでも。
一部CATVでも見られる)

いしもりは
レポーターを担当させていただく。(詳細未定)

その場でしかわからない生々しい情報を
臨場感を大切にしてお届けしようと思う。

1974年生まれ
愛妻家で、サラリーマンでもある内藤選手。


男と男の「人生をかけた戦い」を
目に焼き付けて欲しい。

よろめく夜の物語。

2007-07-07 | Weblog
先々週ぐらいから
左足が痛いなあと思っていたが、
我慢してた。

靴擦れのようだ。

真っ赤である。

しかし、・・・そのうち
すげえ腫れてきた。
が、我慢できん。



こりゃあ医者にいかんと無理か。

泊まりのデスクをやっている時も
「靴」を履いていること自体
「苦痛」(しゃれではない)なので

左足だけ靴下のままで
原稿を書いていた。

あ、おしっこしたい。

右足だけ靴はいて
ケンケンしながらトイレへ。

おろろろ?

バランスが。
右へ左へさだまらん。

壁に、ごーん

(この時の表情は
「森進一のサビの時の顔」だったという)

でも夜中だから
人少ないし誰も見てないや

・・・と思ってたら
深夜放送意のADの女の子が
しっかり見てた。

「あ、こんばんわ」と言ったが
おびえた目をして逃げていきました。
ばっきゃろー

おまえなんか
ペヤングのお湯切るとき
麺も一緒に流しちまえ。


・・・さて。


片足で用を足すのはスリリング。

照準が絞れぬ。
でも、ちゃんとできたぜ。



ほっとしてチャックを閉めた時

バランスを崩して
便器に胸を強打しました。

「はふん
声がでちゃった

医療関係の取材をずっとやっていた時期があり
毎週、どこかしらの医療機関に行っていたが、

自分が治療するのは
取材中に右手の小指を捻挫したとき以来だ。

病院苦手。

でも、ふと
鳥越俊太郎さんの言葉を思い出した。

「私は手術するとき
取材するつもりで手術を受けたので
興味津々でわくわくした」

おお、それだ

PCで病院を選ぼうとしたが、
もう、文化放送から浜松町の駅まで歩くことすら
困難になったので

近くの
でっけえビルの上のクリニックに決めた。

初めて行ったが
数々の最新の医療現場を見てきた僕には
ものすげえ「懐かしいかんじ」の病院だった。
昭和の病院を再現したテーマパークかと思った。

だって
外科医と歯科医の
鶴のような、おじいちゃん先生が
互いにロビーで、健康相談をしてるのよ。

「先生、それは年だからしょうがないのじゃ」
とか聴こえてくる。

・・・おお、なんてドクターの年齢層が高いのだ。
(↑もはや取材は始まったのである)

泊まり明けで
うつらうつらしながら待っていると
名前を呼ばれた。

どんなおじいちゃん先生かと思ったら

メガネの似合う「若い女医さん(美人)」で動揺した。


足を見せたら、先生
「何これ?!」

言うか普通。

それでも丁寧に調べてくれて
「じゃあ、治療するから」

振り向くと看護婦さんが
銀色に光り輝く医療器具で

僕の足に・・・

ぷす。

「ぎゃあああああああ!」


痛くない。
上手なのね

なんだかんだあって
痛みはひき、
腫れもひきつつありますが
今も左足だけ包帯まきまき。

うーん、
冷静に「取材のつもりで手術を受ける」なんて

トリゴエ先生、
僕にはまだ10年早いようです。

ららら科学の子~!

2007-07-06 | Weblog
子供の頃、
NHKの科学番組「ウルトラアイ」が好きだった。

ウルトラセブンに変身する道具ぢゃないお。
70年代に放送されていた、まじめな科学番組じゃ。
(若き日の山川静夫アナウンサーが司会でした)

NHKには昔から面白い科学番組があって
僕の最古の記憶では
ウルトラアイの前に「四つの目」という番組もあった。

「ストレス実験中」と書かれた札を下げた乳牛が
銀座をねり歩く実験とか
(ちょっとかわいそうか?)

ひとだまを人工的に作る実験とか、
(これはあのホンダが「人魂製造機」を作ってた)

ダイアモンドをロードローラーで轢いて硬さを調べるとか
(アーム筆入れかっ!・・・あ、あれは象か)
「おわー」な企画が多く、僕を理科好きにしてくれた。

もしかしたら、好きになったのは
子供のころ、
家族で楽しく見ていたからかも。

前にも書いたけど
父が自動車メーカーに勤める研究者だったから
家でも科学の話題が多かった。

番組でわからないことが出てきても
大抵は答えてくれる。すげえ!と思った。

ウルトラアイの前にも
「四つの目」という番組を見ていた記憶があるのだが

今、調べてみたら「四つの目」は
僕の生まれた年にオンエアになり
6年後に番組が終わっているので
相当小さい頃から見ていたことになる。
びっくりくりくり、くりっくり。


実はNHKのこうした科学番組は
「四つの目」から綿々と
少しづつ形を変えながら続いているのである。

「四つの目」
「レンズはさぐる」
「ウルトラアイ」
「トライ&トライ」
「くらべてみれば」(ここまでは全部、山川アナ)
「なせばなるほど」

そして、
今放送されているのは何か?!
っつーと・・・


それは
「ためしてガッテン」である。
司会は立川志の輔師匠!
※毎週水曜日、夜8時放送
火曜日深夜(正確には翌)1:10~再放送。

これ、民放で取り上げ、話題になった
「健康にいい食べ物」を検証しなおすなど、
結構トンガッた姿勢を見せている番組で
NHKだけに、かなり丁寧に作られている。

またウルトラアイなどの流れを汲んでいるようで
実証実験に時間と力を注いでいるのである。

実験にかけるスタッフの
情熱的で「頭フル回転」の姿勢は感動ものだ!

・・・とゆーわけで

8月29日水曜日放送の
「ためしてガッテン!」に
いしもりんこさん、
「もりっ」と出ちゃいます。

(※あくまで予定だから
放送予定が変更になる可能性も無くはないが、
そうなったら「石森がでてる」つもりでみるべし!)



これ見てた子が
あの頃の僕みたいに、
科学を好きになってくれるといいなあ。


「海鳴りロックフェス Vol.1」じゃん!

2007-07-06 | Weblog
首が変。

そう、ヘッドバンキングのためだ。
ネットバンキングではないし
小さなバイキング(びっけ?)でもない。

扇愛奈さんの6/20リリースのミニアルバム
「海鳴りライダー」の発売イベント
「海鳴りロックフェス Vol.1」を楽しもうと
下北沢・CLUB 251に行ってきた。

今回は愛奈さんを含め3組が演奏したが
(あ、エアギターの宮城マリオさんがいるから4組か)
のっけから全開!

愛奈さん以外では
eddy12のベースのプレイに心を惹かれ、
目が離せなくなった。

ベーシストのかたは、
「美人のボーカルさん」よりも
「自分」を熱く見つめる男に
きっと気持ち悪かっただろう。

で、いよいよおまちかね
扇愛奈ちゃんのライブ。

なんつーのか、
他のみんなにしてみれば
「ゴール」だと思っている水準を、

とーっくに突き抜けて
それでも尚
どこまでもぶっとんでいく。

ただ「とんでくだけ」の元気バンドは
七里ガ浜の砂粒ぐらいいるが、

愛奈さんの、すげえのは
みんなをちゃーんと「連れて行く」ことだ。

Guitar:杉本恭一さん (レピッシュ)
Bass:内田雄一郎さん(筋肉少女隊)
Drums:矢野 一成さん(THE MOONBEAM)の
すっごくタイトでパワフルな演奏が
愛奈ちゃんをしっかり支えている。

なんかすごいもの見た!って感じだ。

これを何にたとえればいいのか?

例えば、
「すっげえでっけえキャデラックが
F1並のスピードですっとばしていく」イメージ。

「誰が運転してるんだ?」と思ったら
コクピットから、ぴょーんって、
かわゆい女の子がおりてきましたって感じ?

「どこまでもぶっとんでく音楽」
・・・って書いたけど
ボーカルの美しい伸びも
テレキャスをかき鳴らす指も
バスドラに完全シンクロのエッジの利いたリズム感も
すべてハイクオリティで全然ぶれない!

しかも「声が強い」
体調が万全ではなかったそうだが
それならそれなりのやりかたで
ステージをこなせる。

一言で言えば「格が違う」のだ。

実力と自由な感性に裏付けられたその音楽性は
ちょっとカテゴライズすることすら難しい。

まあ、とにかくCD「海鳴りライダー」聴くべし。
だがCDだけ聴いて
「扇愛奈」を知った気になってはいけない。
ライブにこそ真髄ありぞなー。!

機会があったら
聴いちゃってみない!?
ここに何かあるぞ?

渋谷を行く。

2007-07-02 | Weblog
きょうは
渋谷の公園通りの
一番上で仕事。


事件の取材以外では
渋谷は本当に久しぶり。

渋谷駅から
歩いて公園通りをのぼった。

高校を卒業し、
上京してから
渋谷によく来た。

時には仲間と騒ぎ、ぎこちなくデートもし、
時には独りで気ままに買い物をした。

でも、きょう
公園通りを歩いていて
妙な感覚があった。

そりゃあ、新しい店ができたり
よく行った場所が無くなってたりはするけど

おーきく見ると、
実は公園通りあたりの風景は
あんまり変わっていない気がする。

うじゃうじゃいる
若者たちのファッションも
確かに奇抜だったりもするけど

でも、
あの頃の僕達も渋谷にいるときゃ
あんなもんだった。


なんだか
人生の「ある時期だけ」ここに集まってきて
やがて皆、卒業していき、

そしてまた次の世代が集まって
また去っていく
・・・というような繰りかえしなのかも、この街は。

だとすると
ちょっとだけ「学校」に似てる。


そういえば
いろいろ
教えてもらったわ。

さんきゅうな。